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我が自慢のメルカリで買ったブツ(航空編)

前回のメルカリで買ったブツの記事何故かご好評いただいた。何がウケるかわからないものですね。

それはそれとして当方は航空ファンなので、メルカリで買った変わったもの紹介でいうと、むしろここからが本番みたいなとこある。いくぜサキノさん厳選のメルカリで買ったニッチ航空グッズ。


53機しか作られなかった異形ビジネス機のピンバッジ

えっこれSF作品の架空機じゃないの?

さすがに飛行機に疎い人でも「変な形だな…」と思うような形をしている。特撮かアニメに出てきそうだ。最近ゴジラ-1.0を見た人なら震電に若干似てるように感じられるかもしれないこいつは、アメリカ生まれのビーチクラフト スターシップというれっきとした実在の機種のピンバッジ。

変な飛行機だいすきカンパニーに設計の改良を任せたら設計といい材質といい80年代にしてはメチャメチャ前衛的になりすぎて開発が長期化・開発費がかさみ、単価も高くなって販売が伸び悩み製造数は53機どまり。開発費を回収できず、ビジネス機としてはかなり快適だったらしいものの、財政的には大失敗となった。維持も大変だったらしく、作られた機体も早々に多くが退役してしまったという。
このピンバッジも、たぶんメーカーのビーチクラフト社、または日本における販売代理店の伊藤忠商事さんが販促として配ったものじゃないかと思うけれど、結局日本では一機も売れなかったようだ。変な飛行機だいすきおじさんのファンなので私は好きです。

7機しか作られなかった国産ヘリコプターのタイピン

(製品がどうなったかに関わらず)菱重のノベルティはいつも充実している

53機なんてまだ多いほうだぜ! もっと売れなかった航空機は本邦にもいるぜ!!
これは三菱重工のMH2000という民間ヘリのタイピン。後でまた触れるが、菱重はノベルティ類が結構豊富で品質もセンスも良く、金がかかってる感がある。そのへんはさすが三菱だなと思う。
MH2000はその名の通り「21世紀に羽ばたくヘリ」というコンセプトの、国産かつエンジンと機体を両方とも三菱が開発したヘリ機種。ふとましい流線形の機体が特徴……なんだけどまあいろいろあったらしくてさ……。お客さんからはまるで引き合いがなく、総生産数7機、実売4機という結果に終わった。

MH2000は試験機の墜落死傷事故を起こしたほか、MH2000に使われていたエンジンの兄弟機種は後々自衛隊のOH-1ヘリで長期の飛行停止を招く大問題を引き起こした。

MH2000がめちゃめちゃ売れていたらそれはそれでこちらも改修とか保障とか大変なことになっていたかもしれないので、売れなかったのはある意味幸いだったと見る向きもある
余談ですがMH2000は世界一フグに似てるヘリコプターだと思う。かわいいね! あいち航空ミュージアムで全7機中の実に2機も見れるからぜひ行くといいぜ!

贈収賄事件でご破算になった日米合同開発旅客機のタイピン

日本でこんな3発ジェット旅客機の開発計画なんてあったっけ?

戦後に作られた国産プロペラ旅客機、YS-11のことを覚えている方は結構いると思う。実はその後、後継の国産ジェット旅客機作ろうぜという話もあった。この計画をYXといいます。

でも一国で開発するには開発費が莫大すぎる! なので色々あってアメリカのボーイング社と新型機の共同開発をすることになりました。このタイピンに書かれた「YX-7X7」というのが、その共同開発計画の仮名。国際共同事業だし、こんな記念品を作るくらいには張り切ってたんでしょうね。
……だけど現代を生きる私達、そんな機種いないのを知っています。YX-7X7がどうして実現しなかったかというと 

ボーイングのライバル、ロッキード社が各国要人に賄賂を配って各国エアラインに自社機を買わせていた、かの有名なロッキード事件が明るみになったから。日本もそれでL-1011 トライスターを買っていたことから、ボーイングはブチギレ。宿敵を利するような奴と共同開発なんかできんぞと日本の参画比率をガン下げし、こうしてYX-7X7はボーイング767として、普通にボーイングの機種で生まれることになったのでした。残念だけど当然なんだわ……。

「お披露目」から初飛行までなぜか2年半くらいかかった旅客機の初飛行記念品

相当数を配ったらしくeb◯yでもよく見る

飛行機にそんなに詳しくはなくても、ボーイング787を知っている人は結構多いかもしれない。国内線でも国内線でもオールマイティに使える中型機でANAにもJALにも海外の航空会社にも多くいて、現在大きめの空港に行くとだいたい会えると言っていい。
しかしこの機種、開発の時期には大変な遅延と波乱があった。私が飛行機を本格的に好きになった理由とも関わるので詳しい話は別の機会にしたいが、ともかくこの記念品(コインとコンパスが専用箱にセットされている立派なもの)が配られることになった初号機の初飛行は、同機が1万5000人の前で「お披露目」されたときから実に2年半ほどもかかった。

なんでそんなに間が空いたんだろう、お披露目のときにはもうちゃんと飛行機の形だったのに。

……実はね、このお披露目式典のときの初号機ちゃんは配線も床板もないすっからかんの「ガワを飛行機の形に組んだ」だけ、このあとまた全部分解し直し作り直しになりました。あまりも計画が遅れ、お披露目式典は進捗をそれっぽく見せようとしただけ。

このあとどうなったかも含め、コンパスが必要だったのはどこの御社のほうだったやら……。詳しい話は、またおいおい。
件の初号機ちゃんは中部国際空港の展示施設FLIGHT OF DREAMSで会えるから、諸氏もぜひ会いに行ってあげてね!

販売までいかずに潰えた国産旅客機の模型、かつおぶし

リージョナルジェットといえど1/100模型は結構でっかかった

MH2000より良くない結果に終わった国産旅客機はまだ記憶にも新しいだろう。三菱 MRJ/MSJは、(飛べるところまで完成したという基準なら)6機が作られ、米国での旅客レギュレーションの試験に合格できないまま、主に資金的な限界でドロップアウトした。だから、お客さんに販売された機体は一機もない。

上の写真の模型は開発最初期に三菱重工がコンセプトとして関係者に配ったらしいもののひとつ。なにぶん実機が出来上がる前なので細部が曖昧だったりカラーリングが少し違ったりするが、高級模型メーカーのパックミン製で、さすが三菱はノベルティ模型も金かかってんなという感じ。「家族が関係先からもらったけど大きくて場所取る…」という方から購入したが、こういう掘り出し物があるのでメルカリコーミングが大好きだ。
だけど開発中止の発表前後にかけて、メルカリでの(おそらく関係者さんやそのご家族による)関連のパッチやフライトタグ等のノベルティ類の出品がドッと増えたときには、さすがに諸行無常を感じた。つらい。

かつおぶしっぽいのでかつおぶしと呼んでいる

このキーホルダーはMRJ用パーツの初めての切削加工の際に出た切屑を仕立てたものだという。米国に渡った4機の飛行試験機はもうみんなスクラップにされてしまったから、遺品(※飛行機です)として大切にしようと思う。
ただし、元ご関係者に聞く限りではこの切削加工のときのパーツはあとから作り直しになり、実機のほうには使われてないらしい。まあでもね……こういうのはあるだけいいのよ……。

模型にはおリボンをつけるなどしてかわいがっています

たぶん航空メーカーが航空会社に贈った模型

A300の1/100模型、デッ

こちらもかなりでかい模型。ゆうに50センチ超ある。かなり年季が入っていて、塗装には細かくヒビが入り、エンジンは購入時からない。
このエアバスA300-600の模型、元の持ち主さんいわく「三十数年前に家族が東亜国内航空(JAS前身)に務めていたときのもので、非売品である」とのこと。
調べた限り、このサイズを日本の模型メーカーが市販したことはなさそうで、作りもプラモとは異なり、非売品なのは間違いなさそう。でも東亜国内航空が導入機種の宣伝用に特注したなら、きっとメーカーであるエアバスのハウス塗装じゃなく、東亜国内航空の塗装にしますよね。
じゃあ、この模型はエアバスが航空会社にプレゼントしたやつじゃない?

  • 東亜国内航空のA300B2K(初期タイプ)受領が1980年

  • 東亜国内航空→JASへの商号変更が1988年

  • A300-600(発展型)の開発スタートが1980年、初飛行が1983年、運用開始が1984年、JASへの初納入が1991年

A300初期タイプを運用していた東亜国内航空に「うちの子がお世話になっております、発展形もいかがですか」と勧めるためにエアバスが贈ったものか、あるいはその後のA300-600の契約もしくは受領時に「うちの子がお世話になっております、新しい子共々、今後ともどうぞよろしくおねがいします」と贈ったものか、そのへんだろうか? でも受領時にはもう東亜国内航空じゃなくJASになってるんだよなあ。
と調べていたら、有力な手がかり。
A300-600(本物)のハウス塗装は、どうやら模型とは少し違ったみたい。

「実機が作られる前に作られたコンセプト模型は、細部が曖昧だったりカラーリングが少し違ったりする」。これも多分それだったんでしょう。実際、大きさの割に結構大雑把というか動翼のパネル割とかが曖昧なつくりをしていて、APU排気口のあたりも白く塗りつぶされていました。仕様いまいち決まってなかったのかな?
以上のことから、この模型はエアバス御社が「A300に発展形も作る予定だけど、こっちはいかがですか?」って東亜国内航空さんとこに持ってったコンセプト模型じゃないかなという結論に至っている。
結構貴重そうだし…? ということでJAL・JAS周りの歴史的物品を多く収蔵されているJAL SKY MUSEUMさんに連絡を取ったところ、同様のものはすでに収蔵済みとのことで模型はまだ私の手元にあります。塗装のヒビや剥げがあり状態は決して良くはないのだけど、もし大切にしてもらえるような先があれば然るべきところに譲りたい。なにぶんサキノさんはボーイングファンなので、この模型があるにはもっとふさわしい場所というのが他にあるだろう。

航空評論家が晩年に著した私家版資料…を専門図書館に寄贈した話

回転翼機・軍用機編もまとめるつもりだったそうだが、未完のまま世を去った

実はメルカリ、社史とか記念誌系とかの珍しい本が結構見つかる穴場だったりする。社史とかは正直そこの社員さんでもいらんひとはいらんのだろうけど、いるひとはいるものである。資料系のオタクとしてはとってもありがたい。自費出版本なんかもあり、中には優れた資料的価値を持つものもある。
この本はなんとなく航空資料を漁っていてふと目に留まった。ずいぶん立派な装丁をしているが、見たことも聞いたこともない。なにこれ?
調べてみてのけぞった。
著名な航空評論家だった関川栄一郎氏が晩年に残した大著「資料 日本の航空事故 民間輸送機篇」、80部限定私家版!

国会図書館にもない本である。大急ぎで確保した。
でも買ったのはいいとして、こんな本私の手元に留まってていいものではない。もっとちゃんとしたとこで保存してもらわなければ。
本には著者さんよりの「人名はなるべく匿名としたけれど、センシティブな事象を扱っているだけに、関係者の名誉・プライバシーの保護のため気をつけて取り扱ってほしい」といった旨の添え書きが挟まれており、なるべく著者さんのご意向に沿ってくれるところを探した。
それで寄贈のお伺いを送ったところ、喜んで受けてくれたのが日本航空協会の航空図書館さんであった。

寄贈OKのお返事いただいてとてもホッとした

そういうわけで、この本はもう私の手元にはない。航空図書館に大切に収蔵されている。上記著者さん意向もあって航空図書館のオンライン蔵書検索にも出てこないが、もし資料として必要とする人がいれば、きっと助けになってくれるんじゃないかなと思う。薄給のサキノさんにしてはわりと大きめの出費だったが、後悔はしていない。
なんか変なメルカリの楽しみ方をしてる自覚はあるけど、もし超珍しい資料や歴史的物品を確保したら(一旦自分で堪能したあと)(ちゃんとお伺いを立ててから)しかるべきところに収蔵してもらうというのもマジ役に立ってる感じがして良い(※赤字にはなる)。
自分が寄贈した本が然るべき場所で後世まで大切に保存してもらえるなんて、なかなかサイコーな気分になれる。やったぜ。


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