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オフライン

スナックの話は少し休憩して、最近思うことを挟んでみたい。なと。

最近、オフラインとオンラインという区分けが生まれて、普通に誘われた時にも「オフラインで?」と聞いてしまうほどだ。
そこでオンラインとオフラインの良さについて考えてみた。

オンラインで人と交流することに最初は違和感があるものの、慣れてしまえば普通になってくる。
きっと最初に電話ができたときもこんな感じだったのだろう。

オンラインでは顔は見えるものの、基本的には声(文字)の情報に偏ってしまうので、デメリットを考えると空気感が欠落しているように感じる。

でもメリットもたくさんある。
自分を伝えること、聞いていると表現することなどに、オフラインの時より真剣になり、丁寧に扱おうとする。
空気読んでよ!という気持ちも薄まるから、素直に伝えようと思ったりするようになるし、恥ずかしさも落ち込みも距離感が遠いせいか半減する。

つまり、オフラインでは空気に誤魔化されていて、
空気とか目に見えないものに影響を受けて、反応や決断もしてしまっているということだ。何か見えないものに流されているわけだ。

ということは、オンラインだけでも交流は問題なく、むしろクリアなのかもしれないと思ってきた。

ではオフラインで受け取れるものというのは一体何なのか。
オンラインだけでは満たされないのだろうか。
むしろオフラインの方が危険なのではないか。

きっとオンラインは空気感がわからないとかいうのだろうけど、空気感を感じる必要はあるのだろうか。

そう思いつつあることは少し置いておくけど…
その見えない何かをフルに使った場所が水商売ではないのかと思ってきたのだ。
人の感性を鈍らせながら、空気で飲み込んで、ドラマのような非現実に入り込む。普段働く左脳スイッチを切って、五感が体感できる全てを味わう。
もしかして、夢とは理性が入り込めない何かのことなのだろうか。

お客さんもその世界に浸るためには自分で左脳を切る必要がある。
セックスとも似ているのかもしれない。

セックスを楽しめない人は左脳スイッチを切る方法を探したりしない。
恥や承認欲求、罪悪感など、左脳が司るものにコントロールされている。

水商売もセックスもそれに浸るために、能動的にならなければいけないのだ。

オンラインは左脳、社会、情報、言語などを得るためには最適だ。
だからこそ、感情が動き辛く、問題は明確なことが多く、
見えないものに翻弄されにくい。

オフラインで得られる何かとは、五感、感情などなのだろう。
その感じられる何かが快か不快かは、試してみないとわからない。
実は人間は快だけを求めているのではないと思う。不快も感じたい。
少なくとも私はそうだ。

生産的で効率的な社会は色気がない。やっぱり五感で何か受け取りたいのではないだろうか。

オンラインキャバクラは水商売ではないまた別の価値、きっと話したいとかエロ動画鑑賞と同じような、エンターテインメント的な価値を産み出しているんだろう。

水商売はエンターテインメントであって、エンターテインメントではない。
もっと色っぽい。色っぽいとは人間っぽいと同意で、お客さんも一人の人間としてそこに踏み込む覚悟をしないと楽しめない。受け身で楽しめるモノではない。

水商売とかセックスとか。
左脳のスイッチを切る時間がきっと人生を色気のあるものにすると思う。

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