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ちょこっと勉強「有間皇子」⑤

 今回蘇我一族の潜り込みを調べるにあたり、神話時代、古墳時代の天皇家家系図を調べるのに参考とさせていただいたのは、サイト「日本ってどんな国 https://jpnhist.com 」です。

 こちらのサイトで家系図を見ていきました。(純粋に宮内庁の資料を確認するのは、とても難しそうなので敬遠しました。)

 ここで家系図を調べると初代天皇となった神武天皇から12代景行天皇までは、天皇の子が次の天皇になっているように見えます。

 ただ13代から怪しくなっています。

 成務天皇の子ではなく、日本武尊とフタジイリヒメノミコトとの間にできた子が14代仲哀天皇となって後を継いでいます。
 このサイトの系図では成務天皇と日本武尊はおそらく異母兄弟。フタジイリヒメノミコトは皇女かと思います。(系図が真の真実を表しているとは思っていません。)

 そしてこのあたりから本当の人間臭みが出てきているのかもしれません。


 仲哀天皇の奥さんは有名な神功皇后です。「オキナガタラシヒメ」。難しいので無視します。
(参考 「日本古代国家の成立と息長氏」 著:大橋信弥)
 ただし、神功皇后を凄い人物として立てたのは、神様の血が今も受け継がれているのだと知らしめるためだと思います。伝説があまりにも無理すぎると思っています。

 人間臭みが出過ぎて、神様(アマテラス)の威厳が消えかけていたのを憂慮したのかも知れません(私の想像)。

 ただ純粋に、早い段階で神様の血は完全に薄く薄くなっていたと思います。
 神様の血を残し続けるために近親相姦を続けていれば、一族は明らかに滅びます(中世ヨーロッパ王族の闇みたいな感じ)。外からの血を入れないといけませんから、皇女ではなく純粋に人間の血です。ただの人間ではなく、生き続けることが出来る強い人間一族。豪族です。

 そして蘇我氏の娘の名前が出てきているのは29代欽明天皇の時代です。二人います。
 31代用明天皇、32代崇峻天皇が蘇我氏の血を引いています。

 これだけでも蘇我氏が朝廷内で権力を持つのは十分かと思います。

 他にも天皇にはなれなくても親王、内親王として蘇我の血を引く皇族はいたと考える方がよいでしょう。

 そんな感じで朝廷内で勢力を伸ばした蘇我家がうざいですよね。
 中大兄皇子と中臣鎌足によって倒された蘇我入鹿、蘇我蝦夷は自害、参考にした書籍に、蘇我入鹿は蘇我宗家とあったのでこれの直系一族は滅んだことになります。

 皇子にとっては神様の血を引く自分たちが、ただの人に支配されていくのが許せなかったと考えるのはファンタジーの世界観なのでしょうか。

 孝徳帝になった時に、阿部倉梯麻呂(孝徳帝の妃「小足姫」の父親)が左大臣、蘇我倉山田石川麻呂(孝徳帝の妃「乳娘」の父親)が右大臣に任命されています。舒明天皇の娘(中大兄皇子の妹)の間人皇女を皇后にしています。
(参考 「謀略の渦 有間皇子の生涯」 著:山路麻芸)

 名前から阿部氏も豪族のはずです。
 また蘇我倉山田とありますが、蘇我氏一族の支流に当たる一族だと思います。

 家系図からも大昔の天皇家はとても難しいです。

 蘇我氏に限らず豪族にとって、天皇家にどうやって潜り込むか、気に入らない皇子たちをいかに排除するかの謀略に長けたものが力を持つ。

 天皇家にとっては兄弟同士で蹴落としあいをするのも、結局は一番上に立って帝を名乗るため。

 どちらもいい人である必要はないのかもしれません。だから人間臭い。

 「有間皇子」が排除されたのも人間ドラマの中の一コマなのかもしれません。(韓国の時代劇ドラマがとてもわかりやすいです。)

 「有間皇子」を貶めた「蘇我赤兄」は「蘇我馬子」の孫らしいです。

 蘇我赤兄にとっては中大兄皇子は憎むべき相手のはずだけど、自分の娘を中大兄皇子に嫁がせています。表向き忠誠を誓い、裏では再び支配を目論んでいたのかも知れません。

 「有間皇子」は蘇我赤兄と中大兄皇子の間に生じた、目には見えない駆け引きの道具にされただけなのかも知れないなと、ファンタジー目線で考えています。
 だから「悲劇の皇子」なのだと思います。

 もっとまじめに勉強すれば真相にたどり着けるかも知れないけれど、大昔の天皇家はファンタジーの世界観で見ていかないと難しいというのが私の感想です。


今日の写真は「湖北野鳥センター」に向かう途中の集落と、センターから東(山本山方向)の集落で撮ったものです。


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