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【徳島県にある自然スクールトエックのフリースクールセミナーに参加しました】

御不沙汰しております。noteの更新が滞ってしまいました。この度、徳島県にある自然スクールトエック(法人は1985年設立)の主催する、フリースクールを運営したい若しくは運営している人たち向けのセミナーに参加してきました。参加者20名スタッフ10名ほどの約30名での3泊4日。概要を説明するというよりは、「僕の心の中で起こっていたこと」を中心に書いていきたいと思います。


1 言葉にできないとか言葉にしたくないとか


毎日7時半から夜の22時頃までたっぷりと詰まった研修で、参加者やスタッフと様々な話をした。その話の一つで確かその時は4人くらいで、
「自分らしさってどうやって見つけるのか」の話をしていて、自分らしさの答えを持っている人がいた。僕は単純に、自分らしさを言語化できている事がたくましいなと思いながら聞いていた。しかし、もう一人の参加者が、

「昔の話なんですけど、あなたの中で『文学』って何と問われた時、これは答えられないなと思ったんです。」

このような言葉を彼は言った。(この方は文学部出身)確かに、「言葉にできない」部分はあるかもしれない。けれど、「言葉にしたくない」という意思の様なものがそこにあった。答えてしまったら、何か終わる気がして怖い。決めつける様な。果たして言葉にする必要はあるのか。言葉にしないと相手に伝わらないけれども、言葉にする事にこだわり過ぎることは自分を不自由にしたり豊かでなくなったりする可能性もある。そんなことをぐるぐると考えさせられた。

2 一人一人を大切にするという在り方

実は、去る1月にも来徳し「聴き合う場の作り方」というワークショップを受けた。自然スクールトエックの理念に基づいた「聴き合う場」を体験した2日間。しかし、その時「聴き合う場を開くためには、まず〇〇をして、次に、、、」という言葉が貰えずに途方に暮れた。ワークショップの講師をしてくれたぷーさんに、「もう少し、言葉にして欲しいです!」と伝えると、

在り方だよ。」

とだけ。「あの時、ぷーさんはどう在ったんだろう、、、あーー。。。」とモヤモヤしながら帰ったことを覚えている。

そう。今回はその「在り方」を感じに戻ってきた。そして、しっかりと「在り方」を感じた。それは、「一人一人を大切にする」ということ。

エピソードを一つ。
セミナーの中で参加者がトエックの1日を体験する日があった。子どもたちと同じように自分のやりたいことをして過ごす。そこにスタッフが寄り添ってくれる日。

自分のやりたいことを出し合うミーティングで僕は、「泥んこ遊び」「ウクレレ」「短歌を詠む」を出した。優先順位は決まっていた。朝から雨が降っており、身体の赴くまま一直線に水溜りだ。

10人位で相撲やリレーやヘッドスライディングなどに興じた。気づけばあと少しで終わりの時間が来てしまう。まだ2つもやっていないことが残っているのに。急いで、薪でたいたお風呂に入り、校舎の方に戻ると何人かが、筆を走らせ短歌を詠んでいた。僕もやろうと筆を取る。が、今の気持ちを31文字にまとめられず、みんなが遊んでいるのを眺めながら、一人ポツンと座っていた。


20分程して。
スタッフのぷーさんがお昼のうどんを持ち、

「ざっきーの側に居ていい?」
と言ながらちょっと離れた所に腰掛けた。ぷーさんは特に何か言うわけではなくただそこにいてうどんを食べていた。

そしてそこから間も無くして、短歌が完成した。
「やっと、できました!」
「おー!どれどれ」
「混ざる泥 のように大人が 子どもになって それも自分か それが自分だ」
「この字余りのところがいいねぇ。よし乾杯しよう!」

と言うなり、ビールを持ってきてくれて乾杯してくれた。2缶も飲んでしまった。

その時に、僕自身の活動は自分で完結していて誰かに手伝って欲しいわけでもなく充実していた。でも、側に居ていいと言ってくれたことや乾杯してくれたことが心に残っていて。
「あぁ嬉しいな。見てくれてるんだ。」じわりと心が温かくなった。

ふむふむ。「在り方」ってどんな言葉をかけるかとかかけないかとか困っていたら助けるとかそう言うことじゃなくて、一緒に居るよみたいなメッセージを届けることなのかな。そういう感じを受け取った。その人にしか出せないものも沢山あると思うけど。

他にも、トイレに摘んできたであろう小さく綺麗なお花がちょこんと居ること。
トエックから出る時に見える看板に、「ほなまた」と書いてあること。参加者の一人が土の上に作った記念碑の様なものを、最後まで片付けたりせずにそのままにしてくれていることなど、細かいところで「大切にされているな」と感じるところがあった。嬉しかった。

3 ファシリテーションでの違和感

セミナーの一つに、「実際にスタッフの役をやってみよう」と言うものと、「スタッフ役をやった人へのフィードバックの場のファシリテーターをしよう」と言うものがあった。僕は、一人でスクールをやっていて、僕のファシリテートを見てもらえる環境もないから、是非やりたいと言う思いで、ファシリテーターの役をさせてもらうことができた。

ファシリテーション(facilitation)とは、一言でいうと「会議やミーティングを円滑に進める技法」のことです。 具体的には、参加メンバーの発言を促しながら、多様な意見を瞬時に理解・整理していき、重要なポイントを引き出しつつ、議論を広げ、最後には議論を収束させ合意形成をサポートする、こういった一連の行動を指します。

グロービス経営大学院「ファシリテーションとは?役割と必要なスキル、具体的なやり方」より

ファシリテーターとは円滑に進める司会進行?の様なイメージを持っている方は多いのではないだろうか。しかし、自然スクールトエックのファシリテーションのやり方は、少し違って。話したい人から自分の今の感じを話し、それに対してファシリテーターが一度「あなたの話をこのように理解しましたよ」と言う「理解メッセージ」を送り、大丈夫そうなら次の話したい人に。と言う流れである。

実際にファシリテーターとして、振り返りの場をした時の反省として理解メッセージを毎回返すことが難しかったことと理解メッセージを毎回返す必要性はないのではないかと言う気持ちが同時に起こり、理解メッセージ難しいなと思いながらもその場を流している様になってしまっていたこと。
でも、ファシリテーターが毎回理解メッセージを返していたら、話した本人が1000文字の言葉で話してくれたことを、ファシリテーターの解釈を交えた300文字の言葉にすることになって、また別の1300文字の言葉になってしまう気がして、聴いている側にいた時は、凄く聴きずらさを持っていた。(言葉を味わう余韻が欲しかったのかも。)

そして振り返りの場が終わった後の、ファシリテーターへのフィードバックの場で、
「途中からファシリテーターとしての手綱を離した感じがした」
「この場で何が起こっているのか確認するためにも、毎回理解メッセージをやってほしかった」
「不安な時間があった」との話しになった。話している本人以外の人への配慮も必要で、手綱を握らないといけないんだなと思った。

けれど、やっぱりその時は毎回理解メッセージを返すことに違和感があって。
「理解メッセージを返さないと次に進めないなんて、ファシリテーターに依存している!」とも感じていた。いろんな人にきいてみたけれど、モヤモヤは消えなかった。

実は、自然スクールトエックには子供達と直接関わるスタッフの他に、事務スタッフもいる。スクールの事務的な作業を行うことはもちろん、大学生ボランティアの育成やスクールに通っていない子達が参加する週末のキャンプなどを企画運営しているそうだ。その事務スタッフの一人のふな(僕が勝手に尊敬している人)に、このモヤモヤをきいてもらいたいと思い、モヤモヤをぶつけた。

「理解メッセージを毎回返す返さないは問題じゃないと思う。
ざっきーの心の中で起こっていることとか、見ている景色を
出してみることで、そのみんなの不安は無くなるんじゃないかな。」

スキル的なものに囚われていたけれど「手綱を握ることは、見ている景色を共有すること」その時僕が感じていたことや見えていた景色は確かにあって、それを言葉にはしていなかった。そのせいで誰かが不安になること、共有することで次に安心して進むと言うことが、腑に落ちた。それなら出来そうな気がするし、ざっきーならできるよって背中を押された気がしてとても安心した。

4 そして今の僕、結構自分のこと好きだなと思えている

自分のことってあまり考えてこなかった。

30歳になってから、色んなことが起こった。寂しかった。(寂しいと思えた。)もう無理かもと思った。(無理かもと思えた。)遅いかもしれないけれど、そこでやっと自分に立ち返って考えた。言葉にした。行動にもしてみた。

一つの出会いでこんなにも変わることもある。
一つの言葉でこんなにも安心することもある。

「大きな失敗を経験しないと、分からないんだよ」と言われることが多々ある。失敗は成功の元とかね。確かに失敗は考える機会になるかもしれないけどネガティブだよね。ざっきーは、「安心できているよ」とか「大切にされたな」と思ってもらう所から始めたいな。楽しくポジティブに前に進めるならそれがいいじゃん。

今までは「あなたは自分のことが好きですか?」と聞かれたら「好きになりたいと思っている。」って答えてたけど、今はなんだか「結構自分のこと好きだな。」と答える。

一人一人を大切にする人に僕もなりたいな。

大切にしてくれた人たちを想いながら感謝を込めて。


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