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#190 キャロルさんの奇跡講座レッスン

奇跡講座の最も初期からの学習者であり教師のひとりであるキャロル・ハウさんによる、ワークブックのレッスン講座の音声を、彼女のイキイキとした語り口にインスパイアされて翻訳を試みています💖お手元にワークブックを準備してお聞き(お読み)ください♪

※ ワークブック訳は"There Is No Spoon "https://thereisnospoon.jp/blog-entry-822.html と、「奇跡講座 ワークブック編」(中央アート出版社)を参考にしています。

キャロルさんの奇跡講座レッスン190 元の講義はこちら→https://youtu.be/krQ4rh2h8mg


ようこそ皆さん、
レッスン190

私は、苦痛の代わりに神の喜びを選択する。

苦痛の代わりに神の喜び、愛の喜びを選ぶほうが、良さそうな選択に思えますね(笑)

苦痛があるということは、間違ったものの見方をしているということです。いかなる形であれ、苦痛を感じるとき、それは自己欺瞞に陥っている証拠です。

苦痛は、まったく事実ではありません。

もしそれを正しく見るなら、消え去ることのない苦痛の形などひとつもありません。というのも、苦痛はは残酷だと宣言しているわけだからです。

いかなる形であれ、どうしてそんなことが本当でありうるでしょうか!

苦痛は、父なる神わが子(被造物/クリエイション)を憎悪して、わが子を罪深き者とみなし、狂気に陥ったわが子に復讐と死をもたらすことを願っていることを証明します。」

あら、あら!

「このような投影が真実だと証明できるでしょうか。」

ここでの「証明」とは、それが正しく真実であり、本物であると断言することです。

「それらはただ完全な間違以外の何であり得るでしょう。苦痛は、ただが自分が何者なのか思い違いしていることを証明するだけです。」


私たちは自分たちのことを、物体であり分離したモノと見なしています。そしてそれは間違いです。

「苦痛は、まったく攻撃しようのないものを攻撃したことについて、つまり、犯しようもない罪に対する苛烈な報復という夢なのです。」

なぜならそれは、攻めることなど到底不可能な聖なるものへの攻撃であるからです。

「苦痛とは、自分が永遠の愛に見捨てられるという悪夢ですが、自らの愛ゆえに創造したわが子の許を去ることなど愛にできるはずがないからです。」

愛そのものがそれ自身を延長として私たちがあり、だから私たちは愛そのものなのです。そのつながりが絶たれるということは、ですから、到底あり得ないのです。

「苦痛は、幻想が真理の座を奪って支配している印です。苦痛は、が拒絶され、恐ろしいものと混同されて、(怒りではなく)狂気であると知覚され、神自身に対する反逆者であると見なされていることを実証します。

もしが実在するなら、一切の苦痛はありえません。

もし苦痛が実在するなら、は存在しません。

なぜなら復讐は愛の作用ではないからです。  

そして、愛を否認してが死んだ証拠として苦痛を利用することで、恐れる者は、死が生命を打ち負かす勝者であると示したというのです。死によって朽ち果ててしまう身体こそが神の子であり、彼が殺したと同じように死すべき運命にある存在だというのです。」

はぁ!混乱の極みだわね。

「こんなにも馬鹿げた思いに平安が訪れますように。こんな狂った考えを笑い飛ばす時が来たのです。そんな思いのことを残忍な罪であるとか、重大な結果を伴う秘密の罪であると考える必要などありません。 

狂気に陥った者以外のいったい誰が、何事かの原因としてこのような思いを思いつくことができるでしょうか。このような思いを証明する苦痛は、それらの思いと同様に狂気であり、苦痛が保護し、依然として真理であるに違いないと実証しようとしている狂気の幻想と同様、恐れるに足らないものなのです。

あなたに苦痛を引き起こすのは、あなたの思いだけです。

あなたの心の外部の何ものも、あなたを傷つけたりあなたに危害を加えたりすることは少しでもできません。」

この記述はまさに〈白か黒か〉を突きつけています。

「あなた自身以外には、あなたの心の内側に到達して抑圧することのできる原因は何もないのです。あなた自身以外には、誰もあなたに影響を及ぼすことはできないのです。」

お気づきのように、これらはまったく明快な、誤解の余地のない断言となっています。

「この世界の中には、あなたを病気にしたり、不幸にしたり、弱くて脆いものにしたりする力など何も存在しません。反対に、ただ単に自分が何者なのか認めるだけで自分の見るすべての物事を支配する力を持っているのは、まさしくあなたなのです。

あなたがすべての物事の中に無害さを知覚するなら、すべての物事は、あなたの神聖な意志を自分のものとして受け入れるでしょう。」

あなたが見るものすべてにおいてと言っていますよ。

「そして、かつては恐ろしいものに見えていたものは、いまや、無垢性と聖性の源となります。」
無垢性と聖性と美、そして愛の源となるんです。

「聖なる兄弟よ、次のことをしばらく考えてみてください。あなたの見ている世界は、何もしません。あなたの目にする世界には、何の影響力もありません。あなたの目にする世界は、あなたの思考の反映でしかないからです。あなたが自分の心を変えて、神の喜びを自分の真に望むものとして選択するなら、あなたの見る世界は完全に様変わりするでしょう。」

これはまさしく最初のレッスンに戻ります。ワークブックのはじめの方のレッスンで、繰り返し何度もあなたが考えるものがあなたが見るものであると述べられてきました。あなたが見るものはあなたが考えていることです。

「あなたの自己(あなたの実相)は、変わらないまま、変わることもなく、不変なるものとして、永遠にいつまでも、この聖なる喜びの中で輝き続けます。」

わかりますね?これは非常に力強い、紛らわしいところの一切ない宣言です。

「そうだというのに、あなたは自分の心の小さな片隅に自ら承継した財産を受け入れることを拒んで、その小さな場所を、最終的には死ぬために命あるものがやってこなければならない病んだ場所である苦痛の病棟として保ちたいのでしょうか。

この世界はあなたに苦痛を引き起こしているように思えるかもしれません。」

『思える』というのは重要な表現ですよ。

「それでも、世界には原因がない(幻想である)ので、何かを引き起こす力を持ち合わせてはいません。世界は結果なので、世界は結果を生み出せないのです。」

鏡の中の像は何かを引き起こしたりなどしませんね。ただそこにいて、反映としてあるだけです。

「世界は幻想なので、世界はあなたの願望の産物です。あなたの空疎な願望が、この世界での苦痛として表れます。あなたの不自然な願望が、この世界に不幸な夢の数々をもたらすのです。あなたの死の思いはこの世界を恐怖で包みこみますが、反対に、あなたの優しい赦しはこの世界を生気にみなぎらせます。

苦痛は、不幸を思う思考が形をとって、あなたの聖なる心を荒廃させているものです。苦痛は、自由にならないためにあなたが喜んで支払った身代金です。」

これが狂気に聞こえなくて他に何でしょう。

「苦痛の中では、神の愛し子が、に対して拒まれています。苦痛の中では、恐れが愛に勝利を収め、永遠と天国の座を時間が奪い取っているように見えます。そしてこの世界は、無慈悲で峻厳な場所となるように思えます。そこでは悲しみが支配し、すべての喜びを悲惨さの中で終わらせようと待ち構える残忍な苦痛の猛攻を前にすれば、わずかばかりの喜びも道を譲ります。

あなたの武器を捨てなさい。そして、ついに天国の平安があらゆるものを静かに支配している静穏な場所の中へと無防備のまま入ってきなさい。

危険や恐怖についてのあらゆる思いを放棄してください。いかなる攻撃をも一緒に連れてきてはなりません。

自分の喉もとに突きつけている裁きという残忍な剣を下ろして、あなたが自分の聖性を隠そうとして行う、荒廃をもたらすだけの攻撃をやめなさい。

ここであなたは、いかなる苦痛も存在しないと理解するでしょう。
ここでは、の喜びはあなたのものです。

今日は、救済の力のすべてを含むレッスンをあなたが理解する日です。
それとは、苦痛は幻想であり、喜びが実相だと理解することであり、苦痛はただ眠りこけていることに過ぎず、喜びは目覚めていること、苦痛はまやかしであり、喜びだけが真理であるという学びなのです。

だから私たちは、もう一度、本当になすことのできる唯一の選択をすることにします。
私たちは、幻想と真理、苦痛と喜び、地獄と天国の間の選択をします。」

これらの二者択一は全部同じことを意味しています。

「苦痛の代わりに喜びを、罪の代わりに神聖さを、葛藤の代わりにの平安を、そして、この世界の闇の代わりに天国の光を、私たちが自由に選ぶことができるようにしてくれるのですから、私たちの教師が私たちの心を満たしてくれることに感謝を捧げましょう。」

あなたの心を入れ替えて、あなたの生命を入れ替えましょう。

とても美しい、大切なレッスンですね。
今日もあなたが美しいレッスンを実践してくれるといいわね!苦しみはただ溶けて消えていきますよ。あなたの苦しみがどんな種類の、どんな見かけであっても。

また明日もお会いしましょう。
バ〜イ♪


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