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BRM608広島300km阿知須・益田・長門仙崎


出走前

雨DNSやら休日出勤DNEやらでなんだかんだ走れていなかったため、ようやく今年初めて参加出来そうなブルベが地元開催のBRM608広島300km阿知須・益田・長門仙崎(サブタイトル:瀬戸内日本海をめぐる中国山地横断の旅路、西京維新の旅)となったわけだが、一週間前までは晴れ予報だったのに数日前には後半は雨に降られる予報に変わり、前日までにはスタートしてしばらくしたら雨、当日に至ってはスタート時刻からずっと雨と日を追うごとに悪化していったため今回も雨DNSしたいところだったが、地元開催ということもあり参加するのもDNFして帰るのも気が楽なので参加する決断をした。

自走〜出走まで

自宅から開催地の道の駅きららあじすまでは概ね1時間ほどの道のりで、受付開始時刻が17時でブリーフィングは17時30分開始予定だったため、16時過ぎに家を出る。

家を出た時点で既に空はどんよりと薄暗く風も湿っておりこの先降るぞと言わんばかりの空模様なので気分も重くなり、今回のコース序盤にして最大の山場である21世紀の森までは降らずに保ってくれないかなと淡い期待を抱いていたのだが、そんなわけにも行かなそうな事を再認識させられた。

阿知須に入ってから道の駅に向かうための国道から旧国道への分岐を入る際に、逆走俯き前方未確認爺が全力でこちらに向かってきたので回避するのだが、こういうときにいっそ停止してぶつかってやろうかと思うがダメージ的にはこちらの方が受けそうなので未だに実行には移せずにいる。

受付場所に到着すると既に数人の参加者がおりこんな予報でも参加する物好きも居るのだなぁと他人事のように思う。
その中にAJ福岡スタッフの@KumaOnsenさんが居たので参加するのかと一瞬思うがどう見てもこれから300km走る格好では無く、賑やかしに来られたとのことで@misosiru_191さんは逃げてましたねと陰口をたたいたり、AJ広島スタッフの方も交えて年度が切り替わったので11月12月の開催はどうするのかを聞いてみたり、他の参加者の方に自転車について聞かれたり写真を撮られたりしているうちにブリーフィングが始まった。

ブリーフィングは初参加者も居ない事も有りコース上の諸注意や天候に関する話に触れるくらいでさっくりと終了したのだが、ブリーフィング前まではポツリポツリと降るくらいだった雨がブリーフィング中に本降りに変わり、この時点で既にかなり帰りたくなっていた。
ブリーフィング後に@KumaOnsenさんがゴール受付で待ってますと言って来たのに対して本当に居てくださいよと返してしまったため、今にして思えばこのやりとりが呪言のように効いていた様な気がする。

スタート〜PhC1 21世紀の森

スタート直後の小郡阿知須道路は一見自動車専用道に見える規格をした信号のない快走路なのだが、海岸沿いの吹き曝しの高架であるため時折強い横風が吹いて煽られる事があるので悪天候の日に走行するのは少々怖かったのだが、多少の横風はあった物の懸念しているほどでは無かった。

終点手前のループになっている干見折ICから小郡阿知須道を降り、信号機のある交差点を二段階右折で曲がるのだが、赤信号で待機中に後ろの走者から横断歩道を渡らないのかと聞かれたので自分は渡らないと答えたのだが、後続の走者は全員横断歩道を渡っていった。それ自体は別に構わないのだが、揃いも揃って降車せずに乗車したまま停止線を越えて横断歩道を渡っていくものだからかなりゲンナリとする。信号が変わって自分は直進して二段階右折のために停止し、他の走者はみな横断歩道を渡って先へと進んで行ったのだが、この先は長めの信号待ちがあるのでどうせ追いつくだろうなと思って背中を眺めつつ椹野川沿いを北上し、案の定幹線道路との交差点の信号待ちで集団の最後尾に追いつく。そのまま椹野川沿いを更に北上して国道9号線に合流すると、右折なので当然二段階するべきところなのだが前走者は全員直接右折して駆け抜けていくのを再びゲンナリしながら見送ったのだが、信号が変わるのを待機中に追いついてきた後続者が自分の後ろについて信号待ちしてくれたのでメンタル的に少し持ち直す。

その後は国道9号線を21世紀の森に向かって進むのだが、高速や自動車専用道路のICとの合流が3ヶ所と高架への分岐が1ヶ所あり黄昏時の雨天で視界も悪いだろうこともあり合流・分離する車の確認に普段以上に気を遣う。途中の分岐や信号待ちの度に、ここを曲がって帰宅したいなという誘惑に駆られる物の、21世紀の森は登ると事前に宣言していたので引くに引けずに前に進む。

21世紀の森を登り始める頃はまだ若干薄暗い程度であったが、登っている内に流石に完全な暗闇となる。道路上には雨に喜んで出てきたカエルがそこかしこに点在しており踏まない用に気を遣うのだが、幸い速度の出ない急勾配の登り坂であったため避ける事自体はそれほど難しくなかった。
一の坂ダムまでの1段目を登り切った先の平坦〜下りの区間を抜け、より勾配のキツい2段目を登り始める際に登ってきた道の方に車のヘッドライトが見えたため、抜かれる際にふらつかないように気をつけようと思って登っていたところ、何故かすぐに抜いていかずに併走するような気配があったのでとっとと行ってくれないかなと思っているとAJ広島スタッフの方で声をかけられて少し驚いた。
過積載のヒルクライムはひたすら耐えるペダリングをするだけなので心配的にキツいと感じるレベルになるとそもそも登りきれないと思った方が良いのだが、キツさを感じているわけでも無いのに何故か普段より心拍数がかなり高めだったので恐らく体調的にも不調だったのではないかと思われるが、それでもひたすら耐え続けてどうにか登頂。
フォトチェックの最高標高地点には先ほど追い抜いて行かれたスタッフの方が待機されており、標識をヘッドライトで照らしていたので撮影はスムーズに行えた。
この時点でとりあえず事前の宣言通りに21世紀の森は登りきったし帰ってもいいかなぁと思いつつ、来た道を引き返すのはコンディションを考えると勾配がキツく距離もあることを考えると危険だと思ったので、この先にも帰宅するための分岐はあることを加味して取りあえず先へ進む。

夜間だが人の気配が多かったので噂の霊は出なかった

PhC1 21世紀の森〜PC1

21世紀の森のピークから国道262号線まではピーク直下が登ってきた道に匹敵する程の急勾配なので気をつけながら下るのだが、ブレーキローターが雨で濡れているためにけたたましく鳴るためこいつは熊よけ要らずだななどと考えるのだが、そもそも雨天の夜間に野生動物に遭遇した記憶は無いので雨の日は動物ですら出歩かないんじゃなかろうか。

262号線に合流後は徳佐方面への分岐となる木戸山トンネルまで進み、交差点で左に曲がればルート通り、右に曲がれば家に帰れるといったところでしばし悩む。後続車の居ない交差点の停止線のところで十数秒悩んだものの、流石にここで帰ったら早過ぎるし、徳佐までならまだ引き返すチャンスはあるからと意を決して左折する。
木戸山トンネルは山口市街地方面からだと上り勾配なのでのろのろと進み、トンネルを抜けたところで停車できるスペースがあるので停車して、ここで引き返せば下るだけで家の方へ帰れるなぁと30秒ほど考えるが、後ろ髪引かれつつ前へと漕ぎ出す。

道の駅長門峡に辿り着いたところで、トイレ休憩を兼ねてウェアを夏用から春秋用に着替える。
下は寒くても平気だし出先でビブを替えるのは結構難しいから上だけ色々持ってきていたのだが、思ったより腿の辺りに寒さを覚えていたのでビブも春秋用を持ってきてても良かったなと後悔する。

木戸山トンネルを過ぎてから徳佐のセブンイレブンに到達するまでの区間は3ヶ所ほど山口方面に戻るための分岐があるため通りがかる度に今ここを曲がって帰れば何時くらいに家に着くなぁ、風呂入ってベッドで寝たいなぁと思いながら、でもスタート時に@KumaOnsenさんにてめぇゴールで待ってますって言ったからにはホントに居ろよコラと啖呵を切った手前自分がDNFで居ないというわけにもいかないよなと思って泣く泣く振り切るコトを繰り返す。

県境のトンネルを越え津和野の町並みを横目に進んでいる頃には流石にDNFする気は無くなり、かつ益田までの区間は40km程緩やかな下り基調の快走路なので、この辺りで「雨ライドも走り出しはイヤ過ぎるけど走ってると楽しくなってくるよな!」などと考え始めていたので順調に脳みそが壊れていく。

長い長い下り基調の道のりが終わり萩・石見空港に至るまでの道は先月試走した際にも思ったのだが分岐を把握していないと間違えそうな道になっており、実際自分も試走の際には一ヶ所間違えてしまったのだが、偶然アプローチの直前に背中が見える距離まで追いついた前走者が左折を見落として直進していったので大声を上げてコースを伝える。直後のPC1で話しかけられたが、そこまでの道中でも1度コースミスをしていたとのことで、昼間の自分でもちょっと分かりづらいなと思っていた位なので、夜間に初見だと間違えても致し方なしといったところであろう。

PC1はローソン・ポプラだったので下見した際にはここでポプ弁を食べたいなと思っていたのだが、多少小雨になっているとはいえ雨が降り続き地面も濡れ濡れの状態で腰を落ち着けて弁当を食べる気にはなれないので、ホットドッグとホットコーヒーで手早く済ます。

PC1 ローソン・ポプラ益田高津店

PC1〜PC2

PC2の長門までの区間は追い風になることを覚悟していたのだが、田万川〜須佐〜阿武の辺りでかなり雨脚が強まり雨粒が打ち付けられて痛いくらいなったのだが、これだけの雨量にもかかわらず風自体は無風か弱めの追い風と思われるくらいに快調に走ることが出来た。

ただ、ブリーフィング前だったかにスタッフの方と雑談していた際に日本海側に出たら後は平坦だと誰かが発言していたのを聞いて、いやいやあの道は割とアップダウン激しいだろと心の中でツッコミを入れていた通り、阿武に至るまでの道のりはずっと登るか下るかしていた様な気がした。

アップダウンを繰り返す区間を抜けて道の駅阿武でトイレ休憩を挟んだが、同じように休憩をしているランドヌールを見かけたが憔悴しきっていて軽く挨拶を交わすくらいで会話をすることも無かった。

雨脚に関しても萩市街地に入る頃にはかなり落ち着き、阿武〜萩の辺りで合流した他走者とこのまま止んでくれたら良いですねなどと会話をしつつ、でもやっぱりそんな甘くは無いだろうなぁという諦めの気持ちもあったのだが、長門のPC2までの区間でも強まる様なことは無かったのでこのまま止んでくれとまでは言わぬまでもしとしと降る程度でおさまってくれないかなぁなどと思っていたのだが、現実は非情であった。

PC2 ローソン・ポプラ長門仙崎店

ここでふと雨になると必ず中身がしっとりしてしまうトップチューブバッグの状態を確認してみようとジッパーを開けたところ、前方の補給食を入れている部分は外装が湿っている程度だったのだが、後方のその他雑多に突っ込んでいる部分は湿っている処か完全に水没していて思わず一度閉めてからもう一度開けて二度見をする。
オマケに普段であればトップチューブバッグの中には基本的に湿り気を帯びても問題が無い物を入れているのだが、今回は入れた記憶の無い充電池とモバイルバッテリーが放り込まれていたので恐らくモバイルバッテリーはお亡くなりになった事であろう。
基本的に積むことに抵抗が無いので積み忘れがないかは確認するのだが、積み過ぎが無いかは全く確認していないのでこういう事が起こりがちである、反省。

慌ててモバイルバッテリーを取り出した後に撮影

PC2〜PhC2 東行庵

面白いので水没したトップチューブバッグはそのままにしてPC2を出発。
前日に確認した際の天気予報ではここから先は南寄りの風がかなり強く吹く予報だったので困難な状況を予想していたのだが、拍子抜けするくらいに無風であった。

しかしながら長門市街地から長門湯本を抜けて美祢市との市境にある大ヶ峠トンネルまでの区間は雨脚が強まってくる。
この区間は延々と緩い上り基調であるためスピードは出ないので視野の悪化や路面の状態はそれほど気にはならなかったものの、純粋にしばらく弱まって油断しきったところへの叩きつけるような雨への急変は精神的にかなり来る物があった。
結局雨脚は大ヶ峠トンネルを抜けた頃には再び落ち着き、美祢市街地に至る頃には再びしとしと降る程度に収まってくれた。

美祢市街地を抜けてから東行庵に至るまでは、美祢西ICの先に距離は短い物のそれなりに斜度のある坂が1つあるだけで全体的には下り基調で軽い追い風も吹いていたので快調に飛ばし、向かい風前提で想定していた到着時刻より30分ほど早めに東行庵に到着した。

頻繁に通るものの立ち寄ることは全く無い東行庵

PhC2 東行庵〜PhC3 きららビーチ焼野・幸せの鐘

東行庵を過ぎてすぐ、なんならGarmin Climbは東行庵に寄る前からヒルクライム区間と判定している埴生口峠を越える。

この先のルートはRWGPSのコースデータもキューシートも確認していたはずなのに、何故かルートである国道2号線ではなく自分が普段のライドで通る国道190号線の方に向かう物とばかり思い込んでいたため、Garmin Climbが次の坂は埴生口峠から3.6km先だと表示していた面食らう。
と言うのも国道2号線はバイパス区間で交通量も多く、自転車が通行禁止なわけではないものの構造的には走りにくく自動車側からしてもこんなところを自転車が走っているとはなかなか想定しづらい区間であるからである。
歩道がある区間では歩道を走れば良いのだが、埴生ICとの合流地点ではICに向かう勾配をプラスされるのに加えて、片側の歩道が無くなる区間があって歩道だけで進むためには迂回路を把握しておかなければならないなど知らないと車道を走らざるを得なくなるので、わざわざこっちを通さなくても良かろうにと個人的には思うのだが、ルート作成者的には何かしら都合が合ってこちらを通して居るのだろう。

恐怖の国道2号線区間が終わり小野田市街地方面へ。
途中跨線橋が工事に寄って車幅が狭くなっている部分があるのだが、以前通った際は大渋滞を起こしていたものの時間帯にも寄るのかスムーズに通り抜けることが出来てホッとする。
小野田港方面へ繋がる橋はブリーフィング時に説明があったとおり歩道を通りレノファ山口のクラブハウスが有るサッカーパークの辺りを通過していたところ、公園内でチャントの練習をしている集団に遭遇したのだが、レノファのユニフォームを着ているわけでもなかったので果たして何の集団だったのか謎である。

PhC3の焼野ビーチに到着する頃にはすっかり雨も上がり、天気予報や雨雲レーダーを確認してもこれ以上降られることはなさそうなのでようやく雨具をパージする。

幸せの鐘のようなオブジェは各地に見受けられるがいずれもオッサンがソロで寄りつくには少々ハードルが高い物の、天気が悪いことも有り人影はまばらでオブジェの周囲にも人は居なかったので気楽に撮影することが出来た。

頻繁に立ち寄るが撮影するのは初めてな気がする

PhC3 きららビーチ焼野・幸せの鐘〜ゴール

焼野海岸を出発すると遂に風が吹き始めたのだが、南東の風という割に何故かほぼ真東から強烈な風が吹き付けており、所々北に回ってくるのでゴールまでは東〜北東〜北と向かうルートで有るにもかかわらず延々と向かい風に苦しめられる。
ここまで全体的に風の予報は全部外れているというかあてにならなかったのだが、最後の最後で悪い方に転んだのは運が良いのか悪いのか微妙なところである。

厚東川を越えて居能駅前を通過してから興産本社前に出るルートは通ったことが無いルートだったので興味深かったのだが、大型トラックが頻繁に出入りする場所なので平日には通りたく無いだろうし今後も好んで選ぶ道では無いかなと言った印象で、居能駅前を通るのでは無く素直に直進して国道190号線に合流する方が良い様な気がする。

国道190号線に出てからはひたすら国道190号を進むだけなので特筆するところはなく、時間帯的に11時に差し掛かる頃だったので飲食店の開店時間と重なりどこかで食事をしても良いかなとも思ったのだが、それほど空腹感があるわけでもないのでゴールのローソンでこれまで通過したPCで気になったもののゆっくり腰を下ろして食べられるコンディションでは無かったのでスルーしていた豚カルビの塩焼きそばを食べる事にして寄り道せずにゴールを目指す。

結局強い向かい風は岐波辺りまで続いたが、市境の丘を越えて阿知須に入ってからはちゃんと南寄りの追い風に変わり、最後は追い風に乗ってゴールのローソンに到着。
PhC3を出る頃には12時前には着くかなと思っていたのだが、向かい風の影響か最終的には12時を少し過ぎていた。

お目当ての塩焼そばだが、今思えばゴール受付前に食うもんじゃない

ゴール〜ゴール受付

食べ終えてから一息ついて、のそのそとゴールのローソンからゴール受付の佐山地域交流センターへ向かう。
縁が無いので初めて向かう施設で有ったため、実はスタート地点までに向かう道中で下見をしておいたのだが、入り口の道さえ把握していれば下見をするまでも無く分かる建物だった。

受付には宣言通り@KumaOnsenさんが待ち構えており、心折れてDNFしなくて良かったなという思いと、あんなやりとりをしたせいでDNF出来なかったじゃ無いかという思いが過ったのだが口には出さずにおく。

途中まで追走されていたスタッフの方に夜間でもピカピカ光っている事が遠目にも分かり易かったとお褒めいただいたので、ライトを増やして視認性を上げる効果はあるらしい。自分では自分の姿を見ることは出来ないので、こういって評価して貰えるのは大変参考になるのである。

ゴール受付を済ませてメダルを購入したのだが、今年初出走なので当然新しいメダルを受け取るどころか実物を見るのも初めてなわけで、実物を見れば印象が変わることもあるだろうかと思っていたもののやはりダサいものはダサかった。

ゴール地点での撮影を忘れたので帰宅してから偽んてふさんと

完走した感想

実に7ヶ月半ぶりに参加したブルベだったが、正直楽しいと感じられるようなコンディションでは無く、ただひたすらに辛い思いをしただけだった。
これが地元開催で無ければDNSは揺るがないくらいにコンディションが酷いものになることは明白だったのでDNF前提くらいの気持ちで臨んだため、たまたま@KumaOnsenさんが賑やかしに来ていてその上でゴール受付にも来ると聞いた上で、何故かそれに対して買い言葉のような返しをしてしまっていなければ恐らく完走はしていなかっただろう。口は禍の元とはよく言ったものである。

それでも良かった点を絞り出すとするなら、このコンディションの中でも完走するか否かの判断に迷いはすれど、完走出来るか否か不安になるような事は無かった事と、最悪のコンディションの中を走った割には車体の汚れが想定していたより少なく、フルフェンダーの効力を実感することが出来たことくらいだろうか。
雨ライドの後の車体の汚れ具合はそれはもう酷いものなのだが、今回は普段よりも酷い雨の中を普段より遙かに長い時間走った割に汚れ方は拍子抜けする程度で済んでおり、一部汚れが酷い箇所はフェンダーの効力が及ばないBB下などに限られていたため、元々フルフェンダーは着けていたのだが、同じフルフェンダーでもタイヤとのクリアランスを限界まで詰められるタイプとある程度隙間が出来るタイプでは雲泥の差であった。

21世紀の森のせいで分かり難いが、全体的に細かくアップダウンを繰り返して平坦が少ない
まとまった休憩はほぼとっていないため、経過時間と移動時間の差が2時間を切っていた

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