水平と垂直:プリセッションについての覚書1

ミツバチが花から花へと飛び回って蜜を集めることによって、意図せずして植物の受粉を手伝っている。

ミツバチが蜜を集めるという明らかな性質を水平としたとき、そこに垂直に交わることが、意図せずして他の存在の役に立っていることにあたります。

この水平と垂直のクロスポイント、直交関係のことは、バックミンスター・フラーの「プリセッション」理論から学びました。

「意図せずに」他の存在の役に立っていることのほうが、実は宇宙によってデザインされたことだったと。

宇宙によってデザインされた方向、ミツバチの場合は、植物の受粉の手伝いになりますが、人間の場合は、それを「意図」できるようになる可能性があります。

ただし、それが「プリセッション」のクロスポイントを失わせる危険性を孕んでいることについて考察します。

前提として、クロスポイントは、「ハートが喜ぶこと」であると定義します。

垂直の、宇宙によってデザインされた方向というのは、水平方向にただ生きているだけではわからないわけです。
わからないまま、「意図せずに」どこか知らないところで役に立っている状態であれば、人間もミツバチとなんら違ったところはないというになります。

したがって、何かの役に立っていることに価値を見出す性向が人間には備わっています。
それがただの動物と人間を隔てる境界線になり得るからです。
何かのために尽くすことが美徳となるのはこのためです。
しかしこの美徳が曲者です。

例えば、特攻隊のように、国のために死ぬことを強制されている状態で、「ハートが喜ぶこと」などありえるのかという、自己犠牲と生贄の違いが現れます。

「人のため」になることが善とされているからそれを盲目的に実践するのは、水平方向の意識だけでしかありません。
「ハートが喜ぶこと」を無視してしまうと、「プリセッション」のクロスポイントを崩壊させます。

なんらかのためになることを「意図」する行為が、宇宙によってデザインされていることと一致している確率はほとんどないのかもしれません。

どんなことも「意図」しない方向に思いがけない影響が波及していくように宇宙によってデザインされているのなら、「意図」はできるだけ抽象的かつ全体のためになったほうが害が少ないということが言えます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?