国際母語デー(International Mother Language Day)がなぜ2月21日なのか:『Fagun Haway』〈春を告げる風に〉

初出:ブログ『インド映画の平和力』2022年5月6日付 

 1民族に1言語、すなわちヒンドゥ教徒だけが暮らし、ヒンディ語だけが使われるインド。
 インドの現与党・インド人民党(BJP)やその母体・RSS(民族奉仕団)ら、ヒンドゥ右派勢力が理想とする Hindu Rashtra (ヒンドゥ国家)とはこういうものである。

 多様性こそが国力の源泉であり、比類のない魅力であるインドを、そんな単細胞国家に矮小化することの、いったいどこがおもしろいのか、私は微塵も理解できないが。

 しかし BJP 首脳、なかでもグジャラート州政府時代からモディ首相と「二人三脚」の重鎮、アミット・シャー内務大臣は、たびたび、ヒンディ語の地位を引きあげるような挑発的な発言をしてきた。そしてその都度、ヒンディ語圏ではない南インドなどから激しい抗議がなされてきた。

 インドでは、連邦レベルの公用語として、ヒンディ語と英語が定められている(ほかに、州レベルの公用語がある)。
 言語面でも非常に多様なインドであるだけに、異なる言語話者間(ここでは州政府などを想定している)では英語が使われるのがふつうだ。
 BJP 政権は、その英語に代えてヒンディ語を使用するべきだというのである。その先には明らかに、ヒンドゥ右派勢力の長年の思惑、つまりヒンディ語のみを国語に格上げしようという魂胆がある。

 この問題がもち上がるたび、私はいつも思うのだが、RSS や BJP らヒンドゥ右派勢力は、自国も当事者であったはずの現代史から、まったく教訓を得ていない。
 強者の側が、その言語の使用を強要したために国がひとつ崩壊した。そう言って過言ではない、身近な史実を。

 30年以上前の私もそうだったが、バングラデシュの首都ダッカを初めて訪れる人びとの目を最初に引くのは、おそらく  Shaheed Minar(ショヒド・ミナール、殉死者の碑)だろう。

 1952年2月21日、東パキスタン(現バングラデシュ)で、ダッカ大学の学生を中心にした非武装の市民が、外出禁止令をものともせず、大規模なデモをした。西パキスタン(現パキスタン)に置かれていた政府による、ウルドゥ語を唯一の国語として強要する政策に抗議し、ベンガル語の国語化を求めたものだ。
 そこへ警官隊が発砲して5人が死亡、多数の負傷者を出した。

 ショヒド・ミナールは、殺された学生たちを悼む目的で事件直後に建てられ、独立戦争をはさんで破壊や再建を経たのち、現在の姿になっている。
 毎年、ベンガル語で Ekushey February(エクシェ・フェブラリー;2月21日)と呼ばれるこの日には、追悼式典が行なわれるほか、ブックフェアが開催されたり、主要メディアでは特別番組や特集号が組まれたりする。

 ここからユネスコ(国際連合教育科学文化機関)は、2月21日を、国際母語デー(International Mother Language Day)に定めたのである。

 バングラデシュ独立運動は、いうなれば、母語を守る運動から始まった。
 その言語運動をモチーフにしたのが、バングラデシュ映画『Fagun Haway』〈春を告げる風に、2019〉である。

 インド・ボリウッド(ヒンディ語映画界)になじみ深い観客ならば、予告編のサムネイルを見ただけで、アーミル・カーン製作・主演の名作『ラガーン』(2001)において、植民地支配者に取り入り同胞を裏切ろうとした敵役・ラカで記憶されるヤシュパル・シャルマを認知するだろう(ここでは、主人公たちの村に赴任してきた警察署長役)。

 シャルマは犯罪者などネガティブな役柄を演じることが多いが、インドでプレスティッジの高い、国立演劇学校(National School of Drama; NSD)出身の演技派である。
 ボリウッドも2000年代から変化が見られるようになったとはいえ、彼のような実力のある演技者たちが過小評価されていることが、私はずっと引っかかってきた。
 そういう才能を、バングラデシュ映画界が歓迎し起用している例としても、『Fagun Haway』は特筆される。

 初出時点までは、バングラデシュの主要テレビネットワークが、英語字幕付きで全編を YouTube に上げていたが、残念ながら、削除されてしまったようだ。現時点では、Internet Archive などに見つけられるが、それらに英語字幕はついていない。
 今後、バングラデシュ映画専門の配信サイトなどで、英語字幕付きのものが新たにアップされれば、紹介の追記をしようと考えている。

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