ボリウッドの「平和力」②

高らかに謳われる多様性の価値

《初出:『世界』2013年10月号(848号)、境分万純名義、
インド映画100周年に寄せて
ボリウッドの「平和力」――高らかに謳われる多様性の価値》

「ふつうのムスリム」の苦悩や怒りをみつめて
 
 まずは、アカデミー賞外国語映画賞候補になった『ラガーン』(2001)を挙げなければならない。『きっと、うまくいく』主演で、3大カーンのなかでも筆頭格、知識人から庶民までファン層がきわめて幅広いのが「ミスターパーフェクト」の異名をとるアーミルである。その彼が初製作・主演した『ラガーン』は「多様性の賛歌」の見本のような大作だ。

 英国支配下の19世紀、重税にあえぐ村民たちが、「クリケット試合に勝てば地税は免除、負ければ3倍」という賭けを英国軍人から強要される。村はいったん絶望に陥ったが、「夢はそれを見る者だけが実現できる」とうったえる主人公の説得でチームが結成される。ヒンドゥ教徒はむろん、ムスリムやシク教徒、障害をもつ不可触民までがメンバーだ。
 生存の権利を奪おうとする脅威に対して、自らの弱さ――はなから諦めることや差別意識で仲間割れすることなど――を克服し、多様な存在が団結したときの強さをもってたたかい、勝利する過程を描く、誇り高い作品である。
 英国チャンネル4の「見ずには死ねない映画50」にも加えられているように、欧米のメディア・観客のインド映画に対する印象を根底から向上させ、インド映画の世界展開の起爆剤にもなった。

 脚本を厳選することで知られるアーミルは、続いて1857年のインド大叛乱をテーマにした『Mangal Pandey:The Rising』〈蜂起、2005〉に主演する。
 叛乱の先陣を切ったバラモンのシパーヒーに扮した彼は公開時、「150年前の史実でありながらいかに同時代性をもつかに驚く。インドのために良いことをしてやるという東インド会社(英国)が実は略奪者だったのと同じように、米軍や同盟軍はいまアフガニスタンやイラクで同じことをしている」と語っている(注4)

 同じような視点に立つのが、『Kabul Express』〈カブール急行、2006〉である(注5)。01年のアフガニスタンを舞台にしたロードムービーで、インド人ジャーナリスト、タリバンを装うパキスタン軍人、地元パシュトゥーン人運転手の三者間での歯に衣着せぬ応酬が興味深い。主に大国による資源争奪戦が諷刺されるのだが、その捨て駒にされるパキスタン兵の描写がとくに哀れだ。演じるのはパキスタン人男優のサルマン・シャヒド。

『New York』〈ニューヨーク、2009〉では、9・11直後、ムスリムというだけでグアンタナモとおぼしき収容所に入れられたインド系米国人の青年が、連邦捜査局(FBI)に復讐するために本当に「テロリスト」になっていく。
 同じく『Kurbaan』〈犠牲、2009〉では、米軍がタリバン攻撃に使用した無人爆撃機によって家族を失ったパキスタン人やアフガニスタン人が米国に潜入し、ニューヨークで同時多発テロを起こそうとする。

 いうまでもないが、これらの作品は復讐なりテロリズムを奨励しているわけではない。『kabul Express』と『New York』の監督カビール・カーンが、後者の公開時に「9・11の反動は、なお全世界的に非常に色濃い影を落としている。この状況は今後も変わらないだろう」と語ったように(注6)、ふつうのムスリムが置かれた困難な状況やその心情――不安や怒りや苦悩を代弁したいということなのだ。そしてそのような状態はだれにとっても幸せではないということも。

 そうした観点から、インド系米国人でムスリムの主人公が遭遇するヘイトクライムを扱ったのが、シャー・ルク・カーン主演の『マイネーム・イズ・ハーン』(2010)だが、その公開直前には、カビール監督のコメントを裏書きするような事件が起きた。

 冒頭、主人公が空港でレイシャルプロファイリングされ、別室に勾留されて捜査官らに徹底的な身体検査をされるシーンがある。これと同じことが、プロモーションで米国を訪れたシャー・ルクに実際に起きたのだ。しかもその2年後、イェール大学での講演に招聘された入国時にも。いずれの場合も、勾留理由は明らかにされなかったが、カーンというムスリム姓が引き金になったのは確かのようである。
 国民的スターに対するたび重なる侮辱に、インド国内が騒然としたのはむろん、インド政府は外交ルートを通じて厳重に抗議したが、米国は機械的な謝罪を返しただけだった。

 映画の主人公リズワンは、移民先の米国で知り合ったヒンドゥ教徒マンディラと結婚して幸せに暮らしていた。
 しかしかれらの息子は9・11後のイスラームフォビアに毒された少年たちに暴行され、殺されてしまう。マンディラは衝撃のあまり「あなたと結婚しなければハーンという姓にならず、息子は死なずにすんだ!」と嘆き(ハーンはカーンをより原音に近くした表記)、「大統領に頼んで国中に言ってもらってよ! 僕の名前はハーンです、テロリストではありませんって!」と、やり場のない怒りをぶつける。
 ここからリズワンは大統領に会うための旅に出るのだ。

 シャー・ルクの数多い主演作のなかでも、指折りの感動的な作品である。
ちなみに、分離独立でパキスタンに移住してファンから惜しまれた大女優・歌姫のヌールジャハーンの孫で、パキスタン人女優のソニア・ジャハーンが、リズワンの義妹の役で出演している。

(注4)ニューズサイト『Rediff.com』2004年8月8日付など
(注5)別ブログ「インド映画の平和力」で、内容に踏みこんだ記事を書いている。
(注6)『Hindustan Times』2009年6月13日付。なお、カビール・カーン監督は、こののち、サルマン・カーンが製作・主演した名作『バジュランギおじさんと、小さな迷子』(2015)を撮る。


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