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適度な距離感を保つ

嫌われる勇気で話題となったアドラーが
「人間の悩みは、すべて対人関係である」
と言うように、毎日毎日起こる悩みの多くは
対人関係が原因だと私も思う。
そこで私がふと感じた事を綴っていく。

私達は個々に独立した個人

 私たちは個々に独立した個人であり、
相手もまた同様である事を忘れてはならない。距離が近いと何故だか時折、自分と同じではなかろうか?
似てはなかろうか?等と期待を寄せてしまう。そしてそれが為されなかった時には落ち込むのだ。だが忘れてはならないのは私達が個々に独立した存在であると言う事だ。故にお互いの間には自由があると言う事を忘れてはならない。その為にはしっかりと個々に独立した存在となる事。己を大事にし、己の考えをも大事にするのだ。その上で相手に耳を傾けよと、決して相手と自分を混同するでないと思うのである。

名前がついた関係性の中にある自由

 「友達」「恋人」「夫婦」という名前のついた関係性に縋り付いてしまうとこれを見失ってしまう事を忘れてはならないと思うのだ。この名前のついた関係性があると私達は安心するのだ。これが自分の居場所だと縋り付いてしまう。しかしそんな関係性の中にあっても私達の間には自由が存在していると言う事を忘れてはならない。
 「今日はこんな事があった」「なるほど」「これは嫌だ」「ごめんね」と相手の話に耳を傾け、応答的な関わりを持つ。忘れてはならないのはお互いが異なる価値観を持つ者同士であると言う事だ。互いに似ている部分がある事に対して甘えず、相手をしっかりと見つめよ、そしてその声に耳を傾けよと私は思う。


 関係性という事に甘えず、見失わずにお互いが独立した個々であり、その間にある自由さを認め合う事。
お互いが異なる時を楽しみ、「ただいま」「おかえり」「いってきます」「いってらっしゃい」が心地よく伝えられる関係性。そして「今日はどんな事があったの?」相手が経験した事に耳を傾けてみよう、そしてお互いに学びあってみようと。


まとめとして

①友達、恋人、夫婦という関係性の中であってもお互いが個々に独立している存在という事を忘れてはならない。
②個々に独立している存在であると言うことはその間にある意思も尊重する事。その間には自由があるのだと言う事を忘れてはならない。
③距離が近しいと見えにくいが、私達は他者同士であると言う事、だからこそお互いを尊重して相手の考えや感情に耳を傾けよ。どちらかが一方的ではなく、応答的に関わっていく事だ。
④だからこそ個々にそれぞれの時間を楽しみに、己を大事にする事だ。己を大事にする事で相手も大事に出来るのだから。

この応答的に関わる事がわかると世界は変わる。ピアノであれば譜面と自分、作者と自分、ピアノと自分、それを応答的に関わると曲の風景が見えてくるのだ。
故に分かることはこの応答的に関わる大切さだ。自分を踏まえた上で相手に耳を傾けよと言う事。
この世界の中心は自分でないのだから。

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