連作だった、「硝子窓」について

今朝、起きたら、路面が濡れていた。どうやら、十五夜は、雨だったようだ。金曜日に、気になる即興をご紹介するつもりが、まったく、曜日感覚を失っていた。(申し訳ありません。……聴いている方もいらっしゃるのですね。)
土曜日に、はたと、金曜日過ぎてるじゃん、と、やや、タスクオーバー気味の先週。

YouTubeは、しばらく見ていなかったのだけれど、Instagramに時々あがる、ストーリーは、うっかり、次に何を作るのか、気になってしまう。常田さんの新譜、「硝子窓」について、これは、買って聴きたい曲です。曲だけでなく、MVがいいですね。
硝子窓と言えば、「君の名は」(ドラマ)ガラス越しの演出を思い起こすんですが、

「硝子窓」のMVは、もっともっと遠いむかし、昔話の「竹取物語」を思い出して、郷愁かノスタルジーか、そんな気持ちをわかるまでには、あと50年ぐらいかかるかもしれないな。と、黒田征太郎さんのエッセーを読みながら思ったことを思い出していた。

月に想いを馳せるのは、自分の置かれている場所から遠く離れたことについて、考える時間で、それは、物事を俯瞰する、というようなことかな、と、思います。

「硝子窓」には、熊か、熊のぬいぐるみを着たたぬきか、壊れかけたロボットかつぎはぎのぬいぐるみみたいなたぬき、中には人間?多分、たぬきがタクシードライバーで、そのたぬきは、運転席に乗っているだけで、運転手は、他にいて、操られたたぬきは、椅子に座って、暗闇の向こうを見て、時の流れを見ている。銀の鳩のバッジを持ち主は、大事にしているはずなんですが、たぬきが、ちらっとそれを見やる。
(「それが、あると、おれは、もっと飛べるんだよ、」)

(「あ、これ??うん、まあ、いずれなくなる私だから、あげる、そのかわり、行ける所まで行ってくれる?行き先は、どこでも構わない、とにかく、遠くに行きたいの。ほんとうは、そんな遠くに行きたいわけじゃないんだけれど」)

あてどなく、言葉なく、時のドライブ中、そんな、やりとりをしているようで、
大事にしているものを手放して、銀色の歯ががっちり、真実を飲み込んだ時に車体から羽が生えるところが、いいなぁと観ている。その前に見える、白く交差する立体の道を、車が走る風景がいいですね。実際に運転する平地では見ることはない景色、心象風景だと思います。
「君たちはどう生きるのか」の、白い部屋、人が生まれるまでの道のりの風景にも見えて、好きなシーンです。

ラストの赤い落ち葉か、花びらか、遠くまで行ったつもりが、近くの公園のようにたどり着いて、タイムマシーンで、未来に行ったつもりが、今日にたどり着く、そんな、滑稽さも含む日常にもみえた。

行きたい場所ではなく、会いたいに人に会えたよつなラストで、たぬき(定かではない)は、いい仕事したな。影の役者として、かっこよさを発揮しているな、と、何度も見返す。見れば見るほど、コマ送りが楽しい。車から足が生える、垂直に登る。白線が伸びやかに交差するあたり、何度見ても、いいなぁ。ずいぶん見返した。

前回の「カメレオン」に出てくる、女性かな、と思える虚像は、人形だからこそ、感情移入したくなるのは、なんでだろう。

作った人は、誰ですか?いいですよね。MV。

(2023年10月28日の日記より)



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