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やはり当たる

こんばんは、さっかです。こちらに記事を書くのは、とても久しぶりですが、みなさん、お元気ですか。

ホームページの方がほぼ完成し、こちらに書く機会がめっきり減ってしまったのですが、こちらでも書き続けたいな、と思っていました。ここは、私にとっては、学校みたいなところだからです。noteっていう学校に生徒がたくさんいて、色々なことを考えて、活動して、そして、発表しているところ。そして、最初に、占星術について色々と書き始めたところだったからです。訳あって、ホームページにコラムは全面的に移行しましたが、noteのことはいつも心の片隅にありました。

それで・・そうだ、日記をこちらには書いてゆこうと思いついたのです。そう、占星術家、そして占い師としての、日記をつらつらと・・・ということで書き始めることにしました。

実は、つい先日から、ホームページのコラムの方を会員制にして、日々の星座占いを再開しました。その日の朝7時〜翌朝7時までの星の動きを見て、地上の予報を毎朝7時に出しています。この頃はカードの運勢も出しているのですが・・星もカードも当たりすぎて怖いくらいなのです。わたしの感度が以前よりまた上がってしまっているのか、なんなのかわからないですが、昨日は、感情的になりやすいため人と話す時など要注意、という星があったのですが、誰かと話していて感情的になりそうになり、おっと・・って思って数歩下がったり、今日は、午後に傷つく星があるが傷から目を逸らさないでいると気付きや成長がある、という星があったのですが、思わぬところで傷つくことが起こり・・・

いやはや。

もしかして、日々の予報を出して一番よかったのはわたし!?って思ったりしています。

占い師だったら、不幸や不運は避けられるのでは?って思う人もいるでしょう。それとこれとは違うのです。それっていうのは、運勢を知るってこと。そしてこれ、というのは、その運勢を避けられるか、ということですが、知っているから避けられるってことではないのです。

例えば、天気予報で、明日は雨です、っていうとするじゃないですか。気象予報士が。そうしたら、その人は雨を止められるわけではないのです。傘を持って行ったり、レインコート着て外に出ることはできても、雨は降るのです。

それで、今日は、傷つくことのある雨が降り、落ち込むやら、腹立たしいやら、でしたが、星が「目を逸らさなかったら気づきと成長がある」と言ってくれていたおかげで、目を逸らさず、気づきが訪れましたが、成長できてるかどうかは、明日以降わかるということで(笑)でも、できているような気がします。目を逸らさなかったし、自分の中で、何に傷つき、どうしてこんなことが起こったか、ということに注視したから。

けど、理解するってことと、できる、ってことは違うからなぁ・・まぁ、明日まで待とう。そうそう、明日の星にはできそうな星があったから・・それに乗れるよう、頑張ろう。

そんなこんなの今日でしたが・・家に帰って猫たちを見た途端に、ほっとしました。彼女たちは、自分の望みにまっすぐで、そして愛がいっぱい。猫たちは、私にとって天使だ、と、つくづく思いました。捨てる神あれば、拾う神あり、ですね。

下に、この頃ホームページのコラムでアップした写真を少し出しておきます。

Good night.
Stay safe and have a good Sunday.

Sakka

台所の床に無造作に置かれている昔の大皿たち。昔の人々はこれに何を盛って食べていたのやら。
家にある江戸時代の器。この、割れたのを継ぐ技術、すごいな、といつも思います。
冬はみかんの季節。最近よく飲んでいます、絞ったみかんジュース。朝をこれで始めると、シャキッとします。
引越し中です。いつもながら、本の移動が一番面倒と言って良いほど面倒。しかも、多い。この本棚には2重(奥と手前)で収納しても収納しきれない。占いの本も結構あるけれど、哲学、精神性、宗教、そういうのが圧倒的に多いことに気づきました。いて座の影響の強い星を持って生まれた私らしい、とも自分ながらに思いました。




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