すり替えられた聖杯

WW2の敗戦により日本はアジェンダに加担するため八咫の鏡を差し出しました。

精妙な生命の光を受け止める八咫の鏡は聖杯です。
聖杯から注がれる恩恵は日本を媒介として、アジェンダを実現させるためのエネルギーとして使われています。

聖杯からの恩恵は、日本のデコード形式によって、人間が扱える生命エネルギーに変換され、無限からの生命エネルギーを現象界に発生させます。

このプロセスは省略できないため、日本は敗戦後も残され、現象化の装置を稼働させるエンジンとして機能してきました。

日本で、このすり替えに気づかないまま生活することは、本人がどのような人生を送ろうが、アジェンダに加担しています。

アジェンダは、WW3終結によって仕上げられます。

米中開戦はフェイクで、本命はバビロニア(中東)です。

どういうわけか筆者は今年に入って、”世界人類が平和でありますように”という祈りを提唱する五井昌久先生の談話をYouTubeでほぼ毎日チェックしていますが、この聖杯のすり替えと関係しているのではないかと考えるようになりました。

日本で生活する以上は、平和をどんなに切望しても、世界大戦を推進するアジェンダの養分にされてしまうというジレンマの解消として、”世界平和”を祈るということです。

アジェンダに加担することで辛うじて形だけでも残された日本の存在意義は、聖杯がすり替えられていることを意識化させると失われます。

筆者のように一人でそんなことを主張しても妄言として一笑に付されるだけですが、聖杯のすり替えに気づく人が一定数以上に達すると、魔法が溶けてしまいます。

すると、八咫の鏡自体から、霊力が失われることになります。

つまり、現象化の装置として機能しなくなるということです。

アジェンダ自体が頓挫してしまいかねません。

だからこういうことについて言及する役割を担っている人というのは、先手を打たれ、表現の手段を封じられやすいのです。

それでも挑み続けると、妨害が入ってきますが、それは、アジェンダに脅威を与える役割をこなしているという証拠となります。




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