現代のカイシャ(会社)は黒船が来た頃の江戸幕府であり、そこに居て変わろうとしないおじさん達は士族であると考えると腑に落ちる。

家族経営・年功序列・能力主義を掲げた「カイシャ」の諸制度と勤勉な日本人気質が合わさり、飛躍的な成長を遂げ、かつてビジネスで世界一になりました。

その後ですが、バブルが弾け、「カイシャ」の戦略としてはリストラとコストカットのみの鎖国状態に陥り、世界の潮流から外れて、粛々と縮小均衡の中で事業運営をしていました。

その鎖国状態で、前例主義・形式主義が蔓延し、組織の目的はその維持だけになってしまっています。

そして、テクノロジーを神として掲げ、これまでの全ての事業者を飲み込みながら成長し続けている海外勢力が日本にも迫っています。

海外での状況を見れば、唯一の事業者のみが利益を総取りし、その国の事業や雇用は業界ごと無くなります。

おそらくこの流れでいけば、世界標準としてのサービスが行き渡り、ものすごく便利になって消費者としての日本人は幸福になるのでしょう。
ただ、日本的と言われるものは、観光資源以外には生まれなくなるだろうし、今後、一部のエリートは別にして、会社員の様な普通の日本人が世界で活躍できることは無くなるんでしょう。

この状況は経済的な植民地だと思うのは私だけでしょうか。

攘夷をせよと言っているわけでないのです。

大河ドラマの見過ぎかもしれませんが、

今のカイシャ・システムが時代に合っていないですし、世界で戦えないのは明白ですし、そこで働く従業員もあまり幸せではない様に思います。

では、それが、
成果主義という弱肉強食に映る外資のシステムに置き換われば幸せになるんでしょうか?

和を重じて全体の幸福を考えられる、日本的な新しい労働システムが必要とされていると思うのです。

かつて、
大久保利通率いる新政府は、危機への対応として、日本的なものや士族を否定することで国を変え、袂を分けた西郷隆盛は、「和」の精神を持って、士族にも軍人や警察などの新しい役割を与え、日本全体をアップデートすることを通じて危機に対応しようとしたと聞いています。

前回は武士が統治する戦闘国家であり、内戦なく政権移行を進めたため外国勢力も容易に手が出せなかったのだと思いますが、今回はどうでしょうか。

もし、カイシャという現在の日本を日本足らしめている機構が無くなり、個の集まりとなってしまった場合、今の日本的な文化や働き方に好意的な人たちのために労働環境を守れるものは何か残るのでしょうか?

今こそ、リーダーはカイシャの維持・成長や自身のポジションアップではなく、根本的な組織のアップデートを行うことが必要だと思うのですが、どうなんでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?