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旅人になるということ

「観光」というのは、相手の文化や宗教、自然を消費するようなイメージがあり好きではない。私は、海外を訪れる時にいつも「観光客になりたくない」と矛盾した気持ちになる。

でも、だからと言って海外に行くのをやめようとは思えないのは私のわがままなのだろうか。新しい文化を知りたい、新しい環境に身を置きたい。この欲求は心にしまっておくべきなのか。そう悩むことがある。

インドネシア・ロンボク島の村を訪れた時に村の青年が言っていたことが印象的だった。

「この村の人々は海外に行くようなお金を持っていない。一生をこの村で、この島で暮らす人がたくさんいる。僕は世界を知ることは視野を広げるために素晴らしいことだと思うんだ。でも村の人たちを海外に連れて行くような力は僕にはない。じゃあどうしたらいいのかって考えて、そうだ海外の人を村に連れてきたらいいんだ!って思ったんだ。訪問者を通して村の人たちは世界を知ることができる。サキは今、ここの村の人たちの世界を広げる役割を担っているんだよ」

そう言って彼は私を村の小学校に連れて行き、一コマ分の授業を私に託してくれた。日本文化や日本語の紹介をして子どもたちと豊かな時間を共有した。

村にいると知らないうちに村の子どもたちや村人が私の周りに集まってきていることがよくあった。びっくりする私に、「彼らの中には外国人を初めてみる人もいるんだ。」と友だちが教えてくれた。

私はもしかしたら彼らが一生で出会う最初で最後の「日本人」かもしれない。そんなことを思うと、自分の発言や行動に責任を持たなくてはいけないなと気が引き締まる。

「観光客にはなりたくないけれど世界を旅したい」そんな自分の矛盾した欲求を、ちょっとだけポジティブに捉えられる気がした。

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