【読む映画】『神さまがくれた娘』

知的障がい者の父と幼い娘の豊かな交情

《初出:『週刊金曜日』2014年2月14日号(979号)、境分万純名義》

 大ヒットしたヒンディ語映画(ボリウッド映画)『きっと、うまくいく』(2009)が、今年度(2014年度)の日本アカデミー賞優秀外国作品賞に選ばれ、2年前(2012年)の大阪アジアン映画祭でダブル受賞したタミル語映画『神さまがくれた娘』〈Deiva Thirumagal〉が一般公開される。

 この機に言っておくべきだろう。インド映画との邂逅において、日本ほど不幸な国はなかった。
「インド映画に対する日本の偏見がこうも強いとは」と最近も輸入関係者が嘆いていたが、直接の理由はタミル語映画『ムトゥ 踊るマハラジャ(1995)など、一連のラジニカーント主演作である。封建制や女性蔑視を助長する内容的な問題はもとより、それらがタミル語映画ばかりかインド映画を代表するかのようにミスリードしてきた配給・宣伝関係者らの罪は重い。

 それがためにこの15年以上、良質のインド映画に接する機会を、日本の観客がどれだけ奪われてきたか(注と付記)
 そのような呪縛を断ち切る意味でも、現在の流れは喜ばしい。

 本作は米国映画『アイ・アム・サム』(2001)の翻案で、知的障がいをもつ父と、「健常者」の幼い娘が主人公。亡き母方の親族が娘を奪おうとするのに対し、父が親権を裁判で争う物語だ。

 父を演じるヴィクラムは、タミル語映画界有数の実力派スターとみなされてすでに長い。その演技力は、見る者が心身の状態を整えないと受けとめきれないほどすさまじいのが常だった。しかし今回は良い意味での抑制が効き、くどさやお涙頂戴に堕するぎりぎりのところでとどまっている。

 子役ベイビー・サーラーとの呼吸もぴったりで、名高い高原避暑地ウッティーの豊かな自然を背景に描かれるほほ笑ましい交情が、『アイ・アム・サム』よりもはるかに印象に残る。
 つくり手の意識も何よりそこにあるようで、日本でも増えつつある障がい者の子育てに関心を向けるとき、むしろ大切なことなのかもしれない。

監督・脚本:A. L. ヴィジャイ
出演:ヴィクラム、ベイビー・サーラー、アヌシュカー、アマラー・ポール、ナーセル、サンダーナムほか
2011年/インド/149分

(注と付記)
 私自身、編集者との打ち合わせで、ボリウッドの名作・傑作を紹介する企画を口にしても、インド映画と言うだけで失笑され、本題を伝える価値や意義の説明にまでいきつけない口惜しい思いを少なからずしてきた。
 観客以前にメディア全体からして見られる、インド商業娯楽映画への日本の偏見は、ひとえにラジニカーント映画の悪印象のためなのだ。

 それでも日本に輸入公開されたもののみでラジニカーント映画を判断するのもどうかと、『ムトゥ』が日本公開された20年以上前から以降の一時期、未公開作品の DVD を多数、個人輸入してチェックしていたこともある。そうすることに意味がない、時間とカネの無駄遣いだとバカバカしくなってやめたが。

 ただし、ラジニカーント映画を肯定する日本の支持層などには、日本人のインド観が象徴的に表われているので、ずっと関心をもってきた。
 他方、同じこの20年あまりの間、取材などの折に「日本ではラジニカーント映画のファンが多いというが、いったいどういう風の吹きまわしか」(要約)と私に聞いてきたインドの著名映画人は、ひとりやふたりではなかった現実がある。

 これらふたつの事象については、日本人が自覚するなり知っておくべきだと思うので、いずれ別ブログ「インド映画の平和力」などで詳しく説明したい。

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