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最近、書いていること

沙木貴咲です。他愛ないことを書きますので、お忙しい方や占いの情報をお求めの方はスルーしてください。

ずっと占いを生業に書いていますが、最近は「創作」の文章も書いています。

創作の文章執筆は、さかのぼれば小学生の頃から始まり、20代ではいくつかの文芸賞に応募したこともありますが、羽田圭介さんの「黒冷水」を読んで書くのをやめました。
ああ、天才とはこういう人のことを言うんだなと。
ひどく絶望したのですが、しかし私は書くことを止められない人間で。
気づけば、携帯コンテンツやアプリのテキスト、webメディアの記事を書くようになって今に至ります。

それでも、誰かの依頼ではない自由な文章を書きたいと、子ども2人の育児休暇中に小説を書いて応募してみたり。

急に思い立って、あるエンタメ企画で短編ノベルやシナリオのお仕事にトライさせていただいたり。

どうにもこうにも創作したい欲は消えない訳で。
そして、物語を生み出す作業が本当に、しみじみと楽しいのです。


年齢的にも人生後半戦に差しかかり、子どもの成長に合わせた今後のライフプランを考えると、「余生はそれほど長くない」と気づくと同時に「死ぬ時に後悔したくないな」と感じました。

人生はいくらでもやり直せるでしょうし、いつ何を始めても自由でしょうが、気力体力を考慮すれば、これからの私はそう多くのことをできるわけではありません。挑戦できて「あと1回」だろうと。

ならば「書かなければいけない文章」や「情報を伝える文章」だけでなく、「自由に創作した文章」を書きたいなと思ったのでした。

そして、参加させていただいたものの、途中で外れることになったエンタメ企画を通して「面白い、を妥協するのは難しい」とも感じました。

感情を込める必要のない文章はいくらでも書けます。たとえ興味がなくても。でも、創作は人間を描写して感情を描くものだから、心を失くして書けるものではなく、どうやったって自分に嘘はつけないのでした。

文章を書くことで生きているからこそ、わずかでも「書きたいものを書きたい。そろそろ書かないと死んでしまう」と。
酷く極端なことを言っている自覚はあるけれど、仕事と家事育児で24時間365日が埋まる私には、書きたいものを書けることが心潤う楽しみなのです。

とはいえ、私にとって執筆とは、時間とは、生きるためのお金を生み出すものであって、純粋な趣味として楽しむだけの余裕はありません。
リミットはあります。限界まで自分を追い込んでみて、もしその先に「やはり道はない」のであれば、私は満足するでしょう。

諦めるとは、自分が傷つかないための折り合いをつけることではないから、本当にダメなところまで行きついたら、ちゃんと諦めようと思います。


沙木貴咲




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