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プラスのほうが気づかれにくい
アルバイトをしていたとき、ある日時間に余裕があったから、厨房の床を掃除した。黒ずみをクレンザーで落として、きれいになった。自分はビフォーとアフターを比べてきれいになったと思うけど、全体的に薄汚れている厨房の床の黒ずみがなくなったくらいじゃ、きっと誰にも気づかれないことくらいわかっていた。
次の日早番で厨房に入った人が、「わ、なんだかいつもより綺麗!昨日掃除をしたのかな」とはならないのは知っていた。でも仮に今日わたしが普段の掃除もせずに帰ったとしたら、次の日の早番は、「昨日掃除してないんだな」と、きっと気づくだろう。
綺麗になったことより、汚くなったことの方が、きっと気づきやすいんだと思う。
もう一つ、
今は千切りの修行中。いかに細く切れるか、いつもそう思ってる。たまにすごく細く切れることもある。でも全部じゃなくて一部だけ。
その一部を取り上げてうつわに盛れば、千切りが上手な人に見えるけど、
ぜんぶ混ぜてうつわに盛れば、目立つのは太い方。細く切れた方は、存在してないも同然になってしまう。
手を抜けば、すぐに太くなる。マイナスになるのは簡単。全部を細く切るには、集中力と努力がいる。
プラスにするのは簡単じゃない。
そう気づいたら、人のプラスを探すのも大事だと思った。頑張ってもただ今はマイナスが目立ってるだけで、その人が努力してないわけじゃないかもしれない。
その小さなプラスに気づける様になりたい。
最初の話に戻ると、
床がきれいになったのに気づくのは、ビフォーとアフターを知っていて、比べられる自分だけ。
つまり、ビフォーを知ってる人が自分以外にいれば、その人は気づいていたのかも。
アフター=結果だけじゃなくて、それまでの経過=ビフォーにも、目をやれる人になりたいな。
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