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『苛』

なんで『草冠』に『可』なんだろう。

解ったような、解らないような。

先月から新しい職場で企業の基幹システム廻りの置き換えの仕事をしている。『プロジェクトが立ち上がったからPMOとして契約』との話で行ってみたものの、未だプロジェクトが立ち上がってすらいない状態。いろいろ不可解なことを感じていたが、すぐに周囲から「✗✗かぁー(お気の毒)」とか「✗✗のプロジェクトやってるの?(お気の毒)」とか「✗✗といっしょかぁー(お気の毒)」って声が聞こえてきた。先入観を持たないように聞き流していたが・・・

(ああ、なるほど。合点がいく。でもこれくらいなら許容しよう。波動を高く・・・)と抑えたのは、先週末の午前中。
ただ午後の打ち合わせの最中、先方の上司もいる中で

と。

今月に入ってから自身に集まってくる情報、それを元に意識を高く保とうと心がけていたつもりではあるものの、結果がこれ。

そもそも1年以上プロジェクトの開始ができないでいるから、自身が呼ばれた。必要な資料は揃っていないし、必要な段取りはことごとく踏んでいない。挙句根回しも、ベンダとの秘密保持契約さえも結べていなく、全ての資料を見直したところ、ベンダに見積もらせている機能要件でさえ『要件』になっているか疑わしい。自身の契約上、彼らのやるべきことを考え、指示を出すために出向いている。どの口が・・・と言ったもの。

このような事で腹を立てるのはまだ自身が未熟だからなのだろうけど。

でも須佐之男命でさえ穏便にことを運ぼうとしたものの有らぬ疑いをかけられて行った『誓』の後、ふつふつと怒りが湧いてきて周知の暴挙に及んだりもしているのだから、三貴子様でも『怒り』を抑える許容量がある。

『怒り』とか『批判』は宇宙の摂理では低い波動になるって聞いているので「ああ、またしても。」と自身が嫌になる。

阿呆を装っているのか、この相手の警戒心を解く緩さそのものが素の自身なのか判らないけれど、せっかくその日一日なにかの縁で関わりをもった人たちのこころを微々たるものであるも、一瞬でも明るくできればと生活するようにしているのに、これでは元も子もない。

ついでに波動の話をすると、低い波動の量産としての最たるものは『Micro$oft製品』だと断言している。経済活動の中で企業の使う個人用パソコンはかなりの割合でWindowsOS上のMicro$oft製品のアプリケーションを操作することで業務をこなしている。この糞製品を使っていると数分に1回は『苛』っとさせられる。一瞬であっても使っている人の数、これが蓄積されたら「塵も積もれば」なんとやらで、この世界を低い波動に引っ張るのに十分なエネルギーが働くはずだし、それを見込んでMicro$oftは活動を進めていると思っている。

この世界で生計を立てるためとは言え、このような仕組みに加担してしまっているということは『自由意志』で選択している判定になると思うとなかなか悲しい。

マジカ・・・って。

『判定』つながりで話をすすめると、『当たり判定』の理不尽さ、見えている角度、物理的移動範囲が無茶苦茶で苛々するのが判っていてもなんとなく遊んでいたいゲーム「モンスターハンターシリーズ」がどうしてもやりたくなることがある。
・『竜』を討伐するゲームだから、この世界の見えないエネルギー体『龍』も気を悪くするだろう。
・理不尽な当たり判定に『苛』っとしたときに、この世界の波動を微量だとしても下げてしまうだろう。
などから、一旦はゲームから距離を置こうとしてみたものの、やはり『遊びたい』という気持ちがあって、抑止していることがストレスになる。まあ、遊んだら遊んだで理不尽な『当たり判定』にストレスが貯まるのだろうけど。

『内なる自分から湧き上がる思いに従って』という言葉から、湧き上がるやりたいことを待ってみたものの一向に出てこない。
・人並みに好きな人と結婚してみたい(離婚しましたが)
・娘が受けたいという教育は受けられるようにしたい
・誰もが憧れるようなスーパーバイクに乗りたい
・オートバイでサーキットを走ってレースまがいのことをしたい
・自身の体格、筋力、資質にあったロードバイクに乗りたい
・トライアスロン大会に出場したい
・好きな地域、間取りの家に好きなときに転居したい
・部屋に好きな家具を並べたい
・とりあえず生活ができて、娘が教育を受ける助けができるような仕事をしたい
は、全部叶っているし、今更新しく本心でもない目標を無理やり立てる気も起こらない。物理的な所有は前述の既に達成した目標を経験したことで満足はしたものの、結局のところ『見栄』や『周囲との差別化』を認めさせる願望でしかなかったということに辿り着いている。

・屋久島に行ってみたい
・天の川の見える宿に泊まりたい
・気の合う異性と京都の渡月橋でぼんやりとしたい
というものは本心なのかどうかも判らない。このお盆休みに自宅でぼんやりこんな反省文を書いているということは、きっとそんな場所へ行くより、家の中で引きこもっている方が今は幸せなのだと思う。

ここで先のゲームの話に戻ってくる。

引きこもっているものの、スピリチュアルなYouTube番組、9割9分は再生回数狙いの程度の低いものであったとして、自身が続きを観たいと思うものであっても、連日更新があるか無いか判らないし、そのとき自身が必要としている内容になるかならないかも判らない。読もうと思っている本が平積みされているものの、通勤時間の苦痛を紛らわせる為に『本を読む時間』と割り当てていたため、自宅での和やかな環境下だとなかなか読もうとしないのが現実。Raspberry Piを使ってサーバーを立てようと思っているものの、ネットワーク環境を作っただけで「サーバー立ててどうする?」が思いつかず、最近は燈すら入れていない。結局内から何も湧き上がって来ない。

「もう地球での転生を卒業する人」

こんな都合のいい言葉を先日YouTubeで見つけたけれど、やりたいことがもうないのかもしれない。

でも「ゲーム機を買い直して件のゲームをこの連休でやりたい。」という、非常に稚拙な願望が今明確に頭に絡みついている。これ本当に内から湧き上がる『やりたいこと』と受け止めていいのだろうか?よく言われる『内なる自分に聞く』をすれば「やりゃーいいんじゃない?」って。それでは『苛』っとしたときに波動が下がって・・・の堂々巡り。

次元の高い世界で『眷属の龍を討伐する』なんて馬鹿な遊びはゲームでもできないと思うから、この次元の低い地球にいる間に経験して、どれだけ愚かなことか学習しておけってことなのか。

知らんけど。

こんなことをして時間を無駄にしているお盆休み二日目。本当に無駄だね。
それでも初日は「ゲーム」より先に湧き上がる思いがあって、梅田スカイビルで開催されていた「mocha展」を観に行ってきた。

梅田スカイタワービル
mocha展

画展でのシルクスクリーンの販売。これはこれで闇の深い産業。
絵はきれいだったけれど。

泡沫の幾つ見送って
私はぼんやりここにいて

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