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『思い込み』が全てを解決するのでは?

今契約をしている職場の『お盆休み』に合わせてお休みを取ったら、ちょっとびっくりするような連休になったので『何か変わるきっかけになるものを見つける』という課題を用意して挑んだけれど、何も見つからず残すところ2日に。

物質的に気になっていた
1.部屋の内装の補修
2.不要品の廃棄
は進んだから、休み前よりは気持ちは少しだけすっきりしているけれど。

『自分は何がしたくてここにいるのか。』

この目処が全く立っていない。
夏休み最終日の読書感想文程度なら余裕でこなせるけれど、この課題は今まで生きてきて全く攻略できない課題。このお盆休み、しかも残り2日でどうにかなるとはとても思えない。

もう10年以上も前、東日本大震災の後、奈良に来ることを決めたときには既に『やりたかったことは全部』経験していて、自身の頭の中の声と相談して『それなら、一番やりたくないことを3年やってみなよ。』という話になって、仕事として『歩合制の営業職』を3年務め抜いた。

その後、生活していくために生き残る術を知っているITの仕事に戻って、現場をかわるがわる移動していたのに、今また『やりたくないこと』として、自身が全く必要だと思っていない『最新技術を推し進める仕事』をやっている。幸い今回頭の声は勤務する期間を指定してきてはいない。なんなら、嫌なら辞めていいとも言われている。

でも、辞めたところで結局また生活のためにと堂々巡りが続き、この無限ループから抜け出せないことも見えている。

『答えは自分の中にある。』

どの精神世界の本や、その手のコラムを読んでも、申し合わせた様に自分の中にしかないという書き方になっている。それが判らないからここまで苦労しているのだ。

かといって、自称「エナジーワーカー」「スピリチュアルカウンセラー」「ヒーラー」「占い師」の面々に自身でさえ知り得ないでいる自身のことを、見透かされたように「あなたは○○なんです。☓☓することで道が開けます。」などと方向を示されるのは半分癪に触るとしながらも、半分それで解決するなら助けて欲しいという複雑な葛藤がある。

もちろん、こういうことができる方々の存在を否定するつもりは全くない。自身にそういう感性がないので、同じものを見ることができなくて、選択肢として選びづらいだけのこと。csv形式のデータセットしか知らない人が、JSON形式のデーターセットで説明をされても「えっ?」ってなるような。しらんけど。

そう思いながらも、一つだけこの状況を打破できる仮説にはたどり着いていて、あまりに自分の中では馬鹿げているという決めつけから手は出していないのだけど、でもなんか周りを見ていると、もうこれしかないんじゃないかって。

『思い込み』

たまたまさっきまで自暴自棄になっていたわけではないけど、『るろうに剣心 最終章 The Beginning』を見ていて新選組の刀さばきを観ながら、別の作品『薄桜鬼』を連想。その作中で「まがいものだろうが何だろうが貫けば『誠(真)』になる」ような描画があったのを思い出しました。新選組が登場する作品は浅田次郎著『壬生義士伝』や池波正太郎著『幕末新選組』、司馬遼太郎著『燃えよ剣』なんかを読んできたとは思うけど、文章にした際の誇張はあるにしても、あの圧倒的な制圧力は「『武士』という思い込み」にあると思う。実際は隊士の多くは武家の出身ではない人が多いみたいだし。そしてこれも悪く言うつもりも全く無くて。

でも「これだ!もう自身はこれでいく!」という『思い込み』を決めるに至る好奇心の対象も実は必要になってくる。今の自身にはそれすらない。子供の頃に『絵が上手だね』とか『サッカーが上手』、『野球が上手』、『字が上手』、『ピアノが上手』、『作文が上手』それがきっかけに『思い込み』を作れた人たちは、自身よりは対象を絞り込みやすかったのかもしれない。自身も子供の頃、作文、書道、絵画、水泳、陸上で賞状は度々取っていたけど、誰も褒めてくれなかったから興味が向かなかったのだと思う。

興味の向いた先に自身が演じきる覚悟を決めることのできる『思い込み』

noteに記事を書くことを諦めて寝てしまわないで、考えがまとまればと思いながら文章を書いていたおかげで、ここまではたどり着けた。

全然関係ないけれど、金曜日の夕方から日曜の夜まで、平城宮跡の朱雀門前広場で『たなばた祭り』が開催されています。今年は灯籠よりビアガーデンがメインなのか、あまり趣はないけれど、皆さんとても楽しんでいるようなので、元気を貰ってきました。露店で提供される食品は、食べられないものが殆どなので雰囲気だけ食べて帰ってきましたが。

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