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お城素人が城郭対談を聞く

 2月17日 「ガイドウォークin奥びわスポーツの森」を無事に終えた後、湖北文化ホールへ向かいました。

1.「長浜城H-1グランプリ2023 表彰式&優秀作品発表会」
2.「第2回特別講座 対談 近江の城郭を語る8」

 先週に続いて「2」の感想を報告します。素人報告です。

 中井均 滋賀県立大学名誉教授、太田浩司 淡海歴史文化研究所 所長
のお二方の対談です。

 中井先生は昨年11月の隣地見学会で一乗谷朝倉氏遺跡を案内、説明をしてくださった城郭専門家です。
 太田先生は昨年8月の湖北戦国バスツアーで訪問した長浜の戦国史跡を案内、説明していただいた近江の歴史専門家です。


副題「戦国期から織豊期しょくほうきへの城郭変遷~城と城下町から地域を見直す~」

 私は友の会に入るまでは、このような講義等が開かれていることを知りませんでした。知っていたとしても興味なしで、「ふ~ん」すらなかったでしょう。今年で第8回と知って、昔の自分が残念でなりません。

1.坂本・大津から膳所へ
2.小谷から長浜へ
3.佐和山から彦根へ
4.安土から八幡へ
5.音羽から日野へ
6.岡山から水口へ
7.一乗谷から北庄・福井へ
8.月山富田から松江へ

ざっくり
 軍事目的の山城から、流通の拠点として城下町ごと陸運、水運に強い平野部へと移っていった。

 山城は戦国の城としてカッコいい存在ですが、敵を見張ったり籠城したりするためのお城だし、鎧着て登山する様を想像すると大変。物資も運ばなきゃならないなら下の方がいいし、いつまでも戦が続くわけではないと考えれば、交通の便が良い平野部に町ごと移すのが得策。しかも海や湖、川に近ければ船が使えて物流が盛んになって豊かになる。街道沿いでも良い。

 現実的に考えて維持管理が楽な方を選びますよ。(素人発想)


この対談で知ったこと。
 安土城近くに城下町はできないだろう。内湖で陸は湿地。なるほど…。
 あと、「本能寺の変」の後も織田家の城として使われていることを知りました。(即焼けて落ちたと思っていたけれど、どうも違うらしい。ドラマではお城が燃えていたような。)天正13年に秀次が八幡に城と城下町を移したけれど、信長色をなくすことと、城下町の変革が必要だったらしいとか。
 いつの時代も、影響力の強すぎた人の影を消すことは、大事なことなのかもしれないなと思いました。

 城郭の移行は国を発展させるために必要だったことを知りました。ということは江戸前期のお城は領主が城下町をまとめるために住むところ?となりますよね。
 今ある立派な天守を備えたお城が、戦に巻き込まれるのも江戸末期だったと思います。(農民一揆でお城が落ちた話は聞いたことがない…。)

 他にもいろいろと聞いたけれどまとめるのが大変です。
 坂本城の三の丸石垣が見つかった話、宅地造成工事を中止するというニュースを見て、保存が決まったことを知りました。対談があった日は工事が中止になるかどうか、まだわからない状況で、中井先生もやきもきしていたようです。工事を請け負っていた会社も大きな決断だったと思います。

 勉強不足の私にはその貴重性がイマイチ理解できていませんが、それでも発掘調査で出土した遺跡等は残すべきだと考えています。規模が多少小さくてもできれば残してほしいな…。
 今回の対談と、昨年の隣地見学会を思い出して、そう思うようになりました。それはいいことなのかな?


2月26日

カワラヒワ
スズメ

2月27日

雪降る朝
はっきり見えないけれどヒヨドリ

2月28日

トビ
スズメ

2月29日

トビ

3月2日

ユリカモメ
アトリ
梅とお城
ねこ
伊吹山

 今日3月2日は奈良県に行く予定をしていたのですが、天気が悪くなるという予報を聞いて、朝の外を見て、諦めました。下旬に行くことにしました。雪につかまる山越えはできれば避けたいところです。


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