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#135 キャロルさんの奇跡講座レッスン

奇跡講座の最も初期からの学習者であり教師のひとりであるキャロル・ハウさんによる、ワークブックのレッスン講座の音声を、彼女のイキイキとした語り口にインスパイアされて翻訳を試みています💖お手元にワークブックを準備してお聞き(お読み)ください♪

キャロルさんの奇跡講座レッスン135

元の講義はこちら→ https://youtu.be/zTnb7HaqgqU


ハロー親愛なる皆さん、レッスン135です。
この「自分を防衛するなら、私は攻撃される」というタイトルのレッスンは「防衛しないことの中に、私の安全がある」(レッスン153)と姉妹レッスンになっており、ワークブック全体の中で最も長い2つのレッスンであることをお伝えしておきます。

ですからこれは重要なポイントに違いありません。この2つのレッスンはどちらも(原書で)4ページ半もあります。
私たちはここで述べられている事に細心の注意を払う必要があるのです。
では、どんなことが書いてあるのか見てみましょう。

「攻撃されていると思わない限り、誰が自分を防衛したりするだろうか。また、その攻撃が実在するもので、自分で防衛すれば自分を救えると思ったのでない限り、誰も防衛などするはずがない。」とあります。
この最初の一文で、すぐにこう思うのではないでしょうか。
「えっ、それ本当?自分の身は自分で守らなければならないでしょう?鍵をかけたり、防護服を着たり、核爆弾を持ったり、とにかく自分の身は自分で守らなければならない」

「ここに防衛の愚かさがある。」

防衛の愚かさとは、「幻想や幻覚に完全な実在性を与えた上で、」
私たちはそれが完全に現実だと確信し、見せかけの状況なのに、現実のように思いこんでしまうのです。

「その幻覚をあたかも実在するものとして扱おうとする。

それは幻覚のうえにさらなる幻覚を重ね、訂正を二重に難しくする。」

未来を計画するとき、私たちはこのようなことをするのです。そんなことを、誰が想像したでしょうか。

「過去を思い起こしたり、自分が望むように現在を整えようとする時にあなたのしていることは、まさにこのことである。」

エゴに従って現在の出来事を整理するとき、私たちはそれが快適さや安全をもたらしてくれると考えています。

「あなたは、今起きていることには、何か自分を脅かすものがあるはずだから、自分を守らなければならない、という信念を抱き、その信念に基づいて行動する。

脅威を感じるということは、内にある弱さを認めることであり、適切な防御をしようとさせるだけの威力を持つ危険が存在する、という信念である。」

言い換えれば、外の世界にはあなたとは独立した、あなたを捕まえようと狙っているものが存在する、という思い込みです。

「世界はこの絶対的狂気の信念に基づいている。(ここをよく聞いてください!)そしてそのあらゆる構造、そのすべての考えや疑念、罰則、その重装備の軍隊、法律的な規定や規約、その倫理や指導者や神々、こういったすべてが、脅威の感覚を維持するためだけに働いている。
武具で身を固めて世界を歩く者は誰でも必ず、自分の胸(ハート)に襲いかかる恐怖を感じているからである。」

言い換えれば、自分を守れば守るほど、より危険にさらされると感じることになるのです。なぜなら、私たちが意識を向けるものは、より大きくなるからです。

つまり、自分を防御するということは、より多く防御しなければならないものを求める祈りのようなものです。
賢明な考えとは言えませんね。

「防衛は恐ろしいものである。それは恐れから生じ、防衛するたびに恐れを増大させる。あなたはそれが安全をもたらすと考えている。」

世界的に見ても、軍備が拡大すればするほど、誰もが安全でないと感じていることに気づきます。脳細胞が1つでも機能している人なら誰でもこれがわかるはずです。

「防衛とは、恐れが実在化され、恐怖が正当化されたことを物語るものである。

あなたが綿密に計画を立て、武装をより堅固にし、錠前をもっと頑丈にしようとするときに、立ち止まって、自分は何を何からどのように守ろうとしているのかを尋ねてもみないのは、奇妙なことではないだろうか。

まずはじめに、あなたは何を守ろうとしているのか考えてみよう。

それは非常に弱々しくて、簡単に攻撃されるものに違いない。それはすぐに餌食となり、自分で自分を守ることができず、あなたに防衛してもらうことを必要とするものに違いない。

そのわずかな生命を守るために、絶え間なく気にかけ、油断なく心配する必要があるほどに脆弱なものと言えば、肉体以外に何があるだろう。」

しかし、肉体はいつかは衰え、神の子にふさわしい宿主として仕えることができないのです。

私たちは、「身体はとてもか弱いものだ」と信じています。体をどうしたら安全に保てるかについての宣伝広告の砲弾を浴びせられていることからも分かるように、製薬会社は、私たちがそう考えるので大喜びしています。

「しかし、肉体そのものが恐れるわけではなく、恐ろしいものになれるわけでもない。

肉体は、あなたからあてがわれる必要以外には必要というものを持たない。

それは複雑な防衛の仕組みや、健康増進剤を必要とせず、世話も心配も必要としない。

(さあ、これを注意して聞いて!)

その生命を防衛したり、美しくするための贈り物や安全にするための防壁を肉体に与えるなら、あなたは自分の住む家が、時間という泥棒の出入りする、朽ちて崩れていく家だと言っていることになる。あまりに安全性にかけるので、命にかえても守らなければならないと言っているのである。

これこそ、恐ろしい映像ではないだろうか。自分の住む家についてのそのような考えを抱きながら、安らぎを感じることができるだろうか。

しかし、このようなものとしてあなたに仕える権利を肉体に賦与したのは、ほかならぬあなた自身の信念である。」

ここで、肉体の機能はエゴに奉仕することだと主張しているのです。
つまり、「私」という物語を促進するためです。

「今あなたが肉体の中に見ている機能を肉体に与えたのはあなたの心であり、塵と水でできた小さな塊でしかないものに、それよりはるかに高い価値を与えたのも、あなたの心である。」

肉体を構成する要素の価値は忘れてしまいましたが、2ドルくらいだったはずです。

「このように認識されたものなら、誰がそれを防衛したりするだろうか。

肉体に防衛は必要ない。

このことは、いくら強調しても、しすぎることはない。もし心が、肉体を乱用しなければ、肉体は丈夫で健康でいられる。
肉体の乱用とは、肉体が果たせないような役割や、その許容範囲を超えた目的や達成できないほど高い目標を、肉体にあてがうことである。

そのような、馬鹿げているのにひどく大切にされている試みが、あなたが肉体に対して仕掛ける多くの狂った攻撃の源である。

なぜなら、肉体は、あなたの希望や必要や価値観や夢を裏切るもののように見えるからである。」

私たちが肉体を攻撃するのは、肉体が私たちを安全で幸せで魅力的な存在にすると決定しているからです。

私たちはこの肉体にあらゆる種類の任務を課していますが、それがうまくいかないときは、そうですね、電話を攻撃するようなものなんです。電話で伝えられたメッセージが気に入らなくて、電話を攻撃するようなものなんです。

身体は通信機器のようなものです。しかし、メッセージを伝えているのは私たちです。
電話がメッセージの発信源ではないのと同じように、メッセージは肉体から発信されるのではありません。

「保護を必要とする〈自己〉は実在しない。
肉体は無価値であり、ほんのわずかでも防御する値打ちさえない。
それは単に、あなた自身とはまったく別のものとして知覚されればよいものであり、」

つまり、服が自分の一部でないようなものです。あなたは衣服をまとっていますが、衣服はあなたではありません。
価値もなく、防御する値打ちもない肉体は、ただ自分とは別の存在として認識されるだけでいいのです。
「そうすれば、肉体は有用でなくなる時まで、心がそれ通して作動できる健全で長持ちする道具となる。」

電話を、メッセージを伝えるまで話し続けるために用いるように、その有用性が終わったときにはそれを持ち続けたいと思いませんね。

私はコロラドからフロリダに引っ越したとき、冬用のコートをたくさん置いてきました。
フロリダでは冬のコートは必要ないですから。不要になったものを手放すだけ。コミュニケーション・デバイスとして使い終わったら、肉体の役目は完了です。おわかりね?


「肉体を防衛するなら、あなたは自分の心を攻撃したことになる。それは、あなたが心の中に欠陥や弱点や不足を見たということであり、そうしたものから救われるべきものが肉体であると考えているということだからである。

あなたは、心を肉体の状態から切り離したものとして見ようとはしない。」

つまり、私たちが自分自身についてダメ出しをする時、それは身体と等価であるということ。

「そして、心はほかの心からもそのからも分離した有限で壊れやすいものである、という概念から生じるあらゆる苦痛を、肉体に押し付ける。
こうした考え方こそが、癒されるべきものである。」
なぜならそれは非常に間違っているからです。

そして肉体は、そうした考えが訂正され、真理と入れ替わったとき、それに応えて健康になる。これが肉体の唯一の防衛である。

しかし、あなたは肉体の防衛をここに求めているだろうか。
あなたは自分の心の苦悩を増大させるだけで肉体には何の利益もないような保護策を提供するだけである。」

それが「魔術」であり、正しい食事や、薬といったものなのです。魔術が問題というわけではありません。ただ、それがあなたにとって何か利益をもたらすなどと考えないように。

「あなたは癒されることがなく、癒しの希望そのものを奪うだけだ。なぜなら、もしそれが意味のあるものであるためには、希望がどこに置かれるべきなのかが、あなたにはわかっていないからである。」

さて、ここからいくつかのパラグラフにわたって、非常に注意を引かれる記述が続きます。

「癒された心は、計画を立てない。」

計画を立てないなんて!私が歩けるようになったときから、計画を立てなければならないと言われ続けてきたような気がします。

「自分のものではない叡智に耳を傾け、そこから受け取る計画を実行する。」
自分自身の直感や導きに耳を傾けるんです。

「何がなされるべきか教えられるまで待ち、それを実行に移す。
自分に割り当てられた計画を遂行するための適切な準備をする以外、自分自身に頼ることはしない。」

私たちが実際に実行できないような計画が私たちに割り当てられることはありません。

「より大いなる善のため、ゴールを達成するために前進しているとき、どんな障害もその歩みを妨げることはないという確信のもとに、安心しきっている。」

私たちはこれを直感によって知らされます。
それは、私たちが目覚め、ひとつになり、実在を知覚し、どれほど愛されているかを認識する方向へと、私たちを導いてくれるのです。

「癒された心は、自分で計画しなければならないという信念から解放されている。それでも、その心には、最良の結果やそれを達成する手段は何なのか、より大きな計画が解決することになっている問題はどのようにして認識できるのかを、知ることはできない。」

というように、私たちにはわからないことだらけです。

「このことが本当だと認識するまでは、心はどうしても自分の計画で肉体を誤用してしまう。
しかし、これを真理として受け入れたとき、心は癒され、肉体を解放する。

癒されていない心が、自らを救うため作り出した計画に、肉体が隷属させられるなら、肉体は必ず病気になる。」

これは、私たちが危険を感じれば感じるほど、私たちは体に「攻撃されている」と言い聞かせ、体もそれに倣って攻撃されるように見えるからです。

「癒されていない心は、その小さな保護をはるかに超える計画が、少しの間その心からの協力を必要としていても、そのために役立つ手段となれるほどに自由ではない。」

少しの間、協力する際に、私たちは皆、より多くの愛を経験し、さらに実在化し、より多くの喜びを得、より深く平和になるために、独自の貢献をしています。

私たちはそれぞれ、この計画の一部分を持っているのです。

そして、もし私たちがこの計画に奉仕することを選ぶなら、私たちの健康は保証されます。

「この計画のために心が用いるものはどれも皆、そこで授かっている力とも相まって完璧に機能し、失敗することはあり得ないからである。」

自分の計画を実行しようとすると、このような保険はついてきません。しかし、もし私たちが導きに従っているのなら、私たちが必要とするすべての助けを得ることができるので、安心することができるのです。

「自分ひとりで立てる計画がどれも単なる防衛策に過ぎないと知覚するのは、容易ではないかもしれない。」

言い換えると、エゴの計画は、攻撃されること、正体が明らかになること、正しくないということがバレることなどから自分を守ろうとするものだということです。

「そうした計画は、怯えた心が、真理や人間関係、すべてを犠牲にしてまで、自分の身を守ろうとしてとる手段である。

こうした自己欺瞞が取るいくつかの形態の中でも、実相否定していることが明白なものについては、これを理解するのは難しいことではない。」
私たちは壁を認識し、鎧を認識することはできます。

「しかし、計画することがすなわち防衛であると認識されることは滅多にない。

自分自身のために計画を立てることで頭がいっぱいの心は、未来の出来事をコントロールすることに余念がない。」

20年後の老後のために計画を立てようとしている人がどれだけいるでしょう。自分の仕事で起こりそうなこと、あるいは子供のことで計画しようとしているとき、焦点は未来にあります。

そして「自分で自分の蓄えを作らない限り、どこからかそれが与えられるとは考えない。」

私たちは、自分が完全に自分だけの力で生きているように振る舞い、そう信じています。
この惑星でのわずかな年月を、どうにかやり過ごし、安全に過ごすことができるかどうかは、私たち次第だと考えています。

だから「時間は、未来に重点が置かれたものとなり、過去の出来事や以前に思い込んだ信念から得た学習や経験によってコントロールされることとなる。」

つまり、心は未来を知りようがないので、時間には未来が含まれず、現在を見落とすことになるのです。

しかし、今、この瞬間が新しい、まっさらな瞬間であり、ここでこそあらゆることに変化を起こせるのです。
しかし、私たちはこの現在を見落としてしまいます。
なぜなら、私たちは今、過去が私たちに必要なことをすべて教えてくれたという考えに安住しており、心が未来の道筋を方向づけるのを許しているからです。

私たちは、「私は大人だから、世の中がどう動いているのか知っている、何が危険なのか知っている、何から身の安全を守らなければならないのか知っている」などと考えます。

「だから計画する心は、変化を可能にすることを拒否している。」

なぜなら、過去や未来のことを考えるのをやめれば、今この瞬間に変化を起こすことができるからです。

その結果、「心が過去に学んだことが、未来のゴールの土台となる。過去の経験が、未来に起こることの選択を方向づける。

そうした心は、古い考え方や病んだ信念が継続しないような、過去とはまったく異なる未来を保証するために必要なすべては今ここにあるということを理解しない。

現在の確信が行先を導くのだから、予想はいかなる役割も果たさない。」

心を変化させることが、私たちの今日の目標です。エゴはこの考えを嫌います。エゴは過去と未来が連続しているという考えが大好きなのです。それがエゴに安定感をもたらすので、今この瞬間、物事が変わり得るという事実を、ただひたすら無視しようとします。

さて。次の段落では、
「防御とは、真理に対してあなたが作り上げようとする計画である」と述べています。

「その目的は、あなたが自分で良いと認めるものを選び出し、あなたの現実の信念と相容れないと思うものは無視することにある。しかしその後に残るものは無意味なものだ。」

なぜなら、あなたの防衛が攻撃し、不明瞭にし、ばらばらに分解し、十字架にはりつけにしようとしている「脅威」とは、まさに、私たちの実相だからです。エゴは私たちにワンネスを体験させたくないのです。

「もしあなたが、過去、現在、そしてこれから起こるあらゆる事柄とすべての出来事が、つまり私たちの人生のすべてが、あなたの幸福だけをを唯一の目的とする存在によって優しく計画されていると知っていたら、何かを受け入れないことなんて、できるだろうか。

おそらく、あなたはの計画を誤解しているのだろう。はあなたに苦痛を与えることはない。」

そんな馬鹿な!と言われるかもしれません。「私の人生には、あらゆる種類のひどいことが起こってる。
家が燃えたり、子供が自殺したり、餓死してゆく人がいるというときに、いいことがあるはずがない!」と言うかもしれません。

しかし、ここでの鍵は、あなたがの計画を誤解していたことです。
があなたに苦痛を与えたのではなく、あなた
の防衛がすべてを台無しにしてきたのです。

あなたは防衛することに意識を向けてきたので、あなたがこれまで歩んできたすべてのステップで、彼の愛と祝福の輝きを見ることができなかったのです。

あなたは実際、死のための計画を作り上げました。が、あなたを永遠の命へと優しく導き、目覚めさせるのです。

あなたの中に存在する愛、つまり「神に対するあなたの現在の信頼もまた、防御であるが、(私はこの、防御という言葉よりも、戦略であると考えた方がいいと思います。)それは、ひと筋の悲しみの跡も残さず、喜びだけが絶え間なく増え続けるような、何ものにも乱されない未来を約束する。

それにより、この人生そのものが、時間の中におかれていても、ただ不死性のみを注視する聖なる瞬間となるからである。

だから、「現在の信頼だけを防衛とし、それに未来の方向を決めさせなさい。」
つまり、新しい今の瞬間から始めるのです。新しい一日を始めるのです。

そして、今日のプレゼンスと直感と安心感に、未来へと導いてもらいましょう。そうすれば、この人生は、真理、愛に満ちた真理との意味のある出会いとなるのです。しかし、それを隠しているのは防御だけです。真理は今ここに、すでにあるのです。

「防衛がなくなれば、あなたは、天国が感謝しつつ自らのものと認める光となる。そしてその光は、時間が生まれたときに始まった往古の計画に従って、私たちの幸せのために定められた方法に従って、私たちを導くだろう。」

時間が生まれた瞬間に、それは瞬時に修正されました。それは、私たちが自分自身の自覚に戻るという贖罪の原理であり、そこから私たちが決して離れていません。

「あなたに続く者たちもあなたの光と一緒になり、世界が喜びで照らされるまで、その光を拡大させ続ける。そして、個人的な防衛であれ、軍事的な防衛であれ、それが何であれ、何の役にも立たず、ただ恐怖を与えるだけの役に立たない防衛を、喜んで皆、放棄することだろう。」

「私たちは今日、現在の確信をもって、その時を待ち望む。これが私たちのために計画されていることの一部だからである。
今日これを達成するために、私たちに必要なものがすべて与えられていることを確信する。

どのようにしてそれがなされるかは計画しない。代わりに、真理が私たちの心に確実に明かされるために必要なのは、」私たちが無防備でいて、何の意図もなくただ存在することだけだと心しておく。

もし私たちが計画を立てたり、考えに考えて、さらに考えたりするのをやめれば(だって計画を立てるのは考えることが必要ですから!)、物事は解決します。

今日一日に2回、15分間の練習時間では、無意味な計画やあらゆる思考、小さな個人的な「自己」の思考や、真理が心にやってくるのを妨げる「私」の物語などから解放され、休息します。

今日、私たちは計画する代わりに、受け取ることにしましょう。そして、手はずを整えようとする代わりに、与えることにします。

「整える」のが私は大好きなんですけどね!私は大の整理好きなんです(笑)

そして次のように言うとき、私たちは真に与えられるのです。

「自分を防衛すれば、私は攻撃される。
しかし、無防備であればあるほど、私は強くなり、私は自分の防御が何を隠しているかを知るだろう。」

意識を向ける場所が重要であることを思い出してください。
もし私が無防備であれば、私は誰も罪を犯していないと宣言しているのです。
私は傷けられることはありません。私は傷つくつもりはないし、もちろんあなたも傷つくことはありません。

「もし、立てるべき計画があるなら、あなたにそれが教えられるであろう。
それは、あなたが必要だと思っていた計画ではないかもしれないし、あなたが直面していると思っていた問題に対する答えでもないかもしれない。しかし、それは、そもそもあなたは何者なのか、という別の種類の問いに対する答えなのだ。
その問いは、ついにあなたに大いなる答えが訪れるときまで、つまり、あなたについての真実が明らかになるまで、必要な問いなのです。」

エゴは「今日、こんなことが起こるはずじゃなかったのに!」思うかもしれません。

でも振り返ってみて、よくよく考えたら、自分の思い通りにならなくて本当に良かった!と思うことがよくあります。

あるいは、今日降って湧いたような出来事が、後で起こったことにつながって、その関連性を見出すことがありますね。

「あなたのすべての防御は、今日あなたが受け取ることになるものを受け取らないことを目指してきた」(笑)つまりあなた自身のワンネスを経験するためのステップを受け取らないことを目的としていました。

そして、「素朴な信頼の光と喜びの中で、あなたは不思議に思うだろう。なぜ、自分が解放から身を守る必要があるなどと思っていたのだろうか、と。」なぜなら、解放は喜びと平和が生まれる場所だからです。

天国、すなわちワンネスは何も求めません。
とてつもない犠牲を要求するのは地獄です。

今日、無防備な状態で創造主にありのままの自分を見せるとき、あなたが諦めるものは何もありません。

あなたは少なくともワンネスを経験することを望んでいます。
はあなたを憶えているのです。

だから、今日は、あなたがを思い出しましょう。今は私たちの救済における、イースターの時期だからです。イースターとは、復活または生還のことです。死や絶望と思われたものから、あなたは再び蘇るのです。

「今や希望の光があなたの中で再生する。なぜなら、今、あなたは防衛せずに、神の計画の中における、あなたのための役割を学ぶようになるからである。」

あなたが神の声、あの導いてくれる深遠な直感から自分のはたらきを受け取ったとき、どんな卑小な計画や魔術的な信念やちっぽけな「私」の物語に、またま価値があると言えるでしょう。
なぜなら、自分で計画しないことでもたらされる幸福の全ては、あなたが思い描くことさえできないものだからである。だから今日、学びなさい。

そうすれば、全世界がこの大きな一歩をあなたと共に踏み出し、ともにあなたのイースター、復活の時を祝うだろう。」

一日を通し、馬鹿げた些細な事柄があなたの内に防衛を引き起こし、「ああ、安全じゃないから身を守らなくちゃ!」と計画を立てるようにあなたを誘惑するように見えても、今日は学びのための特別な日であることを思い出し、こう言ってください。

「今日は私のイースター、復活の時だ。
今日は私がやっと生き返る時間であり、私が何であるかを理解する時間だ。
そして、私はそれを神聖に保つつもりだ。
私は自分を防衛しない。
なぜなら、神の子であるすべての被造物は、実相の真実に対して身を守る必要がないのだから。」

個人的にも集団的にも、防御がいかに私たちの中心的概念であるか、またそれがどれほど有害であるかがわかる、とても長いレッスンでした。

そして、私たちはそれとはまったく逆の方向に進まなければなりませんね。それは直感に反するように思えますが、それが私たちが歩むべき道なのです。

素晴らしい練習時間にしてください。
また明日お会いしましょう。
バ〜イ♪


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