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さかさ近況㉚


あわしらいったよ

 阿波しらさぎ文学賞の授賞式に徳島に行ってきた。
 式らしいものに出たのは三田文学以来で、ああ見えてなかなか緊張して過ごした。みなさんよくしてくださったので、おかげで楽しく過ごすことができた。ありがとうございます。
 印象的だったのが、吉村さんや小山田さんとお話していても、対等に考えて頂いているなということだった。たぶん私が芥川賞作家なら、もうちょいぺーぺーの作家には「文学とはなんぞや」みたいな語り口を滲ませてしまうと思うのだが、お世辞では(たぶん)なく、「どんなふうに書いているのか」というところまで熱心に訊いてくれて、たぶんそれは、小説を書くという行為に貪欲なのだろうなと思った。吉村さんは「小説がえらくて書き手はしもべ」みたいなことを言っていたけど、よいものを書くならどんなことでもしよう、というプライドが見えた。「オレはオレ」みたいな地元のワルぶっている私だが、これは素直に見習いたい。ありがとうございました。
 ずっとスケジュールが埋まっており(着いてからもスタバで原稿書いていた)、翌日も朝の便で帰ったので、ほぼ徳島らしいものは何も見ていないが、地元の言葉は頭に残ったのか、その夜は夢に見た。阿波弁というんだろうか、朝散歩したときに見た川のように、ゆらゆらとした心地になった。いつかそういう言葉が出てくるものを書きたい。

『水都眩光 幻想短篇アンソロジー』出るよ

 今年の文學界の特集だった「12人の”幻想”短篇競作」の書籍版である。こちらの号は、ハンチバック効果で恐らく手に入りづらくなっているので、書籍化は読者だったらありがたい。ちょっとタイトルが読めないが、「すいとげんこう」である。表紙が素敵。
 坂崎は「母の散歩」を改題して「いぬ」としている。当初の案に戻した感じである。編集さんにどうですかね、とご提案いただいたのと、雑誌掲載時は他の作品名がわからなかったこともある。書籍にならぶ感じであれば、たぶんこっちのほうが良い。意外に苦労した作品で、でも自分の中でけっこう好きな作品でもある。9月25日発売。よろしく!

推薦文を書いたよ

 ご依頼があったので、織戸久貴さんの『百合小説アーカイヴ(仮)』の推薦文を書いた。

 推薦文なんて柄でもなく、なおかつ同じく書いた南木さんほど見識もないため、というかだからこそ、よく読んで調べて書いた。推薦文ひとつだろうがなんだろうが、坂崎は与えられた仕事をがんばります。
 個人がするにはスーパー大変な労力がかかるだろうと思われる内容だ。「百合小説」という枠の中で列挙される作品は自分の知らないものも多く、頭が下がる。(仮)とあるように、これは集大成ではなく始まりとして、ぜひ多くの方に読んでほしい。

最近読んだもの、見たもの

『むらさきのスカートの女』今村夏子(朝日新聞出版社)

 今村作品を初めて読んだんだけど、めっちゃおもしろかった。なんで読んでなかったんだ。
 私は津村記久子が好きなのだけど、そのあたりと、高瀬隼子の「おいしいごはんが食べられますように」あたりの作品は似ていると思っていて、お仕事っぽい小説という分類になる気がする。モノホンのお仕事小説は、池井戸潤みたいな感じになっちゃうが、これらの作品はある種の「貧しさ」を描いた小説だ。津村センセの初期の「ポトスライムの舟」の主人公は、世界一周のポスターに憧れながら食費を気にする主人公で、津村作品にはこういうすごい貧乏じゃないんだけどお金を気にする人が結構出てくる。「おいしい~」に出てくる登場人物はお金ではなくて、職場や人間の関係の「貧しさ」みたいなものが感じられて、今回の「むらさき~」はどっちもだ。
 上手な喜劇を書くのは本当に難しいと思うのだけれど、これは終始ユーモアがあり、オチは予想できたとしても、見事だった。後半の日記を読むと、とてもネガティブな感じで物事をとらえているのもよかった。

『日本の植民地支配: 肯定・賛美論を検証する』(岩波ブックレット)

 『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』(岩波ブックレット)に関連して流れてきたので読んでみた。各項2ページほどの短いものながら、端的に「植民地時代はこんないいこともあった」を検証しているので読みやすい。ナチスの件もそうだが、「良いこと」は常に「悪いこと」と結びついているので、それが賛美論に直結してしまうところが大いなる問題だろう。本書にある「何が「文明」であり、何が「未開」であるのか」という根本的な問いをもたないと、安易な受容論に走ってしまうのだろう。
 個人的には、台湾省巡撫の劉銘伝が気になる。

『夜の潜水艦』陳春成/大久保洋子訳(アストラハウス)

 人から勧められて読んだ。「夜の潜水艦」はおもしろかったが、他のはちょっとあわないかなあと思ったら、「李茵の湖」ががぜん良くて、そうすると他の作品の味わいもわかるようになった。短編集というのは、どれかひとつでも面白いものがあれば作品全体の評価を考えなおすことができるのでよいですね。
 「李茵の湖」は、「僕」と李茵という女性との思い出話のような語りから始まる。李茵は、家族といったという湖のことを語り、それを探すというのが大まかな流れだが、この話のキーは「記憶」であり、それがどのように結びついているのか、「耽園」と呼ばれる庭園の美しい情景を通して幻想的に語られていて、かなりよかった。
 あとは「音楽家」もいい。ソ連時代の禁止されていたジャズやロックなどの音楽の話で、ボーンレコードの逸話が出てくる。だが、あくまでもグーロフという老人の封じられた過去をめぐる話なので、そちらを幻想的に描く様子がこれもいい。
 帯で「中国の本屋大賞」という惹句が使われているが、そこらへんを期待すると少し肩透かしを食らうかもしれない。著者は漢学にもどうやら明るいようで、故事や詩を使ったものも多く、ちょっととっつきにくい面もある。

『穴』小山田浩子(新潮社)

 こちらは再読。せっかくなので。
 数年ぶりに読み直したが、やっぱりおもしろかった。初めて読んだときは、謎の「長男」は、義祖父の幻影なのかなと単純に思ったし、そういうしかけもありそうだけど、今回はどうもそういうものとはまた違う手触りを感じた。「穴」に落ちることで異界と交わるのは、同じく「井戸」をモチーフに使う村上春樹を思い出させるけど、それよりももっとこの話は地続きで、現実の感覚があり、その意味で「長男」は実際にそこにいたのだろうという気がした。そこに表裏があるわけではなく。この物語の題名は「穴」以外ありえないだろうと思ったが、お話をうかがったら最初は違ったらしい。小説というのはおもしろい。

『ハリガネムシ』吉村萬壱(文藝春秋)

 こちらも再読。
 小山田さんと同時期に読んだことがないので、合わせて読んでみるとぜんぜん作風が違うのがありありと実感できて、そういう二人が選考委員をしている賞ってすごいなあと思った。
 けっこう若いときに読んだのでピンときていないところがあったが、今読むと、サチコがすばらしい。エログロっぽいといえばそうなのだけど、今はサチコの愛おしさと邪悪さとどうしようもなさみたいなのがよくわかる。私は疑似家族みたいな物語が好きで、この話はそういう家族の再生産と解体という視点で読んでいくのもおもしろい。
 芥川賞授賞時の裏話的なものも聞けておもしろかった。そのときは石原慎太郎が選考委員にいたのかあと聞いて、すごい時代だなと思った。

『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』

 飛行機で上映していたので見た。
 噂通りおもしろかった。と同時に、一部の批評家が評価しない(で炎上していた)理由もわかる気がした。あまりにもソツのない構成とキャラクターと時代性は、こう、こちらの口に「ほらうまいだろ?」とおいしいケーキを詰め込まれている感覚にはなる。私は天の邪鬼だからなにくそ、と思うが、でもまあおもしろいのでぐうの音もでない。これたぶん、ピクサーあたりがつくったら、もう少し違うフックをつくるのでは、とも思った。

語りと騙り

 阿波しらさぎの文学トークショーなるものに恐れ多くも出席して、そのときなんと光栄にも吉村先生に「嘘つき姫」を推してもらった。

 吉村先生は、そこで、私の作品に共通する「嘘」について述べられた。「渦とコリオリ」も、また「嘘」の話である。確かにさかのぼってみれば、「リモート」も「嘘」の話だから、私の話はずっと「嘘」や「騙り」を描いてきたように思う。
 これは源泉があって、私が大学時代に師事していた先生は近代文学の専門だったのだが、太宰が自身の自殺を題材とした小説の「騙り」の部分に着目した論文の話が印象に残った。事実と微妙にずらして書くことで得られる価値、みたいな話だった。真らしき嘘はつくも、 嘘らしき真を語るべからず、である。これは妙に記憶に残っている。
 この前、バゴプラの齋藤さんも、ありがたいことに坂崎作品を語っていただいた際に、主人公と事象との距離感みたいな話をされていた。主人公は起こっている出来事に干渉できない、故に距離感がある、みたいな傾向が私の作品にはある、ようだ。これもたぶん、「語り」の「騙り」として関係している部分だろう。
 いろいろな作品を作家は書くけど、書いているものの根っこみたいな部分はどれも似たようなものなのかもしれない。そういうのって、自分じゃよくわからないので、そこらへんを語ってもらえるまで書かなきゃなあとも思う。

 以上である。今月は告知がたくさんあるので、また戻ってくる。アイル・ビー・バック!