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O mio babbino caro(私のお父さま)⑦



音大は、当然だが音楽を勉強する。
一般教養の授業はあるけれど、苦手な理数は全く無い。

短大だったが、音楽の授業はほとんど学部の校舎で行われ、
先生方も学部と同じ。
分け隔てない授業。

あちこちからリサイタルみたいな凄い演奏が聴こえてくる。

世界で活躍する著名な演奏家や巨匠が、公開授業にやってきた。
楽器は違うけど、普通に聴講できた。
とても良い時代だったと思う。

私は様々なところから刺激を受け、時間さえあれば弾いていた。
『休講』が貼り出されればすぐにレッスン室を借りて練習した。

しかし、やればやるほど、知れば知るほど落ち込んだ。
今まで何してきたんだろう…と、後悔もした。
知らないことだらけで恥ずかしかった。

励ましてもらいたくて父に電話すると、「そんなことぐらいで電話してくるな!」と怒鳴られた。

ならばと手紙を書く。
父からの返事には「つまらないことを考えず、まず弾くことだ」と書いてあった。

たしかにそれに尽きた。

就職のことなんてすっかり忘れて、編入するつもりでとにかく頑張った。
成績が良くないと編入は難しい。

がむしゃらやって1年が過ぎた。

2回生になって間もなくのこと。

出張で上京してきた父と会うことになった。
久しぶりのご馳走を期待していたのだが、
会って驚いた。
顔色がとても悪い。元気もない。

「具合悪いの?」と聞くと
「この頃心臓が痛いんだ」
と言う。

とてつもない不安に駆られた。
すごく悪い予感がした。

編入なんて言ってられないかもしれない…。

「来月検査入院することになった」と父。

183センチの大柄な父がなんだか小さく見えた。

病気のことに全く疎かった19歳の私…。
その時、父の胆管癌はだいぶ進行していた。
おまけに狭心症も併発していた。

病気なんてしたことない、屈強な人。
それまで絶対的な存在だった父。

見るもの全てが灰色になった。
これから先どうなってしまうんだろう。
不安で不安でたまらなかった。










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