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「躑躅に思う」花屋の向こう側

春愁のかぎりを躑躅燃えにけり
水原秋櫻子

ほんとうに今年は季節がぱたぱたと進んでしまい、いま東京の景色には、躑躅(ツツジ)の花が満開です。夏を予感させる躑躅の花、うっかりしているうちに、紫陽花まで咲き出すのではないかと、気持ちがせいで疲れます。

ツツジの花の漢名「躑躅」は「てきちょく」とも読み、その意味には「足踏み・行き留まる」などがあります。つまりは行ったり来たりすること、躊躇することをいっており、「見る人が足を止めるほど美しい」ことから、この名がついたとの伝聞もある花です。

たしかに躑躅の花色は、春には見ない「みなぎり」があり目を惹きます。熱にうかされたような赤紫も、絨毯を広げたような紅色も、風にさざめく白花も、どれもど色がみなぎり、活気がみなぎり、傍にあれば気配に気づき、目に留まらぬことはありません。

またこの花も、昔を思うことをさせる花です。虫が寄るのを見たときには、昔むかしの幼い日の通学路で、垣根のつつじを摘んだことを思うし、蝶の気分にでもなったかのように、ふわふわ気持ちも行ったり来たり、花の蜜を求めて歩いたことを思い出します。

そして道々でツツジに出会うたびに、昔の記憶が蘇るたびに、人の心に残る花というのは、花屋にならぶ花だけでは、完結しないことを確かめます。どれほどきれいに束ねても、美しく並べても、大切に贈っても、ある人の原風景の中にある花に、優る花にはならないことを。

けれど私はそのことに、諦めよりはそっとした安らぎをおぼえて、うっかりと喜びが広がって、よかったなと、豊かな気持ちになるのです。どうやらやっと、好む仕事と好む花の違いを、その良さを、探し当てたように思います。

今日もいちりんあなたにどうぞ。
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ツツジ 花言葉「 慎ましさ」

花がすめば躑躅

追伸

4月6日発刊の講談社 群像5月号に「花壇の思い出」と題し、エッセイの寄稿をいたしました。「目に浮かぶ顔の数だけ、届けたい花がある」。そんな変わらぬ想いに、あらためて触れた機会にもなり、またこれも、日頃よりご支援くださる皆様のおかげと思い、紹介させていただいた次第です。子どもの作文のような拙筆ですが、ご興味あれば、お手に取っていただけたら幸いです。


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