幼稚な感情に向き合ってみた
好きな人からの連絡を待つのが苦手だ。
■超メンヘラ女子時代
大学生の頃は恋愛する度に超メンヘラになる系女子だった。
恋人から連絡が返ってこないと病んで布団から出られなくなったり、ぼーっとして自転車事故に遭ったりした。
自分なりに考えて、原因は「期待」だという結論に至った。
■期待恐怖症
だから、「期待を手放そう」とした。
「期待するから絶望するんだ」
「はじめから何も期待しなければいい」
「どうせうまくいかないと思っておこう」
でも、そうやって全てを諦めることは、何だか寂しかった。
それに、いくら頑張っても、期待は手放せなかった。
だから結局、期待して、絶望して、を繰り返して、その度に自分のメンヘラさを苦手になった。
連絡が来ないだけで病んで自転車事故に遭ったときは、もう本当に情けなくて、「何て弱いんだろう」と絶望したよね…笑
■恋愛恐怖症
だから、基本的に恋愛している自分が苦手だった。
だから、「あれ、私この人のこと好きかも…?」っていう予感を感じたら、怖くて、「期待したくない。。。嫌だなぁ。恋愛したくないなぁ。」ってなってた。
恋愛することは、また、メンヘラな自分に会うことだから。
恋愛さえしてなければ、私はどっしり立てるし、やりたいこともやるしで、心の安定感はバッチリなのであった。
そんな風に恋愛を怖がっていても、やはり恋に落ちてはしまう訳でして。
最初は「嫌だなぁ。メンヘラになりたくないなぁ。」と必死の抵抗を見せたのだけど、次第に抗えないことを察し、好きなことを認めた。
■リハビリ恋
ただ、そのときの自分は若干成長していたので、自分の気持ちをたくさん紙に書いたり、分析したり味わったりできるようになっていた。
苦手だった「期待」についても考えた。
「欲しい」という気持ちだった。
会いたい。
声が聞きたい。
触れたい。
触れてほしい。
そんな「欲」がたくさん湧いてくる自分を見つめた。
そして今度は「手放そう」とするのではなく、ノートに書き出した。つまり、それらの気持ちを、認めて、吐き出した。
書いて書いて書きまくって。
自分の中のドロドロを、ドロドロ純度100%のまま、言葉にして、外に出していく。
■拗ねてる「期待ちゃん」
今までの私は、期待や欲を、「私を絶望させる物質」として否定していた。
でも、よく考えたら期待だって私の一部で。
言うたら私の中にいるキャラクター「期待ちゃん」な訳で。
期待ちゃんは今まで、ちょっと顔を見せたら私に「あなたがいたら未来の私が傷つくから出てこないでーーー!!!」と即座に蓋をされてきたのだ。
なんて可哀想な。
蓋の下で拗ねて泣いてるぜきっと。
私は、即座に蓋をするんじゃなくて、期待ちゃんを見つめて、よしよしって撫でて、「期待、しちゃうよねぇ。」って、認めて、見つめて、味わってあげることが足りなかったんだなぁと思った。
期待という感覚をゆっくり味わってみるとか。
期待するということは、その人と言葉を交わすことが楽しみなんだな、その人が大切なんだな。ということをゆっくり再認識するとか。
散々蓋されて拗ねてた期待ちゃんも、私が寄り添っているうちに、だんだん表情が緩んで溶けていくみたい。
いいんだよ期待ちゃん。
期待していいんだよ。
その度にその対象を「大切だ」と確認するよ。
もしかしたら期待した分だけ絶望することもあるかもしれないよ。
そしたらまた「絶望くん」を味わって、見つめて、寄り添うよ。
「嫉妬ちゃん」「執着さん」「所有欲さん」「比較くん」「特別扱いされたい様」
みんな、今まで頭ごなしに否定して、蓋しててこめん。
いいんだよ。
いてくれてありがとう。
よしよし。よしよし。よしよし。
あなた達と向き合い、味わうことで、教えてもらえることがたくさんあるのね。
その存在に感謝を。
今日も私は、好きな人からの連絡を待っている。
起きたら携帯を見て、来ていなくて、少しガッカリする。
そして、期待ちゃんに、「その人のことが大切なんだね」と微笑みかけている。
-終わり-
■オマケ
「欲」(オリジナルソング)
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