記憶の行方#「笹山農園だより」から阿部薫

大友良英さんのツイートで、「笹山農園だより」を知り、阿部薫の本が出ていたことを知った。

阿部薫といえば、アルバム『彗星パルティータ』が思い浮かびますが、阿部薫って誰なの?って方のために、軽く記すと、フリージャズのアルトサックスプレーヤーといえば、検索もしやすいでしょうか。

1949年5月3日に生まれ、1978年9月9日、29歳の若さで亡くなっています。それぐらいはWikipediaにのっている。

聴いたことがある人は、わかるでしょうが、阿部薫の何が衝撃かって、一言でいえば、変態でしょ(←褒めてます)、言葉の選択を間違った、裏打ちされない感情とともにお酒を呑みたくなる。これでいいんだ、あれ?拍は、どこなの?あれ?オモテ?ウラはどこ?と、彼の呼吸が音になってしまっている。なんと言ったらいいのかな、ジャズは、裏打ちすれば、いいってことではない!と主張しているような音。固定概念に縛られるな、て、いっているよう。

ビル・エバンスは、ほぼ、ジャストに近い、レイドバックには、オレは肌は白い、だけど、オレのジャズを弾く、という主張に聴こえる。

自分の道を歩くために、息を吸って、吐いて、また、吸って、吐く。裏とか表とか、そういうことではなく、阿部薫の身体を響かせる、生きている息遣い、それが彼のジャズなんだと思う。

混沌とないまぜの迷いや戸惑いみたいなところも全部音になっているよう。

本当がなんなのか、わかんないのさ、と問いかけられてもいるよう。

それぞれの場所で奏でることはできる。つながる、とか、絆とか、そんなtermがあっても、孤独や疎外感は、誰かがどこかで感じてしまうもの。

一人の時間を知ると、「会いたかったんだよ」と、生を感じるし、突き抜ける感情を手にすることもできる。

「彗星パルティータ」は、突き抜けようとする感情みたいだ。

ただ目の前の一人のために、伝えようとすることが、100万人に届くこともある、とは、学生の頃、映画の哲学を教えていただいた先生からの受け売りですが、「エリーゼのために」が美しいのは、mellowなメロディラインが耳に残るけれど、一人のために描いた愛の歌だから、こどもは憧れを持って聴いてしまうのではないのかな。

阿部薫は、俺の道を歩く、生きるために、息を吸う、吐く、とてもシンプルだ。

個人的な話しをすると、てか、ずっと個人の話し。

ジャズを聴き始めたのは、中3から高校一年生ぐらいの時期でしたが、ビル・エバンスを聴いた後に、ベートーヴェンを聴いて、阿部薫を聴くと、なんじゃこりゃ!と驚くしかない。初めて聴いた時は、本当に驚いた。

女性の声帯に近いアルトサックスとの出会いは、漫画「blow up!」が、きっかけでしたが、阿部薫になぜたどり着いたか、親しい友人がすすめてくれたため、アルバムを購入した。その時、阿部薫は、他界されており、ライブを聴くことも叶わなかった。ライブアルバムは、出ていますが、ライブがやっぱりいいな。それもかなわないのだけれど。

大友良英さんの弦楽器のノイズを聴いていると、なぜかライブする阿部薫を想像してしまう。







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