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#221 キャロルさんの奇跡講座レッスン

奇跡講座の最も初期からの学習者であり教師のひとりであるキャロル・ハウさんによる、ワークブックのレッスン講座の音声を、彼女のイキイキとした語り口にインスパイアされて翻訳を試みています💖お手元にワークブックを準備してお聞き(お読み)ください♪

※ ワークブック訳は「奇跡講座 ワークブック編」(中央アート出版社)を参照しています。

キャロルさんの奇跡講座レッスン221
元の講義はこちら→https://youtu.be/coH3SUlsp2I


ハロー皆さん♪
あなたがここまで来てくれて本当に嬉しいです。ワークブック第2部の始まりです。序文と、これから始まるレッスンの導入部があります。これは 1 回限りのことなので、今回のレッスンは長くなりますよ。そして、残りのいくつかはかなり短いものです。今回は全体像を描くマップとなります。

そしてここで注目してほしいのは代名詞「we」です。
これが暗示するのは、あなた以外の誰かがここであなたを助けているということが、非常に明らかです。言い換えれば、私たちには助けがあるのです。
そして、あなたにとってぴったり来るのなら、これをイエスとして考えても良いし、またはコースの著者、あるいは単なる存在として考えても、完全に正しいものです。どう捉えようと関係ありません、同じ効果が得られます。

重要なのは、ここでの仕事に携わっているのはあなただけではないことを理解することです。わかったかしら?
さぁ、行きましょう!

「ここから先は、言葉はあまり意味をもたなくなる。言葉は道しるべとしてのみ用い、もはやそれに頼ることはしない。」これは知的なプロセスではないからです。

「これからは真理の直接的体験だけを追求する。残りのレッスンは、私たちが苦痛の世界を離れて平安の中に入る時間の導入部にすぎない。」ここで述べられていることは、私たちが世の中の事柄に注意を向けるのをやめて、静かになることを意味します。

「これから私達は、このコースが定めたゴールに近づき始め、これまでの演習が常に目指してきた目的地を見出せるようになってくる。」その目的地とは、心の平安です。それがこの奇跡のコースが明言しているゴールです。なぜなら今、私たちの心にはそれが無いからです。

「これからは、演習を単なる出発点とする。そのあとは静かな期待の中で、父なる神を待つ。は自ら最後の一歩を踏み出すと約束した。だから、神の約束が守られることは確実である。私たちはこの道を遠くまで歩んできて、今、を待っている。これからも、朝と夜に好きなだけの時間をとともに過ごすことを続けていく。

しかしもはや時間の長さは問題にしない。望む結果に必要なだけの時間をかける。また日中は、忘れずに一時間ごとにを思い出す。自分のゴールを忘れそうになって神/愛が必要となった時にも、必ず神/愛に呼び掛ける。

これからも毎日ひとつの中心概念を使用することを続けていき、休息の時間のはじめや、必要に応じて心を静めるときにも、その概念を用いる。しかし、にささげた1年を締めくくることになるこれからの神聖な時間において、私達は単純な練習をするだけでは満足しない。簡単な歓迎の言葉を述べたあとは、が約束通りご自身を顕現してくれるのを待つ。私達は神/愛に呼び掛けた。そして神の子父/愛の名を呼ぶときには、決して応答なしに放っておかれることはないと、は約束している。

今、私達は、の言葉だけを心にとどめ(言い換えれば静けさをもって)、胸に抱いてのもとへ行き、神自身が私達に向かって踏み出してくれる最後の一歩を待つ。それは、私達から招かれたなら必ず神ご自身が踏み出してくれると、の声を通して約束されている一歩である。」

そうです、私たちは今までの人生で神を招くことはほとんどなかったのです。

はわが子が狂気の中にいても彼から去ったことはなく、ご自身に対する彼の信頼を裏切ることもなかった。のそのような信義を思えば、私たちを幸せにしようとするの求めに応じて、私達はを招き入れてもよいのではないだろうか。私達は招待を差し出し、それは受け入れられるだろう。そのようにして、私達がとともにいる時間は過ごされる。私達は、の声が勧める招待の言葉を述べ、それからの訪れを待つ。

今この時、予言は成就されている。今、往古の約束はすべて守られ、完全に果たされている。もはやその成就の時間を遅らせるような行程はまったく残っていない。今や、私達に失敗はありえない。
静かに座り、あなたの父である愛の臨在を待ちなさい。を迎えることが自分の意志だと認識したあなたを訪れることが、神の意志である。

そしてたとえ漠然とでも、それが自分の意志だと見なしていなかったなら、あなたは決してここまでこられなかったはずである。

私がこれほどあなたの近くにいるのだから、私たちに失敗はありえない。」

「私たち」というこの言葉に注目してください。誰かがあなたの手を握っていますよ。

よ、この悲しみの世界から離れ、そのかわりにあなたから与えられている世界を受け取る方法を教えてくれた聖霊に感謝しつつ、私達はこれらの神聖な時間をあなたに捧げます。

私達はもう後ろを振り返りません。前を向いて、旅の終わりだけを見つめます。これらのささやかな感謝の贈り物を、私達から受け取ってください。キリストのビジョンを通して、私達は自分で作りだした世界を超えたところにあるもう一つの世界を眺め、その世界(光の世界)を、自分の世界と完全に入れ替わるべきものとして受け入れます。

そして今、私達は静かに、恐れることなく、あなたの訪れを確信して待ちます。私たちはあなたが遣わしてくださった導き手に従い、道を見出そうとしてきました。私たちは道を知りませんでした。」

そう、私たちは道を知りませんでした。そして狂気のエゴの道に従ってきました。

「しかし、あなたは私たちをお忘れにはなりませんでした。ですから私たちは、今あなたが私たちを忘れはしないとわかっています。ご意志のままに往古の約束が守られることだけを、私たちは求めます。これを求めることにおいて、私たちはあなたとともに意志しています。

自らの神聖なる意志により一切を創造した父と子に、失敗はありえません。この確信を抱いて、私たちはあなたの御許へ向かう最後の数歩を踏み出し、あなたに呼びかける子を見捨てることのないあなたの愛を、自信を持って頼みとします。

こうして、私たちはこの神聖な一年の最後にさしかかる。真理と、その一なる愛の創造主であるあなたを探し求めて、私たちはともにこの年を過ごしてきました。私たちはが私たちのために選んだ道を見出し、」奇跡のコースが私たちを見つけ出しました。私たちがそれを見つけたのではありません。

「神が私たちを進ませようとする通りに、私たちはその道を歩むことを選んだ。の手は私たちを支えてきた。」神の手はたった今も、私の手を握っています。神の想念は私たちの心の闇を照らしてきた。神の愛は、時間が始まって以来、絶え間なく私たちに呼びかけてきた。

私たちはかつて、がご自身のものとして創造したわが子を失うように願った。」

言い換えると、私たちはわが家から離れ、自分自身を自分の個人的神として据えることを決めたのです。

「神がご自身を変化させ、私たちの望む通りのものになることを欲した。そして自分達の狂った欲求こそが真理だと信じた。今、私達はこうしたことがすっかり取り消されていることを喜び、もはや幻想を真理だとは思わない。」

もはや他と切り離された孤独な見捨てられた者とは思わない。

広大な地平線で光がきらめき出すように、私たちの心は神/愛を思い出し始めている。あと一瞬のうちに、それは再びよみがえるだろう。あと一瞬のうちに、神の子である私たちは、が私たちを住まわせようとするわが家に、無事に帰っているだろう。

もはや練習の必要はほとんどなくなっている。この最後の段階では、私たちはに呼びかけるだけですべての誘惑が消え去ることを理解するようになる。」

私たちはここで、この世の中で起きていることに関わらず、愛そのものとそれを経験することに意識を傾けるようになります。

「言葉の代わりに、」いかなる知的理解の代わりに、「神の愛を感じるだけでよい。祈りの代わりに、神の名を呼ぶだけでよい。」

意識を傾けなさい、と言っているのです。

「判断する代わりに、ただ静かにして、すべてが癒されるままにするだけでよい。」それというのも、私が裁いている限り癒しは来ないからです。

「私たちは、神の計画の始まりをそのまま受け入れたように、その終わりもそのまま受け入れる。そうして今、それが完了する。この年は私たちを永遠のもとへ連れてきた。

しかし私たちは、もう一つだけ言葉の用途を残しておく。毎日のレッスンとその後に訪れる言葉を超えた深い体験の時間に加えて、時折、特別な関連テーマの解説が挿入される。こうした特別な解説は、次のテーマの解説があるまで、毎日読み返し、復習しなければならない。

それを毎日、神聖な恵みの時間のいずれかを始める前にゆっくりと読み、少しの間それについて考えるようにしなさい。今から、最初の解説を始める。」

さて、ここから始まる最初の指示は「赦しとは何か」についてです。その後、いくつかの段落があり、それに続いてさらにいくつかのレッスンが連なります。それから別の短い指示でいくつかのことを復習する事が求められます。「キリストとは何か」「聖霊とは」「世界とは」「エゴとは」、そういった事柄についてです。

これから始まるいくつかのレッスンでは実際に短めの練習テーマに入る前に、毎回、最初のインストラクションを読み返してくださいね。さて、最初のインストラクションはこれです。

1.赦しとは何か

1.赦しは、兄弟から自分に為されたとあなたが思っていたことは、起こってはいなかったと認識する。罪を赦すことで、それを実在するものとして扱うのではない。罪は存在していなかったと見るのである。その見方において、あなたの罪のすべてが赦される。罪とは神の子についての偽りの概念以外の何だろう。」

偽りの概念とはつまり、私たちが別々の分離した個体の集まりであり、愛がないと考えていることです。

「赦しは、罪をただ虚偽と見るので、それを手放すのみである。そうなれば、今や神の意志は、自在に罪と入れ替わることができる。」


2.赦したくないという思いは、裁く思いであり、その判断が真実でないにもかかわらず、決してそれを疑おうとしない。心は閉ざされ、解き放たれることがない。そうした思いは、心の鎖を固く締めて投影を守るので、歪曲はさらに覆い隠され、曖昧となる。疑問を差し挟むことは難しくなり、理性からさらに遠ざけられる。凝り固まった投影と、その投影がゴールとして選んだ目的との間に入り込めるものは、何もない。」

つまり、私たちがこれまで何度も繰り返し言われてきたように、私たちが他人に見ている気に入らないところは、私たちが自分の中に持っていることを恐れているものなのです。だから私たちはそれを相手に投影するのです。

3.赦したくないという思い(他人に映し出された私自身の罪悪感)は、さまざまなことをする。自分が選んだ道を邪魔すると見えるものを捻じ曲げ、くつがえし、自分のゴールを必死になって追求する。」

赦したくないという思いにとって、敵とみなしている相手が行う良いことは邪魔となるため、それを無視します。そして自分は間違ったことをしてしまったと恐れる気持ちだけに焦点を当てているため、それを相手に向けて投影します。そうすれば自分はもうそれを持たなくて済むと考えているからです。

しかし今ではもう、罪悪感を他人に押しつけても、それは自分の内側でますます強くなることが私たちにはわかっています。そんなことをしても消えないと知っています。

「歪曲することがその目的であり、それを達成するための方法そのものも歪曲である。怒り狂って実相を粉砕しようとするばかりで、」これは私たちの内側の光を曇らせてしまうということ。「自らの見解に対立するかに見えるものには一切関心を持たない。」エゴが生き続けるためにはそうしなければならないからです。

「一方、赦しは、じっと静かにしていて、何もしない。実相のどの側面をも害することはせず、自らが好む外観へと捻じ曲げようともしない。ただ見て、待つのみであり、判断はしない。
赦そうとしない者は価値判断をせずにはいられない。赦すことができずにいる自分を正当化してしまうからである。しかし、自分自身を赦そうとする者は、必ずありのままの真理を歓迎することを学ぶことになる。」

ありのままの真実とは、あなたの兄弟に罪はないこと。あなたに罪はないこと。何事も私たちの真実の姿を損なうことはないということです。

「だからあなたは何もせずにいなさい。そして、何をなすべきかは、聖霊による赦しを通して教えてもらいなさい。」

心の中にある狂った考えを手放すことで、何をすれば良いのかを教えてもらいなさい。

聖霊は、あなたの導き手救済者保護者であり、強い希望を抱き、あなたが最後には成功を収めると確信している。聖霊は既にあなたを赦している。」
つまり聖霊はもうすでに何の問題も見ていません。
「それがから聖霊に与えられた機能だからである。」
私たちの中にある、真実だけを見る部分には、自分自身が間違ったことを作り出しているというイメージについてまったく知りません。

「今度はあなたが聖霊の機能を共有し、聖霊が救った者を赦さなければならない。聖霊は彼の無罪性を見ており、神の子である彼を讃えている。」

誰も罪を犯しておらず、損なわれたものは何もないという視点を大事にし、その目で見る必要があるのです。私たちはあらゆる夢をこの実相の中に持ち込んできましたが、ほんとうは皆が純粋なまま、わが家で健やかに暮らしているのですよ。


レッスン221

私の心に平安が訪れますように。雑念がすべて静まりますように。

1.よ、私は今日、あなただけが授けることのできる平安を求めて、あなたの御許に参ります。そのとき私は沈黙しています。 私のハートの静寂の中、心の深みにおいて、あなたの声を待ち、耳を澄まします。よ、今日、私に語ってください。あなたが必ず私の呼びかけを聞き、私に答えてくださると信じつつ、沈黙と確信と愛の中で、あなたの声を聞くために御許に参ります。

2.そして私たちは静かに待つ。私たちが一緒に待っているのだから、神/愛はここにいる。があなたに語り、あなたがそれを聞くだろうことは確実である。私の確信を受け入れなさい。それはあなたの確信でもある。私たちの心はつながっている。私たちはただ一つの意図を抱いて待つ。それは、自分の呼びかけに対する父の答えを聞き、雑念を鎮めての平安を見い出し、私たちの本性についてが語るのを聞き、がわが子に自身を啓示してくれるように、という意図である。


美しく、静かな練習の時間を過ごしてください。この世の中に関するあらゆる考えを手放して、じっと鎮まり、沈黙します。そして誰かがあなたと共にいてくれるのを知っていてください。あなたと共に、大勢の見守ってくれる存在がいて、あなたを愛しています。あなたがこの認識を心に抱くとき、彼らが入ってくる余地があるのです。


また明日お会いしましょう。
バ〜イ♪


#奇跡講座 #ACIM #奇跡講座ワークブック #奇跡のコース

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