気づいたら、愛してた。
駆け抜けた9ヶ月間を振り返る。
キャリア、価値観、人間関係、生活スタイル。
さまざまな問題が同時に押し寄せて、とにかく何かを変えたくてPOOLOに飛び込んだ。
そして今、2022年1月8日から9月末までの全ての活動を終え、当初全く予想していなかった結果を迎えている。
残ったのは、愛だった。
旅にまつわるコミュニティでの9ヶ月間、
その活動の最大の学びが————まさかの「愛」だった。
なんと概念的な成果物だろう。
でもそうなのだ。私はPOOLOからたくさんのギフトをもらった。
だが、一番大きく残ったのは、「愛」だった。
もちろん他の分野でもこれまでにない学び・変化があったのだが、
一貫してそこに存在し、
卒業に向かってその姿を現してきたのは、
紛れもなく「愛」だった。
入学時に綴ったnoteで、私は『心理的安全性のある一生の仲間との出会い』を期待していると書いた。
それがまさか、「愛」、ほど深い形で着地するとは。
私のテーマは、今思えば始めからずっと「愛」だった。
これはさんちゃん(みんなのnoteに引っ張りだこで申し訳ない、私も引用させていただく)から受け取った言葉なのだが、今、とても腑に落ちている。
私の愛が深い、強い、と言われる度に、
『私の人生につきまとうのは、向き合わねばならないのは「愛」なんだなぁ』と感じさせられる。
卒業に向かって明るく朗らかな文章を書きたかったのだが、
どうやら鬱々とした暗いものになってしまいそうだ。
元気になりたい時に読むのはおすすめしない、
そう前置きしておく。
さて、その「愛」と私が闘ってきたものについて。
みんなへの感謝も込めて、卒業制作の場を借りて綴ろう。
愛される人?
某日、POOLO3期の活動に区切りを告げる”卒業式”なるものが執り行われた。
さまざまな表彰の中で、私は光栄なことに『POOLOを1番盛り上げてくれた人』および『POOLO3期 みんなが選ぶMVP』で1位をいただいた。
集合写真を撮る時、『MVP3人(ぴろ、たっすと私)を囲もう!』と周りをみんなが包んでくれたのだが、
なんというか、
愛すべき3期が
”そこにいる。生きている。”
というその事実がこの上ない幸せで、
ぴろとたっすの体温に触れただけで、「生」を感じて私は泣いた。
そんな光景をハタから見たら、
私という人間について、
”人に恵まれてきたんだろうなぁ”と思うかもしれない。
しかし、そう前置きするからには、
私の人生、そんなものではなかった。
1位の受賞コメントを求められた時、私は「みんなのおかげで1位になれた」というようなことを言ったのだが、
それは、謙遜でもお世辞でもなんでもなく、
”POOLOのみんな”が愛を教えてくれて、そして”POOLOのみんな”が「愛したい」と思える人たちだったから、
だから、結果として1位と言ってもらえるような活動・貢献ができた、と伝えたかった。
———どういうことか。
まだ言語化できていないことや、書くことが苦しい部分もある、
だから今全部は無理なのだが、言葉にできる限り、書ける範囲で書く。
ついてきてくれる人、よろしくお願いします。
愛に飢えた幼少期
この写真は、小学校の卒業アルバムの寄せ書きページである。
ご覧の通り、全く埋まっていない。
今の私を知る人は、さぞ驚くだろう。
「卒業アルバムの最終ページ、ぎっしり埋まっている系の人かと思った」
そう言うかもしれない。
事実、この執筆に絡めて募った私自身にまつわるアンケートでは、
私の第一印象について
『スクールカーストトップにいそうな子だと思った』
『キラキラ輝いていて眩しすぎて近づけるかなぁという印象だった』
というような回答が見受けられた。
しかしどうだろう。
実際は写真の通りだ。
この申し訳程度に書いてあるメッセージも、
「とりあえず書いた」ような表層的な内容であったし、
書いてくれた人の名前を見ても誰なのかほとんど思い出せない。
(まさかの「お久しぶり」と書いてあった。卒業アルバムの最終ページに「お久しぶり」はないだろう。)
形式上誰かには貰わなきゃ、と必死にコメントを頼んだような気がする。
それくらい私はクラスの端っこにいたし、人前に出るのが恥ずかしい性格で、異性と話すなんてもってのほか、同性ですら、いわゆる”イケてる子”とは仲良くなれない口数の少ない子供だった。
引っ込み思案に育ってしまった所以は過去noteに書いたものからまだ書いていないことも含め割愛するが、
とにかくその分、一人でいる時間が多かったこともあって黙々と内省を繰り返し、
子供ながらに自分を客観視して、
「内面・外見共に愛される要素がない」と思っていた。
人に愛される自信がないから、
「今の私、大丈夫かな」と気になって会話が苦手になる。
嫌われたくないから意見を合わせる。
空気を読む。
注目されても応えるだけの愛嬌を持ち合わせていないから目立ちたくない。だから、
個性を消す。自分を消す。
どんどん「自分らしさ」が失われて、
自分というものの魅力がなくなっていく負のループを感じていた。
クラスメイトも、学校の先生も、習い事の先生も、ひいては両親や親族も、みんな私に興味がない。
私なんか、私なんか。
自分が終わっていく感覚と、心まで醜くなっていく崩壊の音に気づきながらも、幼い私にはどう解決すれば良いかわからなかった。
結果、醜い自分には勉強しかないと思って必死に勉強した。愛されなくたって、一人で生きていく力はつけなきゃ、と。
だが、心の中ではいつも、「愛されたい」と叫んでいた。
愛される要素を持ち合わせていない、だけど愛されたい。
そんな矛盾した状態だったからこそ、学業に加え「人に貢献する」「スキルを磨く」という方法で愛されようとするようになった。
POOLOの活動中に掲げていた自己ビジョンも、
”自分のスキルを好きな人のために使いたい”
というものだったが、
なぜそう思うのかを突き詰めると、
「役に立つことでその集団にいることを許されてきた」という幼少期の原体験に由来する。
無償の愛なんかではなくて、自分のため。
貢献することで居場所を確認し、安心する。ここに居て良いんだと思う。
そんな利己心にまみれた愛の形に、私は26年目を迎え辟易としていた。
それが、POOLOに入った頃。
当時不健全だと思っていたこの愛の形は、のちにみんなの言葉で浄化されることになるのだが、それはまた少し後に述べる。
愛が信用できない
”愛される要素がない”という自信の無さに加え、
私の「愛」が拗れているもう一つの理由に、「愛」を受け取れない、という問題があった。
私なんかが愛されるわけがない、というベースがあるからこそ、誰かに「愛」を向けられると、
嬉しいよりも先に「なんで?どうして?どこが?本当に?」が襲ってくる。
こちらが”心を許してしまう世界”に踏み入りそうな人がいれば、たちまち頭の中でサイレンが鳴る。
「こっちに来ないで、やめて、入ってこないで」
私には、関係が行きすぎると、自らこれ以上深まらないように距離を取ったり、拒絶したり、終わらせたり壊したりしてしまう癖がある。
愛してしまってから失うのは怖いから、いっそそうなる前に消してしまおう、そういう思考回路だ。
難あり。非常に難ありなのだ。
これまでの人生で、「この人は信頼できるかもしれない」という一抹の望みがかき消される度、人を信じたいという願いがポキッと折れて、自分でも気づかないうちに心を許すのが怖くなっていた。
防衛本能が植え付けられ、
自分を守るために「深入りしないし自己開示もしない」というスタンスが徐々に出来上がる。
気づけば、人との関係に一定の距離を置くようになっていた。
関わりはするけれど、対話はしない。
表面的なコミュニケーションで乗り切って、偽物の愛を贈る。
腹を割って話せないでいるから、その関係性はますますウィークなものになって、
結果、長続きしない。
今回割愛したことのうちの一つに、中学時代の辛い経験があるのだが、
それを区切りに高校では「もう人を疑うのは懲り懲りだ、無理にでもたくさん愛してみよう、性善説を信じてみよう」と試みたこともある。
やや強引で無理のある形ではあったが、おかげで数少ない素敵な友人に出会えたし、
POOLOに入るまでの私の人生史上、一番まともな時期だった。
しかし、こちらから「ひたすら蛇口を捻ったように愛を贈る」ことはできるようになっても、
私の弱みを見せること、辛さを伝えること、頼ること、愛を受け取ること、心から相手を知ろうとすること、心でぶつかること、本当の意味で「信頼する」こと、はできなかった。
(高校時代の私は、いつも明るくて完璧、悩みなどない、という風に見えていただろう)
よく言えば平和主義だが、周りと衝突することを恐れていた。
核心に触れることも避けるし、
「苦手」「気が合わない」「嫌だという感情」などからは目を背けて解決しない。
なんとも不完全で歪な愛だ。
しかし未完成ではあったものの、
人の愛すべきポイントに気付けたり、自ら擬似的な愛を贈れるようになっていたことは私にとって大きな進歩であり、
幾分人間らしいような気がして心地は良かった。
そんな蟠りと温もりが共存する高校時代である。
”偽りの私”で愛されて幸せか?
せっかく対人関係の糸口が見えてきたところだったのに、大学ではこれまた良くない方向へ走ってしまった。
単純接触効果による友人関係が築きづらかったことなど、要因は色々ある。
だが結論、自分のせいである。ライトな友達づきあいしかできなかった。
なぜかうまくいかない人間関係に絶望し、
『そっか、私が人間と関わる限界はここまでか。』
正しい原因分析もできていないのに、いつしかそんな風に割り切る様になった。
漫画『ブルーピリオド』にて、主人公の高校生・八虎が”人生・物事をタスクのようにこなしていく”という表現がある。
サークル、バイト、友達付き合い、恋愛、学業、就活。
私も、世間一般で言う”大学生らしい”ことを、
人生のスタンプラリーを押すように消化した。
そつなく、波風立てぬように、早く4年間が過ぎますように。
魂でぶつかって理解し合う、本気で熱くなって涙する、そんな学生たちを一歩引いたところから眺めていた。
一度ひっこめてしまった熱い感情を時が経ってから人前に晒すのはとても恥ずかしく、
その人間らしい部分をひた隠しにして過ごしてしまったように思う。
そうこうして、大学時代は”クール”な私で過ごすこととなった。
偽りの私に向けられたそんな言葉が、どれも空虚だった。
——————それ、本当の私じゃない。
サークルの引退式では、「もっとちゃんとみんなと関われば良かった」と涙したような記憶がある。
愛し愛されることへの自信がますます失われる、そんな苦痛の4年間だった。
POOLOの愛し方
なんだか私の人生録になってしまいそう(アキラともその話になった。卒業制作、人生年表になるよね?問題)だからもう社会人になってからのことは省かせていただく(私の社会人になってからのことは、それはそれでまたnoteに書こうと思う)が、
とにかく圧倒的な対人スキル不足のまま大人になった私は、このままではマズい、という想いを抱えてPOOLOに飛び込んだ。
人に対する苦手意識を克服するには、まずその苦手にどっぷり浸かる、つまりは大量に人と関わる必要がある。
もちろんそれだけが理由ではないのだが、
だからこそ、私はPOOLO開始すぐに(なんなら入会金を払う前から)アクセルを全開にし、
文字どおり仕事以外の時間のほぼ全てをPOOLOに捧げた。
(実際、私のslackコメント数が多すぎて、運営からはslackが壊れたと思われていた)
諸事情により2020年2月からの約2年間、
友人はおろか家族にすら会えない生活をしていたから、久しぶりに「人」と接した時の感動は凄まじく、
スポンジの如く一つ一つの会話・活動からぐんぐん吸収していたように思う。
初めましての人と打ち解けるのが早いとか、
物おじせず声をかけられるのが凄いと言ってもらうことが多かったが、
すでに読者の皆さんはお分かりのように、
決して、私に対人スキルがあったわけではない。
それは私の精神状態がスポンジだったこと、
そして、ある意味「世間一般でいう”人との距離感”」が分からなかったからこそ、周りが驚くような距離の縮め方をしていたのだろう。
(1期生ぴこちゃんとの初めましてでホテルお泊まりは特によく驚かれる。)
そう意気込んでいた私だったが、
コミットすればするほど、アウトプットすればするほど、
「優しい」「誰とでも仲良くなれる」「利他」「愛情深い」
と言われることが多くなり、そこで一旦、私は迷子になった。
もしかして、「愛せている」と錯覚しているだけなのか。
せっかくPOOLOという素敵な土壌があるのに、
今まで出会ったことのないような素敵な人たちに囲まれているのに、
昔と同じことをただ繰り返しているのではないか。
そんな考えがよぎり、急に不安が押し寄せた。
そんな苦しみから私を救い出してくれたのは、他でもない、POOLOのみんなだった。
自分の「愛」を認められていなかった
3期の活動をする中で、節目節目にみんなから大切な言葉を受け取った。
愛を上手に扱えなかった私が、3期みんなの言葉を浴びて、徐々に自分を愛してみたり、人への愛をより深く注いでみようとしたりと、POOLO3期との交流を通して変化の時を迎えていた。
そんな過渡期に私が人と接する上で心がけていたことを書き出してみたら、みんなへの想いが溢れて長文になってしまった。
これ以上長文に付き合わせるのは忍びないので、本記事の末尾に【私の取り組んだ「愛」】として貼り付けておく。
そこまで意識を保てた人だけ読んでくれればよい。
(あやぱんに「さきちゃんは人と接する上で意識していることってある?」と前に聞かれたのだが、その時はうまく言語化できなかった。全てではないのだが、これで答えになっていれば幸いだ。)
さて、そんな草の根作戦的リハビリにより、
私はこれまでとは違った、深いコミュニケーションが可能になっていくのを肌で感じていた。
しかし、長年の癖というのは怖いもので、そう簡単には完治しない。
最後の難関、「愛を心から受け取ること」、
それが、どうしてもできないままだった。
「さきはみんなに愛されてるよ!」
「さきちゃんは本当にみんなに愛を配ってくれているよ」
そう言われても、
『みんな、その気持ちは嬉しい。1ミリでもそう思ってくれたことは嬉しいよ、でも、私はそんな人じゃない。錯覚だよ』
心の奥では受け止めきれずにいた。
そんな他者評価と自己評価の乖離に苦しむ中、
POOLO大運動会の帰りのほんの小さな出来事が、
自分ではめていた足枷に気づかせてくれた。
きっかけはちびハム。
彼が、帰り際に「さきちゃん、ありがとう」と突然私に感謝を述べた。
「え?運動会企画、私運営じゃないよ?」
本当にただの一参加者だったから、
私は"感謝されるべきことなど何もない"と思って咄嗟に否定した。
するとそれを横で見ていたあっきーが、
「さきちゃんはやってるんだよ。何もしてないって言うけど、Tシャツデザインしたりさ、横断幕の準備とか、やってるんだよなぁ」
そう言って、”困ったなぁ”という風に、顔を歪めて笑った。
隣にいたおむも、
「そうだよ」と同意を見せて静かに頷く。
本当に些細な会話だったけれど、私には衝撃が走った。
そこで初めて、他の誰でもない、自分が一番自分のことを認められていなかったと自覚した。
こんなんじゃまだまだだ、
そう思いすぎてきたから、自分のやっていることをちゃんと見てあげられないでいた。
愛されることを、一番許していないのは自分だった。
だからみんなからの言葉にも、
「そんなことない」が先にきて、正面から向き合えていなかったのだ。
見渡せば、周りはこんなにも「愛」ある言葉に溢れていたのに。
愛を受け取らないことは、
みんなに対してとても不誠実だと思った。
卒業間際。
気づくのが今か、と笑ってしまう。
それからというものは、
良い意味で、転がるように「愛」の解像度が上がっていったのを覚えている。
気づいたら、愛してた
私の「愛」をさらに解放する出来事が、とある期間にいなりと同居生活をしたことで訪れた。
この温かく素敵な同居生活も記載しようとするとおそらく2万字を優に超えてしまうので省略するが、
兎にも角にも自分のパーソナルな状態を見せる究極の形態が共に住むことと思っていたから、
傷つくことは前提で、
その極限状態に置いたときの自分を見たい一心で共同生活をした。
一足飛びで申し訳ないが、結論、その生活の中で私は
『愛することの恐怖』
と対峙することになる。
それは紐解くと、
”愛してほしい、見返りが欲しい”から私は人を愛そうとするんだ、
でも、その期待が返ってこないと怖いから愛せないんだ、そういうことなのだと思った。
序盤に記載したあの”サイレン”が鳴り始め、
これまで独りで闘ってきた「愛」と、
もうこれ以上独りでは闘えないところまで来てしまった、
そう思って、気づいたらさんちゃんにSOSを出していた。
ポツリポツリと話す中で、さんちゃんに、「さきちゃんは覚悟ができている。今、このまま良かったらヒーリングやろう」と言われた。
ヒーリングの内容なども今回は割愛するが、
その技法で私を苦しめている過去のトラウマ(”恐怖”)と今ここで正面から向き合うための処置をしてもらった。
その最中、過去をやり直すとしたらどう過ごすか、
目を瞑り想像するシーンがあった。
そこで、
私は衝撃的な光景に出会った。
辛かった時期を「本当にやりたいこと」で塗り替える自分の姿が、
なんとPOOLOで活動する自分そのものだったのだ。
「愛されたい」だとか「居場所が欲しい」なんて見返り抜きで、
そこにはただひたすら”仲間と関わることが楽しい!”と元気に動き回っている自分がいた。
興味を持った旅に参加して、
好きなものを作って、
誰かのためにギブして回って、
自己開示して対話して、
心から笑いあって、話したい人と話して。
ずっと自分にはできないと思っていたことが、すでに当たり前になっていた。
——————そっか私、もう愛せてたんだ。
そう気づいた瞬間、涙が溢れた。
POOLOの期間中みんなと接する中で、
私は越えられないと思っていた壁を越えていた。
ちゃんと、「スキル」だとか、「貢献」だとか、「愛されたい」とか、
そんなこと抜きに純粋に人を愛せていた。
過去の自分が救われた気もしたし、
今の自分も認めてあげられた気がしたし、
私の「愛」が見返りを求めたものではないと判った安堵も相まって、
もう何が何だかよくわからないごちゃごちゃの感情になりながら、
その夜私は子供のように泣いた。
私はこれからも愛し続ける。
愛することは能動的で、生産的で、自由だ。
フロムの著書『愛するということ』を大学の哲学の教授と議論する会に参加しているのだが、そこでそういう話をした。
今回私がPOOLOを通して経験したのも、まさにその通りだった。
一方的で構わない。
相手がどうだとか、そういうことではない。
信じ続ければいい。
しみなおことTABIPPO代表清水直哉さんが「性善説」を信じている、というnoteを書いているのだが、それを読んだ時、かつての私は無性に胸が苦しくなった。
しかし、今読み返すと全く違って見える。
今になって心の底から理解できた。
こういうことか。
愛を持って接していたら、倍以上の愛が返ってきた。
「3期の顔といったらさきちゃん」
「さきのおかげでPOOLOに安心して参加できた」
「3期の優しい雰囲気はさきの力だよ」
活動期間中、こんな素敵な言葉をたくさんかけてもらった。
もう、何かのドッキリかと思うくらいたくさん浴びた。
素直に受け取ろう。
私の愛が伝播して、3期全体に降り注いだ、そういうことみたいなのだ。
それぞれの顔を見ると、一人一人との思い出が色濃く浮かんでくる。
時には「あなたがわからない」「ここが苦手、怖い」なんてストレートに伝えたこともある。
でも、そうやって、苦しいけれど逃げずに手を伸ばして、
多少の痛みを伴いながら、
「解りたい」という一心でこびりついたわだかまりを一つ一つ剥がしたり、
絡まってしまった糸を切らずに根気よく解いていったりしたら、
裸の心で対話できる仲間ができた。
こんな風に私が「愛し愛される」ことを知って、
まだ成長途中ではあるものの、
「人間らしく」なれたのは、私の力だけではない。
間違いなく、みんなが私の愛を喜んで受け取ってくれて、言葉にしてくれたから。
ありがとう。
さき
余談 : 「愛」の取り組み〜卒業後〜
愛を恐れずに享受していきたい。
それが今の私の状態だ。
本当の「愛」、
少なくとも私が想像する範囲での”本当の「愛」”、
それにかなり近い状態が解ったから、
今度はその”理解”をもって、
ちゃんと認識しながら愛を配ったり受け取ったりしていきたいと思っている。
早速の取り組みの一つとして、某日、私主催で私のお別れ会(諸事情は控える)を開催させていただいた。
最初は多くても8人くらいになる想定だったのだが、気づけば月曜の夜というのに23人も集まってくれた。
他県から駆けつけてくれた人や翌日からアメリカに渡航するというのに都合をつけてくれた人、元々来られない予定だったのに急遽来てくれた人にSNSでしかちゃんと話せなかったからと来てくれた人、仕事終わりに数分だけでもと顔を出してくれた人、買い出しから協力してくれた人、何かできることない?と声をかけてくれた人、サプライズを企画してくれた人、写真撮影をしてくれた人、会場を盛り上げてくれた人、事前準備から相談に乗ってくれた人、私に食べ物を与えてくれた人(笑)、などなど感謝は延べきれない。
予定があって行けない、と事前に連絡してくれた人たちもいるし、だから別日にと会えた人たちもいる。ありがとう。
自分主催なんてなんと偉そうに、と思うかもしれないが、会えなくなる前にみんなの顔が見たい、というワガママと、
『私の大好きな人たちが初めましてを繰り広げ、その輪が広がったら素敵だな』という「愛」に突き動かされ、気づいたら呼びかけていた。
これもまた、以前の私であればあれこれ考えてやめていただろう。
だが今は、そんな瑣末なことを気にして控えるという選択が霞むほど、「愛」を原動力に選択できている。
Notパリピパーティーをテーマに(笑)、
誰も置いていかれない、でも自分のペースもちゃんと大切にできる、
そして交流が生まれ、来てくれた人たちが笑顔になる、そんな温かい会にしたいと思ったから、下記の通り我ながら好きなようにやらせていただいた。
来てくれた人には、
「主役がなんでむしろもてなしてくれるの?」
などと笑われたのだが、
私は確信していた。
これは私からの無償の「愛」の形であり、
感謝されたいだとか、
愛されたいという”見返り”を求める気持ちはそこに一切なかった。
断言する、一切なかった。
一方的なものだから、
「主役だから」という感覚はそこにない。
ただ心から楽しんで欲しくて、
どうしたら楽しいかな?喜んでくれるかな?というワクワクと温かい愛だけが存在した。
お別れ会の間、
主役そっちの気で輪になって楽しむみんなの姿が愛おしかったし、
用意したスペースでえみぞうやタムがくつろいでいたのも嬉しかったし、
ダーツに興じるみんなも微笑ましかったし、
私の配ったお花を全員が持っている姿や、
持ち帰ってから飾った報告をしてくれるみんなも愛しくて仕方なかった。
みんなの愛しさを噛み締めながら、
そもそも自分が愛を配ること自体に喜びを感じているのが嬉しかったし、
やっと、
”健全な愛の形”をこの目で見てあげられた気がした。
【余力があれば】
付録 : 私の取り組んだ「愛」
頼る・任せる
→have toではなくwant toを大切にしろ@箱根(くぼちゃん)、「やりたいことだけやればいい」@コチトリ(がっくん)▶︎川越和装散策企画で実践。(「助けて!」が人生で初めて言えて、そうしたら想像以上に助けてくれる人がいた。その後も、企画で手が回らないといつもりかこやゆきのに頼りまくった、おむにはもう頭が上がらないくらい活動を支えられた、さんちゃんにも窮地で電話した、いなりに「部屋の掃除やっといて」と言ってみた(笑)、どうしよう、他にも頼りまくっているね、挙げきれない。)自分から自己開示する
→元々思っていた+ジェンダーについてカミングアウトしている同期が多かった(みくにん、まこっちゃん、いなり、他にも数名)+初めて目の障害について話した@箱根(くぼちゃん)、自己開示した分相手も返してくれる理論@箱根(あべべ):noteをはじめとし、対話の中でも”苦手なこと”や”できない部分”、”言えなかったこと”を積極的にさらけ出すようにした。(お陰でHSS型HSPであることや、ADHDであろうことまで判明してしまった)自分を大切にする
→自分の体調や時間を大切にできる人たちに出会い、POOLOはそれをちゃんと受け止めてくれるコミュニティであると知った(さやかやぴろちゃん、さや、クラコー、ゆうきなど)会いたい人にちゃんと会う、好きと伝える
→その一回が最後の一回かもしれないと常に思っている。これは元々。不平等に人を愛する
→文字に起こすと少しセンセーショナルだが、イメージとしては、”しなきゃ”と思うくらいなら平等を捨てて良い、ということだ。私は誰かのための私ではないし、平等性を気にするがゆえに大切な人を犠牲にしたり、自分を苦しめたりしたくない。結論、3期は愛すべき人ばかりなので平等に愛しているように見えるかもしれないが、職場や家族、POOLO外の友人含め程よい距離感を保てるようになった。正直に意見する
→分からないことを背伸びしないのは元々+ネガティヴな意見はコージーそのものの影響。ほんの小さなことだが、牛窓旅でスイカバーが美味しいか?と聞かれて、初めて遠慮せずに「おいしくない」と言った。何気ない会話だったけれど、あの時りょーちん、ぴろちゃん、コージーはむしろ気持ちいいくらいに笑ってくれて、「悪意がなければ時には正直に言っていいんだ。」と思った。そこからはかなり正直になりすぎて、むしろ最近本来の私はSっ気が強いのではないかとさえ思い始めた。(ぴろちゃんいじりすぎてごめん)自然体・等身大でいる
→ごりぷさんやのすけの世界観、隼人の五島列島での気持ちのいい自由さ、しゅかの紆余曲折の末のラフさ、すーさんのオープンさに影響を受けた。頑張る必要などどこにもないし、その方が自分も安定するし周りも接しやすい。:Oチーム無人島生活、いなりとの同居、ハルナ・りかこ・りょうとの4日間の道東旅で少しずつ体得できてきたように感じた。自分のペースを崩さない
→これは、私が人と会話するときに”苦しい”と感じる理由がどこにあるのか分析した結果、圧のある相手に対し自分のペースで話せなくなることとわかったから。息が苦しくなるから、そういう時は相手に迎合しないし、無理して合わせないことにした。さやは誰が相手でもそのままでいるよね、好き。一度のわからない・苦手・怖いで遮断しない、諦めない
→「誰でもすぐ仲良くなれる」と思われがちだが、私も例に漏れず”どう会話していいか分からない人・価値観の違う人”にPOOLOで遭遇することはもちろんあった。だが、一度話して「分かり合えなそう」と思っても、絶対に逃げない、諦めないと決めていたから、そういう人に出会ったら遅かれ早かれ対話を申し込み、相手を尊重しながら、私から思っていることを赤裸々に伝えた。手に武器は持っていないことを示した上で、外側を剥いで、対話できるところまで一緒に降りてから語り合った。
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