一つの後悔も残さないために。夫婦で決断したこと。

年末年始にかけ、東京からこちらに来てくれていた旦那が今日帰っていった。別れ際、寂しいなぁと素直に思った。一緒に暮らし、同じ家に帰る日々を送っているとそんな感情になることもないが、久々に向き合った感情だった。

実は私たち夫婦は結婚して約7年になるが、入籍後から3年ほどはお互いの仕事の都合上週末婚状態だった。人からは物珍しくみられることもあるが、私たちにとってその選択はごく自然だったし、そういえばあの頃も一緒に週末を過ごし、自分の家に戻るときの別れ際は何度経験しても寂しさはあった。でも、「決めたのは自分たちだ」とどこまでも思えていたから、その寂しさは仕事に向き合うエネルギーにもなった。

今回の滞在期間に夫婦で決めたことがある。それは4月以降のことである。元々、私が実家で母のサポートをするのは育休が終了する3月末までと考えていた。ただ、その一方で母の治療は少なくとも6月まではかかり、それ以降続いていく可能性もある。抗がん剤の辛い時期はなるべく一緒に過ごしたいと思いながらも、4月からは会社に復帰して、息子も保育園に預け(入園できるかはまだ分からないが)・・・といった、東京での生活に本当に戻れるのか?戻りたいのか?心の底では迷っていた。

旦那とこの件について話しをし、結論、4月以降も私と息子は実家を拠点に、旦那は東京を拠点にと別々の生活拠点をもつことに決めた。

母の病に寄り添うこと。これが今の自分にとって一番したいことであり、それを旦那さんは理解してくれた。元々家族を大事にする私を好きになったのだから、それを尊重しないわけにはいかない、と言ってくれた。かわいい盛りの息子の成長を近くで見てもらわなくていいのか、等、この選択肢を取る上で気がかりになることを挙げればきりがないが、不思議と、私たち夫婦ならきっと乗り越えられるだろう、と思うことができた。

きっかけは母の病ではあったものの、もともと子育ては田舎でしたいという考えや、東京と地方のに拠点生活をしてみたい、といった話は以前からしていたため、今思いつきで決めたことでもなかった。また、私自身兼ねてから、今働いている会社を退社し、フリーランスで仕事をしていきたいという思いと、地元東北とつながるような仕事をしていきたいという思いもあった。この思いについても、今回の決断をきっかけに挑戦する良い機会であるとも思えた。

母のため、と言いながらも、深層心理は自分自身のために決断したことだ。そしてそれを尊重してくれるパートナーと共に人生を歩めることを幸せだと思う。

今後も旦那と離れること、息子と離してしまうことを、寂しいなとかかわいそうだなとか思うことは素直にあると思う。でも、そんな感情を持てることも素敵じゃないかと私は思う。今度はそんな想いを母のサポートや、私自身の仕事、息子の子育てへと3つの方向へ向かう力に変えて、頑張っていくのだ。それもまた私たちらしくていいじゃないかと、心の底から思う。

この決断を共有すると、母は泣いた。申し訳ないとも最初は言ったが、決断に至った思いを伝え、申し訳なく思う必要はないのだと理解してくれた。

4月から母と離れることに対する不安が私の心からもなくなり、楽になれた。

この決断が、母の気持ちを強くし、病を乗り越える活力になると信じて。

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