ニューエイジ

 エレオンに赤ちゃんが生まれたというので、動物園に息子と行った。
 動物園は町の外れにある。海のすぐ近くで、どちらかというと、同じ駅にある水族館の方に客足は向いていた。その日も日曜日であったものの、閑古鳥は鳴いていなかったが、スズメやカラスが退屈そうにポップコーンを拾うぐらいには閑散としていた。
 エレオンの赤ちゃんは二カ月前には生まれていたが、すぐにはお披露目されなかった。公開されるまでは保育器やらなんやらで大切に育てられていたそうだ。フォローしていた動物園のSNSアカウントが、すくすく成長する様子を写真や動画で不定期に配信していた。息子はそれを食い入るように見つめていた。
「どのぐらい大きくなったのかな」
 息子はこの日を楽しみにしていた。大人のエレオンは成人男性よりもはるかに大きくなる。胴体は丸く、脚も太い。赤べこみたいだが、色は黒い。成獣には毛がないが、それは成長の過程で抜け落ちるそうで、子供はマリモのようにふさふさしているということだった。
「触ったりできるのかな」
 それはわからない、と答えると、息子は多少残念そうな顔をした。もちろんエレオンは凶暴ではないし、人を襲うこともない。草食で、動作は緩慢としている。角もなく、鋭い牙もない。古代の脱穀機のような臼歯が、葉をすりつぶしてゆっくり胃へと流し込むのを、一日中続けている。ただ、ハムスターのように触れあう体験ができるかどうかは、何とも言えなかったし、動物園のホームページにも何も記載がなかった。
 地図で確認すると、エレオンの檻は園の中でもだいぶ奥まったところにあった。ハゲタカの隣り、ロウソクネズミの前だった。息子はときどきゾウやキリンの檻の前で立ち止まりながらも、着実にエレオンへの最短コースを進んでいった。
 檻に着いたとき、親エレオンは昼寝をしていた。黒く、緩慢に、寝相をうっている。赤ちゃんエレオンは奥に引っ込んでいるようで、姿が見えない。息子はあからさまにがっかりした顔をして、親エレオンをお義理に数秒眺めた後、暇つぶしのように隣りのハゲタカに大きな声を出し、ガラス越しのロウソクネズミのとろける顔とにらめっこをしたりしていた。
 十二時を回ったところで、エサの時間になった。飼育員が出てくると、赤ちゃんエレオンがその後を追いかけるようについてきた。息子の目は輝き、エレオンと飼育員の一挙手一投足を見つめていた。一輪車に載せた乾草を飼育員は投げるように箱に入れた。赤ちゃんエレオンはゆっくりと箱に近づき、においをかぐことも、外見を気にすることもなく、おもむろに口を開けて食べ始めた。マリモの時期は終わったようで、ところどころ禿げた皮膚から黒い染みのような模様が見えた。息子は、そんな子供のエレオンが、遅々として草を食む様子を、柵にしがみつきながら見ていた。その緩やかな食事風景の間、煙草でも吸えればと思ったが、そんな場所はなかったし、ライターの油は切れていた。
 子供のエレオンは餌を食べ終わると、役目を終えたとばかりに、また奥の方へ消えていった。親エレオンには一瞥もくれず、また親エレオンも昼寝から目覚めることはなかった。
「すごかったね」
 帰りに息子は言った。何がすごかったのかはよくわからないが、息子が満足していそうなことが満足だった。触れなかったことについては、もう覚えていないようだった。
 早めの夕飯を駅前のファミレスでとることにした。お子様ランチとそばせいろセット。ケチャップをたっぷりかけたハンバーグを食べている息子が、思いついたように訊いた。
「ハンバーグって何からできてるの?」
 少し答えに詰まった。食事の前に息子がクレヨンで描いたエレオンをじっと見た。そのエレオンは動物というよりは巨大なボールのようで、そのボールは黒く土で汚れたように塗りつぶされていた。本当のことを言う気力はなかった。
「牛からだよ」
 ウシ? と息子は聞き返した。「それって動物園にいる?」
 いない、と答えると、そっかあと息子は頷き、またハンバーグを食べ始めた。ウシかあ、と息子は呟き、それも見てみたいなあと、口をもぐもぐもぐもぐ、肉でいっぱいに満たしながら言った。その様子をじっとりと見ながら、お前たちは新しい世代なんだな、と呟き、そばをすすった。

〈了〉

☺エレオンはうちの子供が育てていたオジギソウの名前です。意味は知らない。