自戒 横断歩道を渡りましょう
先日、こんな記事を書いていたのだが。
この記事の中で、車道を横断する者に注意喚起するような文章があるわけで、これ自体は決して間違ってはいないと思っている。
で、今朝、娘のおやつ用のおにぎりを作りながらふと思い出したことがある。
古い記憶
あれは遥か昔、私が10歳。
自宅前の広い道路を挟んだあっち側にあるイチゴのビニールハウス。これは当家のものではなくて、近所の農家の持ち物である。そのビニールハウスに私はイチゴをかっぱらいに行った。
しばらくビニールハウスの中でごそごそやって、自宅から持参した紙袋かなんかの中に、盗んだ大量のイチゴを入れてホクホクしながら農家のやつらに見つからないよう急いで帰ろうと、たいして安全確認もしないまま道路を横断、センターライン付近まで到達した頃、左側の視界の端に違和感を感じて振り返った私は走行してきた車に跳ね飛ばされたのである。
私はその瞬間の事を明確に覚えている。と、いうのは、何故だかわからないのだが、振り返る自分の後姿の向こう側に白い乗用車が迫っていてまさに衝突する瞬間を写真のように外側から見ている画が、鮮明に見えたから。
母親に言わせると「お前、一瞬死んだんじゃないの?」
という事で、いわば幽体離脱のような現象であると断じられてしまったわけだが、私自身は心霊オカルト系の現象と言うのは一切信じないと幼少時から心に決めているので、これはこの苦渋の思い出を生涯忘れず教訓とするように、脳が印象付ける操作をしたに違いないと結論付けている。
で、その事故の瞬間、どうも凄まじい音が近隣に鳴り響いたようで、隣のラーメン屋の女将は私が店の前の空中を舞って吹っ飛んで行ったのを目撃したらしい。
私の父親も外に飛び出して来たらしいが、それは凄まじい音がして事故があった事を確信した父親が、野次馬根性丸出しで見物に出たというだけの事であり、当事者が自分の倅であったことで顔面蒼白、見物のつもりが見物される側になってしまったという落語のような話である。
当の私はというと、宙を舞っている最中の記憶はなく落下した記憶も無くざわざわとした雰囲気に目を覚まし、立ち上がろうとしたのだが足に力が入らなくてその場にへたり込んだあたりからうっすらと覚えている。
その日は休日だったのだが、なぜか私は救急車ではなく、父親の車で休日医のところに行った。警察がきたのかどうかも記憶にない。なんとなく警察が来る前に連れていかれたような気はする。
その医者は一応レントゲン撮影等行ったのだが、擦り傷以外は問題なく「よし、健康体!」と言っていた。それはちゃんと覚えている。
その後、高校生くらいになって尻の腫物を除去するつもりで行った皮膚科で、私には尾骶骨が無いという事が判明した。生来の奇形ではなく、後天的な衝撃で尾骶骨が粉砕され、先端が割れているという。
「あんた、これでよく歩けるね、生活に支障はないの?」
と医者が問い、
「無問題」と私は答える。
「ならいいんだけど、まぁ、もう砕けた骨も吸収されちゃってて今更どうにもならないんだけどね、ハハハ」
それで話は終わりであった。
当時の私には骨が粉砕するほどの大きな肉体的衝撃はこの事故以外に思い当たらないので、たぶんそうだったのだろう。医者がふたりも見逃したということだが、私自身特に尾骶骨が痛いという事も無かったので、医者としても敢えて尾骶骨の状況を調べる必要は感じなかったのだと思う。
自戒
そんな古い交通事故の事を思い出し、先日投稿した記事の事を思い出して「『横断歩道を渡りましょう』じゃねぇや、自分が渡らずに跳ね飛ばされたんじゃねぇか、なにを偉そうに」と自戒自省自笑したそんな朝だった。
泥棒は事故の始まり
皆様におかれましては信号のない車道を、交通法規を無視して横断するようなことはせず、信号・横断歩道・歩道橋を利用意して安全にお過ごしください。
イチゴ泥棒のスリルを味わった罪の代償である。
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