第6回阿波しらさぎ文学賞を辞退しました

 私、坂崎かおるは、第6回阿波しらさぎ文学賞において大賞を頂戴しましたが、このたび、賞の辞退及び賞金30万円の返還を行いました。
 経緯としましては、選考委員及び応募者など各種関係者への対応について、徳島文学協会及び徳島新聞社へ疑義があり、自身の作品を預けるに足る団体ではないと判断したためです。

 阿波しらさぎ文学賞の一連の流れについては、当事者でもある小山田浩子さんのツイートが詳しいので、そちらをお読みください(リンクは張りません)。

 私に関する経緯については以下のとおりです。

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11月29日 以下の文書を徳島新聞社及び徳島文学協会に送付する。

12月8日 徳島新聞社より、受領のメール及び、関係者が協議する旨の内容の返事がくる。
12月14日 徳島新聞社より、私の申し入れを受託する文書がメールにて届く。
12月15日 徳島文学協会より、私の申し入れを受託する文書が郵便にて届く。
12月22日 賞金30万円を徳島新聞社宛に振込にて返還する。
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 以上となります。そのため、今後私は、「阿波しらさぎ文学賞受賞者」という文言はいかなるプロフィールにも使用いたしません(過去の出版物などは除く)。これにより、受賞した「渦とコリオリ」の著作権はすべて私に戻りますので、note上にて公開いたします。

 また、これは私個人の考えに基づいた行為であり、過去の受賞者や応募者、関係者に、同様の行為を求めることではないことも、申し添えます。

 ここから先は愚痴のようなものになりますので、お読みになりたい方だけどうぞ。




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 まず、阿波しらさぎ文学賞は、以下の文言が応募時にあります。

*入賞作品の複製権(出版権を含む)、映像化権などの利用権(2次利用も含む)は徳島新聞社に帰属します。

 これは応募時に了承したとされ、著作権者はもちろん私ですが、たとえば受賞作品を出版したいときなどは、私に複製権がないために、いちいち社側と協議をする必要があります。文学賞などコンテスト系はこの文言が入ることは確かに多いです。そのため、今回の状況を踏まえ、賞を返還したい、ということもそうですが、私自身が自分の作品を自由に使えるようにするために、このような行動を起こしたととっていただいて構いません。ただ、徳島文学協会及び徳島新聞社への抗議の意味も無論、含んでおります。
 私自身は、小山田さんのツイートを読んだこともきっかけですが、その後、徳島新聞社及び徳島文学協会がなんら動きを見せないことに、強い失意を覚えました。沈黙という行動はある程度有効で、小山田さんやそれに賛意を示す投稿に対する誹謗中傷のツイートも散見されるようになりました。また、小山田さんだけの主張では、事実関係が把握できないとして、沈黙を選んだ方もいることでしょう。しかし、忘れないでいただきたいのは、今回の構図は「個人対企業」というアンバランスなものになっているということです。個人に対してのみ説明責任を求め、企業・団体側がなんら有効な回答を対外的に示さない、という行為は大変に不誠実であると言わざるを得ません。ましてや、その企業がジャーナリズムを掲げているという事実には、失笑というより、空恐ろしさを感じます。そして、これが徳島新聞社だけではなく、他のメディアにも大いにあるだろうことに。
 私が疑問に思っているのは、今回の徳島文学協会及び徳島新聞社の行動は、全く当該企業・団体の利益にならないということです。文学賞の運営自体は赤字経営にならざるを得ないのは承知しておりますし、応募者を増やすために選考委員を変える、という事自体は特段に不思議なことではありませんし、咎めることでもありません(実際、仙台短編文学賞は伊坂幸太郎氏を起用したことで、大幅な応募者増を達成しています)。当該企業・団体の関係者は、いくらでも穏便に済ます手立てがあったはずです。たとえば、小山田さん自身が解任の通知を受けとった際の問い合わせ時に、建前でも、「〇〇という方針のためにやむを得ずこういうことになりました」という説明をするだけで、今回の件は終わっていたはずです。SNS上でシェアされやや炎上状態になったとき、社側が協議の場をもったとき、挽回のチャンスはいくらでもあったはずです。一部で小山田さんや関係者への誹謗はあるとはいえ、全体的には徳島新聞社・徳島文学協会へのネガティブな反応が目立ちます。文学賞の終了という経営的清算という利点を鑑みても、それを凌駕する不利益ではないでしょうか。当該企業・団体が、さすがにこの事態をまったく予期せずに不誠実な対応を続けてきたとは考えにくいです。では、そこまでして、頑なな対応を変えてこなかったのはなぜなのでしょうか。
 私に対しては一言もこの件について、当該企業・団体より言及はなかったため、想像をするしかありませんが、私自身はそこに彼らのプライドのようなものを感じました。絶対に謝罪をしない、非を認めない、自分たちの行為の正当性に固執し続ける、そのような態度を見ました。小山田さんに対して、建前の理由を述べる、ということは、自身の正当性を汚すものという認識が根底にあるのではないでしょうか(これは謝罪も同様です)。解任の理由を言いたくはないが、そこに虚偽をまぜることもしたくないというプライド。よくあるといえば、よくあることですが、当事者になりますと、これほど厄介で、激しい徒労感を覚えるものはないと思い知らされます。
 果たしてこの考えが、トップやトップに近い人々によるものなのか、組織全体の風土なのかはわかりません。前者であるならば、時の流れとともに、若い記者たちや人々が変えていけることをまだ期待できるのではないかと思います。後者であるならばもう仕方ありません。生活に必需なインフラでなかったことを幸いに思うしかないでしょう。
 私自身は、徳島文学協会も、徳島新聞社も、その中で働く人々をあまり悪く思いたくはないことも事実です。短い間とはいえ、いろいろなことをお話したり、それこそ受賞者への労いがあったりと、とても気持ちよく(ないことももちろんありましたが)過ごしたのは、そういった関係する方々の尽力があったことまでは否定したくありません。だからこそ、そんな人たちまでも踏みにじる行為だと、私は怒りを覚えるのです。

 最後に、阿波しらさぎ文学賞自体は、スピーチでも述べましたが、とても先鋭的で、野心的な地方文学賞らしからぬ賞だったと思います。このような形で終了することはたいへん残念ですし、私が望んでいたこともでありません。これが、私が阿波しらさぎ文学賞について言及する最後の公的なメッセージになるかと思いますが、受賞した皆様、応募された皆様、応募しなかったけど興味を持っていた皆様、作品を読んでくださった皆様、よかったな、という記憶を大切にしていただいて、これからの創作活動や人生をお過ごしいただければと思います。

2023年12月25日
坂崎かおる