【映画レビュー】ドン・キホーテを殺した男

映画はもう観なくてもいいなと思って数年経過している中、それでも観ておこうと思った作品。
今年?のカンヌで上映されたらしいが、日本では公開なし、アマゾンで販売されているDVDは輸入品なので日本語字幕なしです。
米アマゾンのプライムビデオでレンタルできます。

平和を維持するための道化、宮廷中が笑いに満たされるための生贄、シュタイナーのある記述を想起させます。

…天国にはひとりの女性がいました。悪魔の働きを天国の中に見出した女性です。私の考えでは、世の男たちはまだ、この現実を迷信だとして無視し続け、今のところ、ふたたびひとりの女性にまかせたままで、そのことを何とも思っていないのです。
シュタイナー『悪について

シュタイナーが言及した「ひとりの女性」に該当するのは、村の少女であり、その他にも「ボスの妻」「仕事仲間」などいますが、最も非力な存在の象徴としての少女が生贄に捧げられることで、共同体の平和は維持されているのです。

女性性というのは、身体的特質に関わらず、誰もが備えているものです。
全てを押し付けられるひとりの女性は、老若男女関わらず、それぞれの内に存在します。

全体がドン・キホーテを道化として笑い者にする中で唯一、「ひとりの女性」に気づいている者に、ドン・キホーテの再生が託されます。

ドン・キホーテの再生物語とは、古い共同体の破滅に巻き込まれず、新たな創造の萌芽を見極めるプロセスのことです。
「ひとりの女性」に気づくことができるか否かで、新しい世界でドン・キホーテを再生させるのか、古い世界でドン・キホーテと共に葬られるのかが決まります。

この究極の問いに、一人一人がそれぞれの状況で答えるときが迫っているという、テリー・ギリアムからの警告のようにも思えます。

ドン・キホーテは再生ルートを確保しつつ、彼を笑い者にする者共を道連れに死んだのです。
ドン・キホーテは彼を笑い者にする者共を恨んではいません。

彼らを包み込むドン・キホーテの優しさは、シャイニングのジャック・ニコルソンを道連れにしたリゾートホテルの幽霊達と似ています。

全てがあるがままパーフェクトに、超越的存在となった道化の愛によって共同体は破滅を迎えました。

共同体の平和の維持を押し付けられながらも無視され続けていたひとりの女性は、生贄として捧げられる手前で、その女性の存在に気づき、ドン・キホーテの再生を託された者と新しい世界へと旅立って行きました。

ドン・キホーテの死は、共同体と共にあります。

そこに留まり続け、シャイニングの幽霊達の仲間入りをするか、新しい世界でドン・キホーテを再生させるのか、この選択肢はどの瞬間にも目の前に提示されています。



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