【私のバングラデシュ・クロニクル】

バングラデシュ新政権がまとい続ける建国者の影

《初出:『週刊金曜日』1996年9月6日号、境分万純名義》

 8月15日は、バングラデシュにとっても忘れられない日である。
 21年前のこの日、初代大統領ムジブル・ラーマンが近親者らとともに暗殺された。

 難を逃れたのはドイツを訪問していた2人の娘だけで、姉のハシナ・ワゼドはインドでの亡命生活を経たのちにアワミ連盟(AL)党首に就任。さる6月12日の総選挙では宿願を果たし、同国2番目の女性首相となった。
 これによって、ここ2年あまりにわたる政治的膠着状態が、いちおう収拾されたかたちである。

 ワゼド AL 党首は投票直前、有権者に次のように語っている。
「独立直後の数年間、父が率いた AL 政権は何らかの過ちを犯したかもしれない。だとしたらそれを謝罪するとともに、もう一度やり直す機会を、自分と党に与えてほしい」
 バングラデシュ政治史の通説からすれば、戦後復興の停滞に大洪水が重なり全土が苦境に陥っていたなかで、ネポティズム(縁故主義)の独裁制を敷いたラーマンの責任は否定できない。いまさら「過ちを犯していたら」もないものだが、「建国の父」のカリスマ性もなお根強く、それなりに効果があったようだ。

 定数330議席のうち、直接選挙対象が300で、今回の内訳は AL 146、バングラデシュ民族主義者党(BNP)116、国民党(JP)32、ジャマーテイスラミ(イスラーム協会;JI)3、ほか無所属や小政党が各1となっている。
 残り30は間接選挙で選ばれる女性議員のクオータ(留保議席)で、すべて AL が取った。

 目立ったのは、イスラーム原理主義を標榜する JI の凋落ぶりである。「第2のラシュディ事件」と呼ばれた女性作家への「死刑宣言」騒動で知られるようになったが、もともと弱小政党だ。
 先立つインド総選挙でインド人民党(ヒンドゥ至上主義に立つ)の勝利が明らかになった5月上旬、あたかも当てつけるように300議席すべてに候補者を立てたものの、さらに票を減らした。

 他方、汚職と権力濫用罪で懲役13年の刑に服している JP党首、H. M. エルシャド元大統領が当選している。彼の軍事政権を打倒した民主化運動(1990年)の立役者こそ AL と BNP だったが、現政権としては前与党 BNP への対抗上、JP と組まざるを得ない。
 大統領府での 議員宣誓を認められた元大統領は、無条件の閣外協力を約する一方、「なぜ自由の身になれないのか理解できない」と述べた。あくまで冤罪を主張する口ぶりからしても、汚職体質に最も染まっている JP の動向が懸念される。
 合わせて、最大のドナー(援助供与国)として彼を支えつづけた前科のある日本の政府開発援助(ODA)にも、いっそう監視の目を光らせる必要があるだろう。

 新政権は、過去5年で多少の進展をみた民営化・自由化をさらに進め、積極的な外資導入に結びつけていくことを大きな議題とし、その前提として、近年とみに悪化した治安の回復を第一に据えている。不法に所持されている銃火器類は全国で10万挺、その大部分を各政党の学生組織が保有しているものと推定されている。
 政府は8月中旬、恩赦を条件に不法所持者の自主出頭を呼びかけたが、成果はごくわずかにとどまった。

 現在の国会の焦点は予算審議だが、治安をめぐる非難の応酬が野党間で続き、ひいてはラーマンの評価に議論が費やされる始末。
 AL の非民主的体質は25年前と変わっていないと BNP が言えば、独立がもたらされたのはだれのおかげかと政府が反駁する。これに呼応するかのように、ここ半月ほど、両者の学生組織間の武力衝突が頻発している。

 今回の投票率は7割と記録的に高く、「人びとが変革を求めたからだ」という解釈が現地では主流だった。
 もっとも変革しようにも、2大政党が拮抗する国政の構図が揺るがない以上、選択肢は始めから限られている。
 それゆえ、過半数を占める貧困層の真意とは、国民そっちのけでいがみ合う政治家がもたらしてきた危機的状況を打開する、とりあえずの道を選んだだけではなかろうか。それを「積極的な与党支持」と解する愚を政府が犯すなら、新たなカオスが引き起こされるだけだろう。

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