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振付家ジョージ・バランシンの原点『アポロ』の深淵を探る----振付指導者ベン・ヒューズのインサイド・ビュー

NBAバレエ団が2023年3月4日〜3月5日に上演する「バレエ・リュス・ガラ』で、ジョージ・バランシン(1904~1983)の振付による『アポロ』をバレエ団初演する。日本のバレエ団の国内公演としては、松山バレエ団(1988年)、牧阿佐美バレヱ団(1996年)、新国立劇場(2013年)に続いて4団体目の上演となる。
 公演に先立つ2月末、NBAバレエ団でステージングを担当したベン・ヒューズに、〈アポロ・インサイドビュー〉と銘打ち、振付指導者の観点、そして、バランシンが創設し、育て上げたニューヨーク・シティ・バレエ在籍中に本作を踊ったダンサーの観点から、『アポロ』を語ってもらった。(2023年3月3日アップ)

2023年3月4日「バレエ・リュス・ガラ」公演ちらし

踊り継がれる最古のバランシン作品『アポロ』

 1928年6月12日、辣腕プロデューサー、セルゲイ・ディアギアレフが率いるバレエ・リュスで初演された『アポロ』は、今日に踊り継がれる最古のバランシン作品だ。
 共産主義国家となった母国を1924年に去ったバランシンは、ダンサー・兼・振付家としてバレエ・リュスに採用された。しかしながら、バランシンは、ディアギレフに必ずしも厚遇されていなかった。ダンサーとして踊るかたわら、バレエ団が本拠を置き、提携していたモンテカルロ歌劇場で上演されるオペラに挿入されたバレエシーンの振付に忙殺された。新作の振付者に指名されても、同団の創設初期に一時代を築いたミハイル・フォーキンのように、コラボレーターとしての発言権が与えられることはなかった。
 既存作の再振付や新作のごく一部の振付とオペラ中の数多のバレエシーンの振付を託される〈試用期間〉を経てようやく獲得したビッグチャンスが、イーゴリ・ストラヴィンスキーの新曲に振り付けた『アポロ』だった。
 やがて不朽のバランシン作品となる本作を生み出したことによって、ディアギレフにいいように使われる便利屋に終始していたかもしれなかった24歳の青年は、〈20世紀を代表する振付家〉に変貌する端緒をつかんだ。作曲者ストラヴィンスキーの信頼を獲得し、生涯にわたる親交を結ぶことにもなった。
 『アポロ』は、振付家ジョージ・バランシンのターニングポイントとなった作品なのである。

ダンサーの〈インテリジェンス〉が試される難役アポロ

「初演から100年近く年月が過ぎた今日も、『アポロ』は、たったいま、振り付けられたのかと思えるほどにフレッシュな魅力をたたえています。当時としては、アヴァンギャルドな振付で、出演したダンサーも観客もさぞや戸惑ったことでしょう。足首をフレックスにして踊り、伝統的な技法にはなかったポアント・ワークが繰り出される。デュエットでも意表を突くリフトが使われている。バレエの技法ではあり得ない踊り方でした。ところが、この振付は今日も古めかしく見えません。バランシンの才能の為せる技です」

 全編にアヴァンギャルドな要素が散りばめられてはいるが、翌1929年にバレエ・リュスで初演された、ロシア/ソビエト時代のバレエの影響が色濃い『放蕩息子』とは異なり、古典バレエの伝統的な技法を徹底的に打破しようとする、いわゆるモダニズムの影響は薄まっている。アイディアをこれでもかと詰め込み、やり過ぎと揶揄されることのあった前衛振付家バランシンが方向転換し、アイディアを取捨選択し、洗練された振付家として歩みだしたことが見て取れる。
 バランシン作品としては珍しく、男性が主人公であることも本作の特色だ。

「表題役のアポロは、バランシンの〈ネオ・クラシック〉と称される作品のなかで、もっとも重要な男性パートだと言えるでしょう。振付自体がほんとうに美しいので、振付通りに踊れば美が生み出されるはずです。トレードマークになっている大きなジャンプや体を低くした体勢で回る回転はありますが、超絶技巧満載ではなく、技術面のハードルはさほど高くはありません。ただし、正確に踊るだけでは、そこにアポロは立ち現れない。いかなる作品にもダンサーが乗り越えるべき課題があるとはいえ、アポロを演じきるのは容易ではありません。〈神〉として舞台に存在するわけですから。自分なりの神のイメージを作り上げ、自分なりの役作りをしなくてはならない。ダンサーの〈インテリジェンス〉が試される、難役中の難役なのです」

アポロのトレードマークになっているジャンプを跳ぶピーター・マーティンス。
1979年に発売されたドキュメンタリー「Peter Martins: A Dancer」
VHSパッケージ写真

 『アポロ』には、また別の特色がある。後年のバランシンが得意とした、具象的なプロットを介さないアブストラク仕立ての作品とは異なり、個々の出演者には特定の神またはミューズという明確なキャラクターがあり、芸術と美という壮大なテーマが根底にあり、また、かなりアブストラクト化されているとはいえ、アポロの成長譚の側面を持つ。

「アポロが冒頭で踊る一つ目のソロでは、誕生したばかりのアポロの若々しく無垢な姿を見せます。二つ目のソロは、神になったアポロの踊りです。隅々まで動きがコントロールされているので、力まかせに踊ることはできない。それでも力強さを体現し、なおかつ、この世のものではない存在にならなくてはなりません。歩くにしても、等身大の人間として歩くのではなく、ダンサーとして歩くのでもなく、神のように振る舞うことが求められる。私がニューヨーク・シティ・バレエでアポロを踊った時は、偉大な存在になることを意識しました」

 インタビューに先駆けてNBAバレエ団でリハーサルを見学し、アポロの冒頭のソロの稽古の様子を目の当たりにした。
 ヒューズがダンサー達に出す指示は、ごく具体的かつ詳細だった。芸術の象徴であるリュート(長い柄のついた弦楽器)を、どのように見やるのか。どのように手に取るのか。どのようにフロアに置くのか。客席で見ていれば一瞬で過ぎ去る瞬間をとらえて、ヒューズはダンサーの動きを調整していく。
 何気ない手先や視線の動きは、単なる振付ではない。アポロと芸術の関わり方、さらにはアポロの成長の軌跡をそこに凝縮すべきであることがひしひしと伝わってきた。

NBAバレエ団でダンサーを指導するベン・ヒューズ(写真提供:NBAバレエ団)

 ヒューズがニューヨーク・シティ・バレエに入団したのは、バランシン没後の1986年のことだった。『アポロ』にまつわる無数の〈叡智〉をヒューズに伝授したのは、稀代のアポロ・ダンサーと称され、バランシンの後継者として主任バレエマスター(芸術監督に相当)に就任したピーター・マーティンスや、ヒューズの在籍時にアポロのファースト・キャストだったイブ・アンダーソン、あるいは、バランシンのミューズとして知られ、『アポロ』ほかのバランシン作品でマーティンスと組む機会が多かったスザンヌ・ファレルなど。いずれも、バランシンの指導を直に受け、バランシンの創作を支えたダンサー達である。
 ヒューズが口にした〈インテリジェンス〉という単語は、日本語では〈知性〉と訳されることが多いが、彼の言わんとしていることは〈理解力〉あるいは〈吸収力〉といった意味合いに近い。

「指導者として、私はバランシンを知る先達から得た情報を、現在の現役ダンサー達に伝えます。アポロを演じるにあたり、ダンサーによっては自分に何が必要とされているのか、何をなすべきなのか、直感的に見抜くことができます。そのダンサーが優れた音楽性を持っていれば、ストラヴィンスキーの音楽に難なく向き合い、インスピレーションを得ることができる。そういったダンサーと仕事をする場合、私の任務は振付を教え、彼らの踊りを見守ることです。ダンサー自身がリサーチをすれば、アポロとテルプシコールのデュエットの冒頭で人差し指を触れ合わせる仕草がシスティーナ礼拝堂の天井画「アダムの創造」の構図に倣っている、二つ目のソロで、アポロが左右の手を交互に握ったり開いたりする仕草(上掲ちらしの写真が当該場面)が信号の点滅を模している、随所に出てくるポーズがアール・デコ様式の彫刻を思わせる、といった情報を得ることもできるでしょう。一連の情報をどう吸収するのか、吸収した情報を自分の踊りにどう反映させるのかは、個々のダンサーの課題です。私が彼らの代わりになって踊り、彼らの内にあるものを湧き上がらせることはできません。つまり、ダンサー自身の〈インテリジェンス〉が試されるのです」

4人で踊る簡潔かつ壮大な〈グランド・バレエ〉

 出演者はアポロとミューズであるテレプシコール、カリオペ、ポリヒムニアの4人のみ。彼らが順々に踊るソロやデュエット、全員で踊るアンサンブルは、アポロとミューズにまつわる物語に準じているだけでなく、本作には登場しないソリストやコール・ドゥ・バレエの役割を兼ね、ディベルティスマン、アポテーズといった伝統的なバレエの見せ場に通じる場面を作り出す。小規模な作品でありながら、古典バレエの要素を網羅してもいるのだ。
 簡潔な作品ゆえ、配役の的確さが作品の成否を左右する。まずは、3人のミューズ役にの選び方を訊ねてみた。

「候補者全員に、3人のミューズのソロパートの振付を教え、誰がどの役の適任者なのか、判断します。人差し指を口元に添えて2番目にソロを踊る、マイムを司るポリヒムニアから決めることが多いですね。速いテンポで回転を繰り返すなど、技術的にいちばん難しいパートです。たいていのバレエ団では、この振付を踊りこなせるダンサーが限られるので、あまり頭を悩ませずに済みます。書字板を持って1番目にソロを踊る、詩を司るカリオペの振付は、ポリヒムニアに比べると難易度が低いと思われがちですが、ポアントで弾む場面が多い。正確なテンポで弾むのは、けっして簡単ではありません。小さなリラ(竪琴)を手にして3番目のソロを踊るテレプシコールは、美しいスタイルの持ち主で、優れた音楽性も必要です。つまり非常に優れたダンサーでなくてはならない。アポロとデュエットを踊りますから、アポロ役のダンサーとの相性も考慮します」

写真提供:NBAバレエ団
(下記の小野絢子プロフィールページは、リラを手にしてテレプシコールのソロを踊る写真を含む)

歴代アポロの変容:野性味溢れる青年からエレガントな神に

 アポロ役を踊るダンサーには、整った容姿、相応のテクニックはもちろんのこと、前述した通り、アポロをアポロたらしめるインテリジェンスの持ち主が不可欠である。アポロという役柄は、今日、クラシック・バレエの男性ダンサーの規範を体現する役柄と称しても過言ではない。
 ところがヒューズいわく、かつてのアポロは、キャラクター色の濃い役柄だったという。彼は〈animalstic〉と形容した。

「現在は、クラシックなバレエ・ダンサーの規範を体現する役柄とみなされていますが、以前のほうが力強さを前面に出し、動物のような雰囲気を備えた役柄でした。ピーター・マーティンスのニューヨーク・シティ・バレエ移籍が一つの契機になって、この役のイメージが変化し始めたのです」

 ヒューズがニューヨーク・シティ・バレエに在籍していた当時に主任バレエマスターを務めていたピーター・マーティンスは、泰西名画、あるいはバレエ漫画から抜け出てきたかのようにノーブルなダンサーだった。北欧系の端正な容姿、長身、金髪、碧眼。それ自体が芸術作品のようにスムーズなパートナリングの名手でもある。
 若くしてデンマーク王立バレエ団のプリンシパルに昇進したマーティンスは、1970年に同団を退団、1967年から客演していたニューヨーク・シティ・バレエにプリンシパルとして入団した。スザンヌ・ファレルとのパートナーシップでつとに知られ、バランシンは2人を多くの作品の主役に起用している。

「バランシンは時と場合に応じて、柔軟に作品を変化させる振付家でした。『アポロ』もその例にもれず、一部の場面をカットしたかと思うと、復活させたり、その時々の出演者に合わせて振付を変更したり、改訂を重ねています。マーティンス入団以前のニューヨーク・シティ・バレエで主にアポロを踊っていた、ジャック・ダンボアーズの映像を見たことがありますか? ダンボアーズのアポロは、マーティンスのアポロとは全く異なり、個性的なキャラクター・ダンサーのそれのように見えます」

 私自身、長年、マーティンスが踊るアポロの映像をバイブルのように見てきた。マーティンスが扮するアポロは誕生した時点から優美そのもので、アポロはそうあるべき役だと思っていた。同じく映像(下記のDVDに収録されている)で見た、ダンボアーズ扮するアポロが、ロックンロールばりの勢いでリュートをかき鳴らし、野生動物のようにワイルドに動き回ることに驚いたものだ。バランシンが振り付けたオールアメリカンな『スターズ&ストライプス』『ウェスタン・シンフォニー』の初演者でもあるダンボアーズのあの勇姿は、ヒューズが言うところの〈animalstic〉だったわけだ。

『アポロ』の2つのバージョン

 マーティンスが踊った『アポロ』とダンボアーズが踊った『アポロ』は、表題役の役作りが違うだけでなく、作品の構成自体が違う。前者は、今日、ニューヨーク・シティ・バレエを始めとする多くのバレエ団で踊られている、アポロのソロから始まるバージョンだ。場面展開の概要は、以下の通り。
1)アポロのソロ
2)カリオペ、ポリヒムニア、テレプシコールの入場と各々のソロ
3)アポロのソロ
4)アポロとテレプシコールのデュエット
5)コーダ(全員の踊り)
6)アポテーズ(全員の踊り―-アポロの背後で3人のミューズが陽光のように脚を上げるポーズで締めくくられる / 下記参照)

 ダンボアーズが踊ったバージョンでは、上記の前奏曲に相当する箇所で、女神レトがデロス島のキュントス山に見立てた階段状の装置の上でアポロを出産し、産着のような布を上半身に巻きつけたアポロがちょこんと飛び出す。アポテオーズでは、ギリシャ神話の主神にしてアポロの父であるゼウスの主題が流れ、アポロがミューズを従えて階段を登っていき、再び現れたレトが仰ぎ見るシーンで締めくくられる(下記参照)。ここでの階段は、ゼウスが住まうパルナッソス山に見立てられている。
 2013年の新国立劇場公演では、当時の芸術監督デビッド・ビントレーの意向で、出産場面のあるバージョンが選ばれた。1988年の松山バレエ団も出産場面付き、1996年の牧阿佐美バレヱ団は出産場面のないバージョンだった。

「バランシンは、『アポロ』の美術を簡素なものに変えていきました。初演時にアンドレ・ボーシャン(1873年~1958年)がデザインした装置と衣装、初演の翌年にココ・シャネルが再デザインした衣装は、現在は使われていません。個人的にはこれらの美術や衣装はとても美しく、出産場面付きのほうが物語が分かりやすいように思います。現在では、出産場面を上演するバレエ団はごく少なくなりました」
 幾度かの改訂を経て、ニューヨーク・シティ・バレエでは1957年にタイトルを原題の『ミューズを導くアポロ / Apollon Musagete』から『アポロ / Aollo』に改め、衣装は簡素な練習着を採用、1978年に出産場面がカットされ、1979年以降は舞台装置も全廃された。
 従って、前奏が終わり、フロントカーテンが静かに上がった時、観客が目にするのは、舞台装置のないステージの中央で、リュートを手にした、古代ギリシャの彫刻のように凛としたアポロの姿だ。一切の装飾を取り除いた、簡素だけれども美しいアポロの姿がそこにある時、全観客は思わず息を呑み、熱い視線をアポロ役のダンサーに浴びせかけるだろう。ヴァイオリンの奏でるメロディにのってアポロが片腕をぐるぐると回してリュートを奏でると、観客はさらに熱く、そして期待に満ちた視線をアポロに浴びせかけるだろう。今宵、そこにアポロが立ち現れるのか――。何度見ても、胸の高なりを抑えきれないオープニングである。
 ニューヨーク・シティ・バレエで『アポロ』を踊ったヒューズは、フロントカーテンの反対側で同役を踊ることを許されたダンサーだけが感じ得る高揚感に浸っていたという。

「オーケストラの前奏が流れ、フロントカーテンが上がるのを待つ間の胸の高なりは、今でも鮮明に記憶に残っています。私自身はバランシンと直に接する機会はなかったけれども、彼を直に知る人たちを介して、弱冠25歳のバランシンが振り付けたこの美しい作品を踊ることの幸せを噛みしめたものです」

 2月21日、NBAバレエ団のホームページで、アポロを踊る2名の男性ダンサーの名前が発表された。前述した通り、日本国内のバレエ団の国内公演としては、松山バレエ団、牧阿佐美バレヱ団、新国立劇場に続いて4団体目の上演である。
 すでに上演を行った3団体の公演に主演した日本人ダンサーは、松山バレエ団の清水哲太郎、新国立劇場の福岡雄大(ヒューストン・バレエのコナー・ウォルシュとのダブルキャスト)の2人(牧阿佐美バレヱ団公演では、アメリカン・バレエ・シアターのロバート・ヒルが表題役に客演)。今回のNBAバレエ団公演で、3人目と4人目のアポロが日本国内で誕生する。
 NBAバレエ団公演で幕が上がる時、果たしてアポロを演じるダンサーの胸の内に、そして彼らを見る観客の胸の内に、どのような思いが湧き上がるのだろうか。心して開幕を待ちたい。

〈追記〉今回はリハーサルの合間の取材であったため、残念ながら、ストラヴィンスキーの音楽やアポロとテレプシコールのデュエット等について、聞き尽くせなかった。稿を改め、『アポロ』探索を続ける所存である。

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