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鹿を捌いてみた🦌

動物を食べている、ということを本当の意味で自覚してから、スーパーの肉と生前の動物を関連付けようとしてきました。

なぜなら意識しないと目の前にある肉はただの肉に見えるからです。ました。目を覆いたくなるような屠殺のドキュメンタリーを見ると、罪悪感は芽生えます。
でもやはり肉を目前にするとただの肉なのです。

初めて肉が生きていたと感じたのは、近所の養豚場に見学に行った時です。見学後、できたてほやほやの肉を分けてくださいました。それを調理してさあ食べるぞ!という時、養豚場の匂いがして頭の中をブタたちが過ぎりました。

母親の周りで走り回る子ブタ、近寄ると鼻をヒクヒクさせて匂いを嗅いでくるブタ、隙間からじっとこちらを覗くブタ。
他の人に殺させといて、ありがとうで片付けるのは余りに傲慢な気がする。

近寄ると走って逃げるが戻ってきてこちらの様子を伺うブタ

さすがに屠殺場に行く勇気は無かったため、地元の方に頼んでワナにかかった鹿の解体を手伝わせてもらう約束をしました。

待ち合わせ場所に行くと、シカは四角いトレーに入るように首をぐにゃっと曲げられて、前足を切って折り畳まれていました。首元には血抜きをされた跡がありました。

猟師さんは淡々とシカの皮を剥いでいきました。
皮を剥ぐと、中は私がスーパーで見るような肉が出てきました。
皮がついている方が怖さを感じました。

血は出ず、筋に沿って肉をバラしていきました。肩甲骨の部分がまだ熱を持っていて、思わず「温かい!」と声が出ました。

背中周りとモモの肉を取った跡、シカを山奥に捨てにいきました。
地面に穴が掘ってあり、そこに亡き骸を入れると熊が食べたり虫が食べたりして自然に消滅する仕組みになっていました。
亡くなった時間が経ったシカの目が黒から緑になっていたのが綺麗でした。

動物の解体を経験すると、今後肉が食べられなくなるかもしれないという予想とは裏腹に事は穏やかに進んで行きました。

自分でとどめを刺していないからそう感じたのかも知れません。
事後に残った感想は驚くことに怖さや悲しさではありませんでした。

なんか、皮剥いじゃえばみんな同じだなと思いました。
容姿がどうでも、皮膚の下はみんな筋肉と脂肪と骨。
そんな感覚が残りました。

夜、巨峰を食べた時も、
これにも筋があって命があるんだなとも感じました。





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