【国際結婚の日常感覚】「わずかな経験で記事や本を書く日本人の “大胆さ” に絶句する」

《初出:『総合ジャーナリズム研究』1996年秋号(158号)、原題「陽の当たらない南アジア報道」、関口千恵名義》

 配偶者がバングラデシュ人というのっぴきならない事情(相手国を理解する努力なくして、人間関係ひとつやっていけない)も手伝い、この8年あまり、日本では最も陽が当たらない南アジア報道を観察してきた。
 
 ここからまず思うのは「一般読者の関心を活性化させる情報が少ない」ということである。もっとも、関心があろうとなかろうと伝えるべきことは伝えなければならないわけだが、問題はその取捨選択や解釈だ。
 
 たとえば、ほとんど意識されていないが、現在の南アジアには、3人の女性宰相が並び立っている。そのひとりが6月の総選挙で誕生した、バングラデシュでは2人目の女性首相だ(ほか2国はパキスタンとスリランカ)。
 
 他方、「第2の『悪魔の詩』事件」と呼ばれた女性作家の亡命(1994年)で国際的に名を馳せたイスラーム原理主義政党が3議席(定数330、うち30議席は女性クオータ)とさらに落ちこんだ。
 同国はイスラーム社会、イスラームといえばすべからく「一枚岩」の「過激派」で「女性虐待」とばかり聞かされる現状からすれば、これが不思議でもなんでもないことを理解するのは難しいだろう。
 
 ただでさえ南アジアは、政治・経済・民族・宗教・言語など他に類のない多様性をもち、相互に密接な社会である。にもかかわらず、針の穴から天を見るような視点が目立ち、単細胞的思考で解釈するから無理がある。
 結果としての誤解や不適切な認識が、宗教や民族紛争、開発援助、環境問題といった地球規模の課題への取り組みを、すでに少なからずミスリードしていることも懸念される。
 
 インターネットのおかげで現地媒体へのアクセスが格段に容易になったが、「乏しい経験と皮相的な解釈で、インドについての記事どころか本まで書いてしまう日本人の “大胆さ” に絶句する」(知人のインド人女性)状況は、そうかんたんには変わりそうもない。
 それだけに、わずかずつでも現状打開に寄与すべく、自分なりにとらえた南アジアを伝えていきたいと考えている。

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