聴いたことがない曲を聴いてみる。「雨燦々」を聴いて思うこと。

今まで行ったことがない場所で聴いていなかった音楽を聴いてみる。行ったことがない所へ行ってみよう、という試みは、ちょっとした冒険みたいなものです。

「雨燦々」は、KING GNUさんの音楽ですが、この曲、何度聴いても涼しい気分になります。え?皆さんご存知?そうでしょうね。フェスの人々の揺れ具合を見ると大人気なんだとわかります。夏も終わろうとしていて、なおさら蝉しぐれ感が増す。


MVは、思春期の疾走感やプールに飛び込む時の水しぶきのように、青色空まで飛び跳ねて、時間の流れの速さを実感します。

「雨燦々」の、何がよいかと聞かれたら、井口さんの声。井口さんの声が、清涼感とそこはかとない脆さや儚さ、でも、謳歌しましょうね。と、歌われている

♪あーめさーんさーんとー

を聴いていると、思います。
その声は、女性の声にも聞こえたり、少年の声にも聞こえたり、ふわふわした軽さがある。おそらく、朗々と歌い上げることもできるのではないかと思いますが、あえてファルセットで歌っているところ。フェザー級に軽い。この軽さを出せるのが、よいな、と思う。

この時に畳み掛けるベースがかっこよい。

♪あーめさーんさーんとー

のアンサンブルが爽やか。突然のスコールを浴びるような気分になる。

♪いーのちーみじーかしー、恋せよおとめー

を思い出しつつ、

名前がKING GNUになる前の時に作られたアルバムもロックチューンですが、オルタナティブだな、と思う。伝えるセンテンスをたくさん持っているけれど、ロックを選んだのは、何でだろう。伝えられる術として選んだ理由を聞いてみたい。また、いったい、常田さんどんな曲を聴いているのだろう。プレイリストがあったら聴いてみたい。

KING GNUは、アップルミュージックでは、オルタナティブにカテゴライズされており、そうよね。そうそう、と、アップルミュージックに共感していたのでした。

KING GNU以前のアルバムは、内省する気持ちが強く出ているように思う。ロックなつぶやきで、学校の屋上で歌われており、まだ、教室内では、聴かれていない曲のように聴こえて、いずれ、ノックアウトするような勢いやポップな一面もある。

KING GNUが、フジロックに出た年、偶然、こどもを連れてフジロックに行ったので、子もわたしも聴いていたことを思い出した。

KING GNUがKINGになったな、と、思えた曲は、「飛行艇」でした。この曲では、ロックの幕開けじゃないのと思えるドラムで始まる。それから、常田さんの低音の声が映える曲だと思う。重低音が好きな10代に響いてしまうのかも。そして、ベースのためにあるようなメロディー。想像したのは、大地讃頌。なんでか、合唱曲を想像してしまう。

どちらの曲もゆったりとしたテンポで、モデラートぐらいの感覚でのんびりお散歩しながら聴ける。そして、「逆夢」は、盆踊りのノリがあり、大きな輪になった人々を揺らす。音頭のテンポに近い。和風なノリ。

「飛行艇」「逆夢」そして、「雨燦々」

KING GNU、大人の三部作だと思う。

戻れない日々を受け入れた大人の10代の風景が描かれていると同時に、今を10代で過ごすこどもへのメッセージとも受け取れる。

♪会いたい人が待っている

爽やかに通り抜ける風を受けて走り去る自転車の音や風を受けるギターのメロディーを聴いていると。なんだろうか、昭和の懐かしさが漂う。懐かしさを描けたら大人だと思いますが、井口さんが歌う限り少年の歌として聴こえてしまう。そして、生い先が短いわたしが聴くと、生きる意味を問われているように思う。

懐かしさとあやうい少年の心、

これが、KING GNUの魅力かな。

アーティストは、唯一無二の存在でありたいはず。

ロックは、死んだのではなく、

adidasのCMのコピーでも言われているように、

「何度でも、塗り替えられ、」

生きているな、と、思う。

ステージ上での常田さんは、冷静沈着、大量の白いスモークの中、み、見えませんけれど……と言った場面でも、冷静に演奏するという。演奏しているけれど、冷静に踊る人々の声を聴いているのではないかな。

ヒットを飛ばせるって、世の中の声を聴いていて、それに響く答えを音楽として奏でているからではないかな、と、当たり前のことを思った。


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