母だった
母の去った部屋に帰った。
スッキリと片付けられたシンク周り。
ゴミ袋が替えられたゴミ箱。
物が整理されてガランと静まり返ったワンルーム。
母の過ごした痕跡が見事に跡形もなくなっていることが、
母がいたことをむしろ強調した。
ソファのシーツも綺麗に整えられ、その上には「ありがとう」と言わんばかりに母の使った毛布が丁寧に畳まれていた。
私はその毛布と平積みされた洗濯物との間に深く腰を沈める。
ゴロンと膝に転がってきたぬいぐるみを左手で撫でながら、昨晩からのことを思い出した。
幸せに飢えている
昨日、実家から母が一晩だけ泊まりに来た。
母の一番の目的は、母経由の依頼で描いた私の作品を受け取りに来ることだったが、
実家の家事を済ませて千葉からやってくるので、ついでに一泊していく、ということになった。
私はとある時期から強く自立を求めるようになり、
「もう手がかかりませんよ」
ということを伝えるためにも、
必要以上に実家を頼らない傾向にあったのだが、
今回は久しぶりに母が泊まりで来るということで、
なんとも偉そうな言い方だが、
世話焼きの母が喜ぶ
”できないことが多くて何かと親に頼る娘”
でいよう、と意識していた。
たまにはいっか、という境地、気まぐれだったように思う。
キッチンペーパーが切れているから補充してほしい、クリーニングに出している服をいつも退勤後受け取りが間に合わないから受け取っておいてほしい、本棚の整理をお願いしたい、冷蔵庫に油揚げが残っているからお味噌汁を作って消費したい、夕飯はサラダがいい・・・などなど。
いつもは「何もいらないから」「大丈夫、自分のことは自分でやってるから」「片付けられちゃうと場所わかんなくなっちゃう」と言い放っていたようなことを、思いつく限りお願いした。
母もまた、
「全くもう、やることがいっぱいねぇ」
と、娘に頼られることを嬉々としているようだった。
私はというと、お風呂上がりにとスムージーを2人分、翌朝用にパンを2人分買って帰り、腰痛に悩む母におすすめのマッサージ店までの行き方を案内し、翌朝は得意のオムレツを振る舞った。
思い出せるだけでしたことと言えばそれだけなのに、母はとても嬉しそうにしていた。
「こんな風に誰かに作った物食べさせてもらえるなんてないから嬉しくって」
母は差し出したオムレツを愛しそうに見つめていた。
「え、パンなんて買っただけじゃん」
照れ隠しもあったが、実際そう思ったのも事実である。私はそう返した。
「だって、パンだって自分で買ってないもん。朝起きたらご飯が用意されてるなんて」
そう綻ぶ母は、本当に、本当に嬉しそうだった。
家を出た後も、
『短い時間だったけれど、快適なお部屋に一泊させてくれてありがとう。マッサージ店の道まで丁寧に案内してくれて・・・毛布もパジャマも貸してくれてありがとう。たくさんお世話になりました』
と、丁寧なメッセージをよこしてくれた。
小さなこと一つ一つに感動し、感謝する母を見て、普段この人はどれだけ独りで頑張っているんだろう、そして優しくされていないのだろう、と私は思った。
何気ない些細なことに母が感謝すればするほど、不思議と喜びより胸の苦しさが増した。
母は私の仕事中に部屋を片付けてくれていたし、夜には私が飲みたいと言ったお味噌汁をちゃんと作ってくれた。
ただ野菜が食べたいと言っただけなのに、デパ地下で何種類ものサラダを買ってきてくれたし、
そのほかにも頼んでいない家事までして、毛布や衣類も洗ったり干したりしてくれていた。
私からしたら、今回の宿泊ではむしろ母からのギブが余りあるくらいの感覚だ。
それなのに、母は自分がギブしているとは思わずに、それよりも些細な私のしたことに感謝した。
なんだか、その姿は痛いほどに見覚えがあった。
あ。これ、知ってる。
それはかつての私だった。
昔の自分を客観的にみているような。
そう、私は、母だった。
自分の自己肯定感の低さや過剰に謙虚な振る舞いは、
思う以上に多分、母の影響を色濃く受けていた。
自分のしていることには気づいてあげられず、
自分を褒めることは決してできず、
そして自分が幸せを受けること・幸せになることに慣れていない。
私になんてもったいない。こんな幸せあっていいのか。
だからこそ、
ちょっとしたことでとても衝撃的な感動を受け、
周囲から「本当に小さなことで喜んでくれるね」と言ってもらえるような反応をしてしまう。
それは戸惑いに近い。
決して感情が豊かなのでも、繊細なことに気づける柔らかさがあるのでもなく、
誰かに優しくされること、愛されることに極度に慣れていないだけなのだ。
大袈裟に例えるならば、
ずっと召使の身分でいた人が、突然王族と同じ扱いを受けて、「こんなのよろしいのでしょうか・・・?本当に、本当にありがとうございます・・・!」というような感じである。
______誰かのために動かなきゃ、尽くさなきゃ。
親戚の集まりでも腰を下ろして休むことなく1人台所であくせく働く母の後ろ姿を見て育った。
______絶対に他人に迷惑はかけられない。
風邪を引いても家事は滞りなくこなし、食事を作るのも担当し続け、全て終えてから休息を取っていた母を見て育った(そもそも、母が体調不良を起こすこと自体稀だった)。
人のためには動くのに、こと自分が受け取る側となると母はてんで不得手だった。
愛の受け取りベタだった。
極度な謙虚さは、
紛れもなくこの人に瓜二つ。
そんなことを強く確信した。
それとともに気づいたことがある。
そんな母を救いたい、いやそれは烏滸がましいとしても、
少しは軽くしてあげたい、これからは母が母自身を愛せるように対応していこう、そう思ったと同時に、
そういう風に客観的に母を見られている自分が嬉しかった。
つまり、俯瞰して見られるということは、その渦中にいて気づけていない当時の自分よりはすでに一歩進んだ証であり、次のステップ・明るい方に歩めているのだとくっきりとさせてくれることを意味した。
「またいつでも泊まりにおいで」
私は母に短く返事をして、少し誇らしげな気持ちで眠りについた。
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