ここは「居場所」だから~中学入学前にピアノをやめないでほしい理由
ピアノを割と真剣にやっていた中学時代、両親との関係は悪かったわけではないのですが、どうしても親には話せない、ということは私にもありました。
そんなとき、どうだったかな…。
ピアノの先生に、進路の悩み、恋の話、友達の話…を、自分からしたわけではありませんが、なんとなく雑談でそういう話になって、話せる場所があってよかったと感じたことがあります。
自分はなにものなのか。
なにものになるのか。ならないのか。
思春期の心は常に嵐が吹き荒れています。
大人になってその頃を振り返ってみたら、
なんであんなことで死にたくなったんだろうな
ちょっと黒歴史かも
ヤバイ思考だったよね、私
そんなふうに、懐かしく思える時も来るのですが、10代半ばの彼ら彼女たちにとってはまさに今が全て。
レッスンに来る前にお母さんと喧嘩して出てきてすごく気持ちがダウンしてた子
「自分が何がやりたいかわからない」と悩みを吐き出す子
「お母さんなんて死ねばいいのに」と真顔で言ってくる子
「告られたけどなんとも思ってないから断りたいんだけど」という相談
進路相談で担任と親と意見が合わない
一見、ピアノのレッスンになんてな~~~~んも、関係ないようなこういったことについて、
私は彼ら彼女たちの話をまず「聞いて」きました。
大人の目、頭、経験から考えたら一笑に臥すような内容なのかもしれない。
だけど本人はめちゃくちゃ真剣。
それなら、さきこ先生もがっつり真剣に聞かなきゃ失礼だよね。
私は中学生の生徒の親御さんと同世代、あるいは私の方が年上かもしれません。
ですが、生徒さんのお母さんじゃない第三者の立ち位置。
学校の先生とも役割が違う。
私は、スクールカウンセラーではありません。心理系の資格を持っているわけではない。
ですから、レッスンの合間に生徒の話を聞くのは、ただ「聞く」だけ。
本人が何か言って欲しいなら、「私はこう思うけどね」
「あなたは〇〇だと思ってるんだよね」など。
習い事の場が中高生のもうひとつの「居場所」になりうるのは、ほかの習い事でも
あると思いますが、ピアノの場合は先生と一対一で向き合う個人レッスンだから。
その日の生徒の様子は、インターホンを押して「〇〇です」というときから、
ドアを開けて「こんにちは」「おねがいします」と入ってくるときの顔色、声から、
読み取ってその日のレッスンの進行を組み立て直すことだってあるんです。
以前、半年~2年くらい、中学生になってから私が教えた子たちが
「さきこ先生が話を聞いてくれたのが嬉しかった」
と言って、卒業の挨拶に来てくれたことが心に残っています。
私の仕事は、長ければ20年にも、30年にもわたってのお付き合いが続くもの。
成長を見守りながら、技術とともに音楽の喜びたのしみのかけらを受け渡し、
旅立っていくのを見守る仕事です。
ただピアノの弾き方楽譜の読み方を教えるだけじゃないんです。
ときにご両親の子育ての悩みにも寄り添いながら、伴走者として一緒に寄り添っていく。
「ぴあのすく~るSan’s」で習い続ける生徒さんに対して私はそういう先生であり続けたいと考えています。
(今回の写真は、レッスン中の生徒です)
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