ほどける

 髪を結んでほしいと娘はおずおずと言った。「おずおずと」というのは私の感覚で、今年年長さんになったばかりの娘は、そのような気持ちではなく、ただ単純に自身の欲求のままに口にしただけなのかもしれない。しかし、実際に「おずおずと」と私が思ったのは事実であり、そう思ってしまった自分が、何かこれまでの娘とこれからの娘を規定してしまったようで嫌な感じがした。
 娘の髪は、結ぶにしては少々短かった。短くしている理由は本人の切実な希望ではなく(「短い方がかわいいよね、短くていい?」)単純に手間の問題からであり、風呂と髪を乾かす時間はだいぶ早くなった。けれども結べないと撥ねつけるほど短くもなく、私は私の忌み嫌う「答える代わりに質問で返す」という方法をとった。
「どうして髪を結びたいの」
 娘の説明はたどたどしかったが、要は同じ組(バラ)の友達に、女の子の癖に髪を結んでいないのはおかしいと言われたんだそうだ。親としてはそういう悪しきジェンダー観を持つ子供は鉄拳でもって駆逐しに園に単身乗り込みたいところではあるのだが、私にも仕事があり社会的地位があった。ではその地位のない「最強の人」であれば、鉄拳制裁も辞さないのかと言えば恐らく私にはそのような勇気はないし、そう考えると結局ここでごちゃごちゃ考えていることは環境というより性格の要因の方が大きい気がした。
 とはいえ、今は朝の七時半である。朝食は食べ終わった。これから着替えるという段である。娘は大体一日ごとに「自分で着替える」モードと「着替えさせて」モードに切り替わるのだが、今日は珍しく三日連続の「自分で着替える」モードであった。だが、前日の夜に用意しておいた服(H&M)を渡した段で、髪を結んでほしいと言ったのだ。私のイライラゲージが何ポイント分か上昇していることも、私の頭の中が混迷している原因のひとつでもあった。
「明日じゃだめかな」
 私は私の忌み嫌う先延ばしという方法(「なあ𠮷田、今やらなきゃいつやるんだよ」)をとった。娘は私の顔をちらりと観察して、それから黙った。否定も肯定もしない。厄介なモードになったと、私は舌打ちをしたくなった。実際に舌打ちしたかもしれないが、娘に確認をとるわけにもいかない。
 私は迷った。どんなに遅くても七時五十分には家を出たい。考えている間に残り時間は十七分だ。このモードの時の娘は何を言っても喋らなくなる。泣いたり叫んだりしてくれればこちらも応戦するのだが、自分の願いが叶えられるまでは、刑務所でハンストする囚人のように、一切の反応を拒否し続けるのだ。髪を結ぶ、着替える、歯磨き、いってきます。私はシミュレーションを行い、プライドとネゴシエーションの労力を秤にかけて、ユーチューブで動画を探す方法(「女の子 髪 結び方 簡単」)を選んだ。
 検索結果の一番上の動画を再生し、「髪ゴム」とラベルが貼られた小物ケースに入っていたゴムを手にとる。けれど、その動画は「エルサ風」と題した動画で、とてもじゃないが私の手には負えなかった。いくつか検索をかけてみたが、「簡単」と銘打っているものも、何故か見た目重視の「かわいい」アレンジで、これはグーグルのせいなのか社会風潮のせいなのか、とにかく私は最適解に辿り着けなかった。十二分。
 とにかく私はやってみることにした(「とりあえず手と足を動かすんだよ。結果は後からついてくる」)。後ろ髪を手にとり、ぐるぐるゴムを巻き付け、二つ結びにしていく。
「前向いて」
 左右のバランスが崩れているのは私の目にも見てとれた。おくれ毛もぴょんぴょん跳ねていて、おおよそグーグルの検索結果に出てくる画像とはほど遠い。だが自分を納得させて(「社会人なんてさ、妥協の連続だよ」)、「さあ着替えて」と、娘を促した。娘は黙ってうなずいた。
 仕事が終わり、保育園に迎えに行くと、娘の髪はほどけていた。娘はいつものように、黙って私の脚にしがみつき、その後ろで先生が娘のリュックを持ってきてくれた。
「どうですか、お父さん、保育参観」
 私はまだ返事の手紙を出せていなかった。明日までには出します(「締切守れないヤツが一番無能だね」)、と告げて、娘を自転車の後ろに乗せた。日はすっかり落ちて、夜風は冷たかった。そう言えばお迎えに来てから一言も娘の声を聞いていないと思い、今日は何をしたのと聞きかけところで、娘の手が私の背中に触れた。おずおずと。
「ありがとう」
 夜風は冷たかった。私は返事をせず、聞こえなかったふりをして、「夜風は冷たい」と何度か口の中で繰り返し、グーグルで検索するワードをあれこれ考え始めた。

〈了〉


☺何かを生贄に出すから、朝の時間の進みを二分の一ぐらいにしてほしい。