【読む演劇】ゲキ×シネ『薔薇とサムライ』

演劇録画の功罪を、より意識させるフォーマット

《初出:『週刊金曜日』2011年6月10日号(850号)、境分万純名義》

 劇団☆新感線が2010年に東京・大阪で上演した『薔薇とサムライ』。客演二度目の天海祐希扮する女海賊と、その用心棒・石川五右衛門(古田新太)が、ある王国の権謀術数に巻きこまれる冒険活劇だ。

 劇団独自の〈ゲキ×シネ〉としては9作目である。単なる公演実況録画ではなく、映画的な編集を施し、映画館の大スクリーンと大音響でナマの舞台の迫力を、というのが宣伝文句なのだが。

 一般に演劇録画の功罪を語れば長くなるが、見る側にとっての「罪」をひとついうなら「眼窩」が固定されることである。
 たとえばカメラが特定の人物のみとらえると、それを受ける相方の演技がわからない。舞台全体も見わたせない。カメラワークと編集によって、作品の印象や評価は正反対にもなり得る。演劇録画の怖いところだ。

 そしてゲキ×シネは、このことを通常よりも意識させる。
 それは、従来よりは減らしたようだが、アップとカブリツキが多すぎるからだ。そのため映画どころかむしろテレビ、もっといえばPCや携帯のような小型メディアにふさわしく見える。
 舞台装置の多くをLED(映像パネル)に負うからなおさらだ。LEDは、本作に即すなら宮廷の広間でも何でも、容易に映しだせて便利ではある。だが、その特性上、クローズアップすると光点の集積でしかなくなってしまう。

 ほかにも、ゲキ×シネが演出や演技に及ぼしかねない混乱など気がかりなことは少なくないのだが、ナマの舞台の補完として見るなら好きずきだろう。
 反原発運動でその進退が注目される山本太郎(当時)も、怪演を披露している。

作:中島かずき
演出:いのうえひでのり
作詞:森 雪之丞
出演:古田新太、天海祐希、浦井健治、山本太郎、神田沙也加、森奈みはる
2011年/日本/197分


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