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深夜に酔っ払った先輩の言葉に救われた

午前9時35分。

この時間は、わたしが出社する前に、会社のある建物の1階のコンビニに寄る時間だ。

会社は12階ある建物の7階にあって、エレベーターは2つしかない。

9時45分には会社に着いていた方がいいので、つまりまあまあギリギリだ。わたしは朝が苦手だ。

コンビニのドアが開くとき、オートマチックに「ピロロ、ピロロ」といういつもの機械的音楽がなる。どのコンビニにもあるやつ。ふとした時に頭によぎる、ヒットチャートより知られてるであろう音楽。

その大きめの音にも振り向かない、いつもの寝癖のある頭が商品棚のあいだから飛び出て見える。

このコンビニで毎朝会うのが、同じ部署の1つ上の先輩だ。

「おはようございますー」軽く会釈する私。

「うぃっす」

わたしも先輩も低血圧なのでさほど喋らず、必要ないつものラインナップを買い揃え、袋を片手にエレベーターへ向かう。

眠い。会社の蛍光灯がまぶしい。なんだか天井が低く感じられる。なんとか席につき、さっきコンビニで買ったコーヒーを飲むと、なんとかパソコンをさわろうかなという気になる。今日もメールの返信から、倉庫の整理、会議、エクセルでの資料作りなど今思いつくだけでも山盛りなタスクを夜までやらないといけないと思うと、ため息がでる。

ああ、週末が戻ってきてほしい。もしくは早く週末が来てほしい。

向かいの席の先輩はまだ眠そうだ。機嫌があまりよくないから、確認したいことはたくさんあるけど、11時過ぎくらいに話しかけよう。

その先輩はお兄さんというか、大学の仲の良い男友達のような、そんな雰囲気。

わたしは入社2年目だった。この春に新しく後輩も入ってきたとはいえ、まだまだ仕事のことはほとんどなにもわからないと言っていい。

そしてわたしの部署には新入社員が入ってこなかったので、1年目がやるべき倉庫の整理などもまだ行う日々だ。

日々の雑務に追われている私は、入社当時の希望や喜びはない。たったの1年でこんなにも、キラキラした希望や、この会社にはいれて嬉しい!と思う弾むような気持ちは消え去ってしまうものか。

はっきりいって、仕事はうまくいっていない。

もともとバランスよく器用にこなせるタイプではない。

でも、せっかく就職活動を散々してなんとか入ったこの会社、うまくやろうと知らないことを知ってるふりをしてやろうとするからうまくいかない。

「まも着やからAAAパス100枚つくっといて」「照明さんにBステの位置確認しておいて欲しいから、お願い」

専門用語がわからず、暗闇のバックステージを走り回る。常に忙しい現場でピリピリしているから、なんとなく聞きづらい。

誰になにを聞いたらいいかわからず、かと言って誰かに聞くのも恥ずかしく、何かをやっているふりをしてぐるぐると3周したこともある。

よくわからないから萎縮してしまって、奇妙な態度になる。

結果その態度が、クライアントとの仲を縮めない。

仕事はいつも夜遅くまでに及んだ。

もっとも、この業界はこんなものというのもあり、あまりにも終わらないから「定時が始業時間だ」という笑えないけど笑うしかないブラックジョークがあったぐらい。

ほんとに仕事が終わらないから、一旦晩ご飯を挟んで、また戻ってきて仕事、ということもよくある。

いつものように仕事に追われて早く帰れなさそうな日、向かいの席の先輩とお腹かすくから一旦なんか食べようか、という話になった。

会社の裏の居酒屋でちょっと食べて、飲んで、戻ってきた。

繁忙期になると深夜でもひとがまあまあいるこの会社では、よくある習慣だ。

戻ってきて仕事にとりかかろうとする。

机にある電話の受話器がずいぶん汚れてきていたので、なんとなしに拭いたりして仕事を再開するとっかかりを探していた。

「どうやってうまくやったらいいか、わかりません。先輩は遅刻もするけど取引先のひととも仲良くやってるし担当の案件もたくさんあって、音楽にも詳しいし、すごいですよね。」

私はお腹に力を入れず小さい声で、先輩に話しかけているのか独り言なのかわからないくらいの大きさで言った。ずるい相談の仕方だ。

先輩は酔っ払った顔で、お尻を突き出すような格好でだらしなく椅子に座っている。ネクタイはどこかにいってしまったようだ。

「うーん。。」

聞いているのか、聞いていないのか?微妙な返事だった。

待つとも、待たないともない十数秒のあと。

「プライドはな、いらんのよ。」

説教する感じでもなく、ポンと先輩が言い放ったその言葉。

一杯だけ飲んで少し赤ら顔になった先輩は、その言葉を覚えているのかどうかもわからないくらいのふわふわした足取りで、ニヤニヤしながら社内の誰かにちょっかいをかけに行った。

私は、ハッとした。

「すごい人に思われたい、完璧にやっていてると思われたい。人より優秀だと思われたい。」

そんな思いがあった気がする。

社会人2年目の私に、どこまでのことがわかるのだろうか。どこまでのことができるのだろうか。虚栄心だけのプライドなら、それは本当に必要なのだろうか。一度でも完璧になど、誰かにそんな事を2年目で期待されたことがあっただろうか。

完全に、無駄なプライドだった。それが、全てを邪魔していた。

しかも、確かに目の前にいる先輩をみると、無駄なプライドがなさそうだ。

後輩のわたしを前にして、椅子からズレ落ちそうなくらいの座り方をしている。

それはおいといても、取引先の人の懐に入るのがうまいし、一瞬で仲良くなって肩を組んでいるような。遅刻も失敗もよくしていて、怒られているところもよく見かける。

それでいて、大切な局面では顔つきが変わる。クライアントの心をグッと掴む言葉を言って離さない。必要な事を知っている。期待を超える提案をする。

だから、先輩にはたくさんのクライアントがいる。入社3年目にして、案件も一番持っているのではないかと思う。でも、そうは見せない親しみやすさと、万能でない人間らしさが滲んでいる。

「プライドはな、いらんのよ。」その言葉は、一瞬で私の悩みを解放してくれたように思った。

無駄なプライド、持ってるなぁ。

それから私は、何か殻のようなものがパカーンと割れて、吹っ切れたようになった。

それから少しずつだけれど、無駄なプライドを捨てて、できないこともどんどんさらけ出して、走り回れるようになった。

現場でクライアントと仲良くなれて、楽しいお酒の場もたくさん持てるようになった。笑えるようになった。

肩を組んでお酒を飲み、適切なタイミングでクライアントの心を掴む言葉を放つ先輩の背中を見ていると、とても追いつけるようには思えなかった。けれど、少なくとも働くことが心地よくはなった。仕事にやりがいを見つけることができた。

無駄なプライドっていうのは、ゴツゴツした石のようなもので、動こうとする私の前にいつも立ちはだかって邪魔していた。

でもその石をひょいっと避けると、自分のプライドを守ることファーストではなくなり、少しずつだけれど仕事の楽しさを知ることができた。


わたしは、もう5年も前にこの会社を辞めている。

でもいまだに体に残っているものは、毎日が文化祭の前日のような慌ただしい熱量と、この先輩から学んだ仕事をするときの、この無駄なプライドを捨てるという基本姿勢だ。

時が立てば立つほど、その大切さを感じている。

先輩、ありがとうございます。







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