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私は感情移入ができない

映画やドラマを見た感想で、
「感情移入できなかった」というコメントをよく目にする。
むしろ、私は聞いてみたい。
「感情移入するって、どういうこと?」って。

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先日、サクちゃん&スイスイのよむラジオ「スピッツとミスチル、結局どっち?」を読んでいて、衝撃的な文章に出会った。

スイ:繰り返すけど、ミスチル派は、救ってほしい。だれかに。言葉に。ミスチルに。スピッツ派は、じぶんで答えを出したい。スピッツをただききながら。スピッツの恋話をただききながら。
サク:うんうん。
スイ:さくちゃんの見解はどうですか?
サク:スイスイが言ってること、なんだろうすごいわかるんだよね。
ミスチル聞いてるひとは、自分に置き換えて聴いてる感じがして、スピッツはものがたりを聞いている感じ。

サク:ほんとに見るひとによってちがうよね。絵画だね、スピッツ。想像と共にできあがる。ミスチルはそのものを受けとって、なんならお返しさえしたい気になる。
・・・スピッツ派は天空の城を想い、ミスチル派は富士山を拝む?
スイ:おいおいビビビ!それだ!!!!!!!!!!
サク:富士山間近に見たことある?すげーーーーって思うよね。あれが毎日朝起きたたら目の前にあったら、もう信じるよ。みんなの富士山だけど、それぞれのマイ富士山なんだよね。
スイ:マイ富士山だね。わたしのミスチル、決してわたしのものではないスピッツ。うーん。。。
サク:スピッツは実在してないくらい、それぞれの心の中にいるね。

もしかして、「感情移入できるかどうか」で映画のよしあしを語る人って、

ミスチル派なのかも?
そして、スピッツ派な見方をしているのでは?

(詳細は引用元を読んでいただきたいが、
ここでいう「ミスチル派・スピッツ派」とは、生き方の流儀の問題であり、
どちらの方が好き・嫌いとは関係ない。私はミスチルもスピッツも好きだ。)

私は、映画やドラマ、小説など、物語を見る時は、強いて言うなら
傍観者の立場で見ている。
誰か特定の登場人物の気持ちになったり、自分と重ね合わせることは少ない。
物語の中で起こることは、
だいたいは「そういうこともあるよね」と納得できる。
ものすごい悪人や、サイコパス的な人や、戦場とか極限状態にいる人でも、
「そうか、そういう風に考えたり感じたりするのね」と思う。

リアルでもそうだ。
自分と違う意見をもつ人でも、ロジックを知りたいし、
それが納得できればOKなところがある。
「私の考えとは違うけど、確かにそういう考え方や
論理展開はあるかもしれないなぁ」と思えれば、納得してしまう。
物事の流れが、どんな方向に向かっているのかが関心事で、
その中での自分がどうか、はおざなりになりがちだ。

こういう考え方は、おそらくミスチル派の彼氏には
理解ができないらしく、「なんでそこで納得できるんだ!」と怒られる。
考えが違うのに納得するのは、我慢しているように映るらしい。
そういう訳ではないんだけどな。

ともあれ、ミスチル派の意見も聞きたいところではあるが、
なんとなく、積年の疑問に光明が差した気がしている。

ちなみに、ミスチルでは「幸せのカテゴリー」、
スピッツでは「君と暮らせたら」が、それぞれいちばん好きです。

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