【梅の樹の下にも死体があるのか】ある女性ふたりだけの秘密の往復書簡。
親愛なるけいさんへ。
こちら大阪でも、
「てんまの天神さん」
と呼ばれ親しまれている、大阪天満宮の大盆梅展が賑々しく開催中です。
以前に、洋子ちゃんの死について、私は、
「どんな人間の一生にも、巡り来る春が来てそして夏、秋、冬になり落命する。人みなこれ春夏秋冬なり。」
とお伝えしました。
春ですね。
美しい梅が、美しくも悲しくも感じられる、お二人の春ですよね。
「因果は巡る小車の・・・」の、無常を感じながらも、大阪の梅も悲しくなるほどに美しく咲き誇っていますよ。
美しいものを見て涙が出るようになったら、一人前かなとも思う咲子ではあります。
添付の大阪の梅の紅白に寄せて。
改めて、
「ご結婚おめでとうございます」
ーーーー以下ある女性の手記より。ーー
松山は梅が咲きました。
忍さんとよく外飲みする城下の堀端公園の梅の色が鮮やかです。
池には白鳥のつがいが泳いでいて、まだ真冬の空は薄く青く快晴でした。
友達がビールを送ってくれましたが、忍さんと一緒に飲む金曜日まで、全部冷蔵庫に冷やしておこうと思いました。
悲しいことを悲しいと思いきり感じ尽くしたら、嬉しいことを、もっと当たり前じゃなく嬉しいと思える気がします。
昨夜は、忍さんの背中にしがみついて寝ました。
10歳の時に単車の後ろに乗せて貰った時と同じ、心音が聴こえるほど近しい体温でした。
今の私は親に虐待を受けて夜中に家出して街を歩いている小学生ではなく、忍さんも血気盛ん過ぎる17歳の暴走族の特攻隊長ではなく。
ようやく、この人の力になれるほどの大人になれたのです。
洋子ちゃんを亡くした生傷は、春のほんの初めの美しい世界に残酷に痛み続けます。
私たちは、その真っ赤な血を流しながらも生きてゆけるでしょう。
ものすごく俗に言えば「愛」、それ以外に言葉にするとしても、やはり俗に「運命」という縁で。
あの夜の闇よりも鮮やかな特攻服の黒に、今の私だけが、一番艶やかな赤を添えられる。
そう信じられるから、この1日を生きようと思うのです。
ーーー【生きること、死ぬことのマガジンにタグ付け。】ーーー
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