【読む映画】『雲のかげ星宿る』『非機械的』『黄金の河』『ティタシュという名の河』『理屈、論争と物語』

伝説的巨匠が追い求めた夢

《初出:『週刊金曜日』2007年11月2日号(677号)、境分万純名義》

 主要各映画祭が粒揃いのインド映画を揃える今年(2007年)。中でも注目されるのが、東京フィルメックスの「リッティク・ゴトク監督特集」である。

 リッティク・ゴトク監督は、1925年、英国植民地支配下インド・ベンガル地方の都市ダッカ(現・バングラデシュの首都)に生まれた。インド・バングラデシュほか世界各国で、同じベンガル語映画界のサタジット・レイ監督と同等か、それ以上の高い評価を受けている伝説的な巨匠である。

『非機械的』は、初期の代表作のひとつで、擬人化された中古のシボレーと人間との珍妙な関係を描く。フランスの著名な映画批評家ジョルジュ・サドゥール(Georges Sadoul; 1904-1967)が「ワールド・シネマの金字塔」と絶賛した作品である。

 また『黄金の河』『ティタシュという名の河』『理屈、論争と物語』の3作、および東京フィルメックスと提携する、東京国立近代美術館フィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)で上映される『雲のかげ星宿る』は、監督の評価を不動にした主要作品群だ。

 監督に決定的な影響を与えたのは、1947年の印パ分離独立だった。
 この結果、故郷のベンガルが、ヒンドゥ教徒が多数を占めるインド・西ベンガル州と、ムスリムが多数派の東パキスタン(現・バングラデシュ)に二分された。

 ヒンドゥ教徒の監督も、ダッカから、西ベンガル州都コルカタへ移住する。彼にとって分離独立とは、「政治的駆け引きの産物」としてのみならず、豊穣な文化や地域社会、そして何よりも人びとが引き裂かれるという意味で、壮大なスケールの不正義でしかなかった。  
 この不正義への怒りが、主要作品のモチーフであり、アルコール依存症の末に50歳の若さで急逝した遠因でもある。

 伝統あるインド国立映画研究所(Film and Television Institute of India; FTII)の副所長も務めたが、映画づくりに妥協をしなかったため、生前はほとんど注目されなかった。
 評価の機運が芽生えたのは死後、レイ監督が「インドが生んだ、数少ない、真の意味での個性を有した映画人」と紹介したころからだ。

 インドの神々の逸話にマルクス主義的唯物史観を織りこむ作風といってみれば、レイ監督の言うユニークさが伝わるだろうか。

 また、印バ両ベンガル語映画の個性や特徴を、先駆的に集約している点も際立つ。
 たとえば、インドでは指定カースト(かつての不可触民)と同列に扱われる先住民族やその文化に対する共感や敬意。
 2005年にユネスコが無形文化遺産に指定した(バングラデシュ)、ベンガル固有のバウル音楽の多用。
 それなくしてベンガルは成り立たない大河に、さまざまな隠喩を託そうとする趣向性。

 さらに、いずれも監督が出演もしている、『雲のかげ星宿る』『黄金の河』『ティタシュという名の河』に見られる、男性を圧倒する女性の存在感である。

 ゴトク監督の女性像は、分離独立でズタズタにされたベンガルそのものであるだけでなく、不正義に対する抵抗や、希望・再生の象徴であったりもする。
『黄金の河』のヒロインを例にとれば、彼女は、腐敗した世界を破壊するカーリー女神であると同時に、創造神としてのドゥルガ女神でもあるのだ。

 ただし、ヒンドゥ神話やその神々になじみがなくても、鑑賞にさしつかえはない。
 最近は新たに韓国でも注目を浴びたように(2006年の全州国際映画祭での特集上映)、ゴトク作品が世界中で強く共鳴されるのは、普遍的な問いを突きつけているからだ。すなわち、国籍や国境や民族とは何か、圧倒的な政治権力によって個人が故郷を追われるとはどういうことか。

 監督は、2つのベンガルの「結婚」が夢だと語り、その試みとして撮られたのが、印バ合作の『ティタシュという名の河』だった。

 2000年代に入ってから、インド・パキスタン両映画界による友好促進の気運が、かつてないほど盛りあがっている(注)
 同じことは印バ両映画界にもいえる。今夏(2007年)注目された例では、カンヌ映画祭国際批評家連盟賞のバングラデシュ映画『Matir Moina』〈粘土細工の鳥、2002〉が、インドで商業公開された。西ベンガル州の名匠監督らが、ヒンドゥ教徒過激派の妨害を駆逐して実現させたものだ。

 同様に、日本にも世界にも、それぞれの「分離」の現場で、深い亀裂をどう縫い直すかに心血を注ぐ多くの人びとがいる。ゴトク作品を通じ、かれらの存在も透かし見るようにしたい。

注 2016年以降、印パ両映画界のこうした流れは、完全に断ち切られている。対照的に印バ両映画界のほうでは、とくに2010年代以降、著名な俳優が相互に出演するほか、印バ両資本で映画づくりを行なう例が目立ってきている。

監督・脚本:リッティク・ゴトク
『非機械的』Ajantrik/1958年/インド/101分
『雲のかげ星宿る』Meghe Dhaka Tara/1960年/インド/127分
『黄金の河』Subarnarekha/1962年/インド/129分
『ティタシュという名の河』Titash Ekti Nadir Naam/1973年/インド・バングラデシュ/158分
『理屈、論争と物語』Jukti Takko Aar Gappo/1974年/インド/119分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?