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Six Woods・・・③仁実の涙

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仁実は、あの出来事があった日から感情を上手くコントロールができない、自分を持て余している日々を送っていた。

あれだけ好きだった韓流のドラマを見ても上の空、仕事中でもふとした瞬間にあの時の情景が浮かび、それに関連して自分の人生、特に恋愛について振り返って考えることが多くなった。これまでの恋愛の経験を振り返ると、学生時代も今でも、男女問わず友人が多く、特定の男子とデートするというより皆でワイワイと騒いでいるような感じだった。

「恋愛」と意識してやったこともない。恋人も今の夫も自然と隣にいるようなそんな出会いだった、こうやって振り返ると、そんなにドラマのあった人生でもない。

それは、きっと幼い頃に母親と病死で別れたが、周囲にいる大人が沢山愛情を注いでくれ、特に父親はとても豪快な昭和の男だったが、子どもたちの心に寄り添ってくれる優しい愛情溢れる人だった。また幼馴染にも恵まれたこともあってこれまで孤独を感じることがなかったからか、よくある恋愛ごっこで寂しさを誤魔化す必要もなかった。

また、仁実たちが育った時代は「男女均等雇用法」が施行されたこともあり、これからは女性も社会で自分らしく生きていけると可能性が拡がったこともあったので、就職に対する意識も、それまでの結婚相手を見つける手段ではなく自分の能力を試すといった流れに変わっていったこともあって、仁実も時代の流れに乗り、自分の欲するままに仕事に邁進し、若干21歳の最年少の店長に抜擢されて、プライベートも仕事を理解している彼氏もいて誰が見ても、どこにも隙のない順風満帆のように見えていた。

だから、大翔がスタッフとして入ってきた時も、これまで他のスタッフにしている通り、自分の家族のように思い接してきたはずだったし、特別扱いすることも無かった。ただ、話す機会が多くなればなるほど感性がフィットする点が多く、気づけば大翔の年齢などを忘れて食事や映画に誘うことが多くなっていた。

勿論、仁実は、いい年をした大人の自覚はあるがその前に女性である。これまでに大翔と出かける時にウキウキする気分になっていたことが無かったとは言い難いが、大翔の「友だちに年齢なんて関係ありますか?」と言った言葉に、一抹の寂しさを感じながらもホッとしていたのが本音であった。

その日、まもなく閉店という時間に、友人の佐知子が、久しぶりにカフェにフラッと寄った、仁実も仕事を片付けて、スタッフを帰し、佐知子とワインを飲みながらお喋りに興じた。
佐知子とは最近の付き合いだが、ウマが合ったのだろう、いつの間にか客というより友人となった一人である。

佐知子が「その大翔くん、話だけ聞いていると仁実が気に入っている人のように聞こえるわね、もう、かれこれ一時間ほど大翔くんネタを聞かされているんだけど」とカラカラ笑いながら仁実の表情を伺うように覗き込む、それはまるで仁実の心まで透かし見するのではないかというほど笑い声と反比例して鋭かった。

仁実は「実はね」と口に出かかったが、それを言葉にしてしまうと現実化してしまうのが怖いと思ったので、グラスのワインと一緒に飲み込んだ。

「そんなことは無いわよ~ただ、大翔くんが私の事を友だちと言ってくれたのが嬉しかっただけよ」といつもの口調で返したが、佐知子は真顔で「そうかしら?これまで特定の男(ひと)の話をあなたから聞いたことはないわ」といいながらグラスに残ったワインを空けて、「そんなに気が合うなら付き合っちゃえば、今時、歳の差なんて誰も気にしないし」と言った。

仁実は返事に困った。
確かに大翔のことは好きか?嫌いか?と聞かれれば好きであるが、それは男性としてというより家族愛に近いものと整理しようとしていた矢先にこの話である、一旦は、整理をしたつもりでも佐知子がスイッチを押してしまったらしい、またモヤモヤした感情が沸き上がってきた。

それで「付き合う」という言葉に過剰反応してしまった仁実は「冗談はよしてよ!私これでも夫がいるのよ!!」赤面した顔で席を立ちながら声を発した。突然のことに佐知子は唖然としたが、上体を仁実の方へ向け「まぁまぁ、そう興奮しないでね。悪ふざけをしているつもりは無いのよ」と姿勢を戻しながら、仁実に椅子に座るように誘う、そして「でもね、仁実さんも自分の幸せを考えてもいい時期が来ているのではないかと思っているのよ」と続けた。

佐知子を見送って帰宅した仁実は、「自分の幸せって何よ?」と、ソファで濡れた髪をタオルで拭きながら考えていた、今更ではないがこれまで「自分の幸せ」と特別に考えたこともなかったから、こうやって考えても何も浮かんでこない。仁実は、独身時代はともかく、これまで自分の幸せというより、相手の幸せを考えて生きてきた期間が長い。結婚した時は、パートナーの幸せを、子どもが生まれてからは子供たちの幸せといった感じで目の前にある人が精いっぱい幸せになれるようにすることが仁実の幸せで生きがいと何の疑問も抱いたことは無かった。

気がつけば、その子供たちもパートナーもそれぞれの生き方を選んで歩き始めている。

もうかれこれ二十数年パートナーと暮らしている、特に諍(いさか)いをすることも無かったが、いつの間にかボタンの掛け違いになってしまった。夫婦としてやり直す努力もしてみたが、見ている方向が別々になっているのを一年一年痛感している。いつかこのことも向き合わなくてはならない問題だとも考えている。

「これも含めて私の幸せを考えるということかしら?」と独り言(ご)ちた。

ふいにテーブルに置いてあるスマホの着信が鳴る。「こんな時間に誰?」と画面に表示される着信者を確認すると番号に全く心当たりがない。訝(いぶか)しげにスマホを取ると「もしもし、霧霞市消防署救急隊の山口と申します、斎藤(さいとう)仁実さんの携帯で間違いないですか?」とサイレンの音に負けないような大きな声が聞こえてきた。

普段、旧姓を使って仕事をしているので、この苗字を呼ばれるのは家族の用事以外考えられないと心がざわめきながら「ハイ間違いないです」というと、その救急隊員は続けて「斎藤(さいとう) 勝(まさる)さんが事故に合われて、霧霞市総合病院に搬送中です」と言った。

「それで、どんな容体なんですか?」と意外に冷静な声でペンを片手に取りながら聞き返すと「間もなく病院に到着しますので、落ち着いて急いで病院にお越しください」とだけ言われて電話が切れた。

何が起こったか分からないまま、二階にいるはずの下の子供に「パパさん何か事故に遭ったみたいなの、病院に行ってくるね」と声をかけると下の子どもが顔を出して「どうしたの?どんな容体なの?私も行った方がいい?」とあっけらかんとした返事をしてきた、それで仁実は「明日も学校だし、いいわよ、多分バイクで転んだんでしょ!私だけ先に行って様子見てくるわ」と言いながら出かける支度を始めた。

それから小一時間後、仁実は霧霞市総合病院の救急入り口の受付で「先ほど救急搬送された 斎藤 勝(さいとう まさる)の家族ですが、どこにいますか?」と声をかけていた。

受付にいる警備員がパソコンの画面を見ながら「今はまだ、救急治療室にいますね、廊下に貼ってある緑のテープに従ってお進みください、そこで受付がありますから再度声をかけてください」と言われた。薄暗く誰もいない廊下を緑のテープに従って仁実は進んだ。

進む先に、明るく騒々しい救急治療室が見えてきた。
丁度ストレッチャーが運びだされるところに出くわした仁実は、ぶつからないように身体を廊下の壁側に避けた。ストレッチャーの後に続いていた看護師が「斎藤(さいとう)さんのご家族ですか?」と聞いたので仁実は頷いた。

すると、看護師がドクターらしき男性に引き継ぎ、ドクターが早口で
「ご主人は、交通事故に遭い脊髄損傷と肺が破裂しています。大出血をしているのでこれから緊急オペに入ります。最善を尽くします」と告げられた。想定していない展開に、震える身体を落ち着かせるように歩きながら、そのままストレッチャーに付いていき手術室の前で勝(まさる)を見送った。

どれくらい時が経ったのだろう?手術室近くにある待機室のオレンジ色の照明よりも、朝の光が強くなり窓の外が明るくなっていく間、ずっと仁実は勝(まさる)が助かることを一心に祈っていた。

かねての夫婦関係からは、どういうことが有っても勝(まさる)に対してそういう感情を持たないだろうと思っていた仁実だったが、今の心情は、いつの頃からか勝(まさる)はパートナーというよりも家族、兄弟のような存在になっていることに気づかされた。

ようやく手術室が終わったのだろう、ドクターが仁実のいる待機室へ来て「出血は止まりましたが、意識が戻りません、このまま意識が戻らないとなると、いろいろと決めなければならないことが出てきますので、ご家族をお呼びください」と静かな声で言った。

仁実はドクターに「いろいろと決めなければとは?」と震える声で尋ねると「最悪の場合、このまま意識が戻らないまま植物人間状態になるか、もしくは意識が戻っても障害が残ることが考えられます。とにかくここ数日予断を許さない状態です」と答えた。

仁実は身体中の力が抜け力なく椅子に座り、バッグの中のスマホを探した。こういう時に限って見つからずイライラとしながら、バッグの中身をテーブルの上にぶちまけた後、まるで自分の心そのままの状態の上に突っ伏して声を殺して泣いた。

そうやって、ひとしきり泣いた後、顔を洗いにお手洗いに向かった。鏡に映る仁実の顔は、心労からか酷く老けて見えた、両頬をパンパンと叩きながらバッグから口紅を取りだし輪郭をキリッと引き「いいこと!しっかりしなきゃ!!」と自分に喝を入れて、姿勢を正し衣服の乱れを整えていつもの仁実に戻った。

その数時間後、勝は家族が揃った瞬間を待っていたかのように心拍数はたちまち落ちて、あっという間にこの世からいなくなってしまった。子供たちも最後に言葉を交わすことも無い本当にあっけない別れだった、

それからの数日間の記憶は、まばらであまり残っていない。

勝の葬儀や事故処理、事業の後処理の為に、連日弁護士や税理士と連絡を取り合い、やらなければならないことが続いて、悲しみという感情が込み上げる暇も、泣く暇もなく49日の供養を執り行って、やっと一息入れることができた。

自宅のリビングのソファに座り遺影を眺めながら、勝の事を思い返すと、勝らしい去り方だったように思えてならない。子育てでもなんでも好きな事だけ最優先する子どもみたいなところが多分にあって面倒なことは全て仁実任せだったし、好きなバイクで、たった一人亡くなるというのも彼らしいと思える。

ただ一方では、パートナーとしては残念なことが多い人だったが、誰かに男として必要とされる喜びを知っていたのだろうか?こんな写真になった今でも好きでもない私と一緒にいるのかと思うと不憫にさえ思えることがある。

とはいえ、もう全て終わってしまったこと。もう勝はどこにも存在していないのだから、どんなに考えていることはあっても伝えることはできない。そう思い始めてからそれくらいの関係になっていたのだと改めて思い知らされた49日間の勝との最後の日々だった。

久しぶりにハイボールを飲みながら、仁実はこれからについて考えた。

本当に一人になったのである、それも想定外の形で・・・・自宅のローンは勝の名義だったので負債も無くなった。これからは、子どもたちの学費があと数年と、それ以後は自分の生きていく為に働くことになる、それは別に当たり前のことだが、子どもたちが巣立ったら何を生きがいにするのだろうか?一人にはこの家は広すぎるからどこか適当なマンションに引っ越すことなど幾つか思いついたが、やがて考えることが無くなった。
それくらい、仁実はいつも整理整頓しながら生きてきたのだろう。

ふと、佐知子が「仁実さんも自分の幸せを考えてもいい時期が来ているのではないかと思っているのよ」という言葉を思い出したが、これに関しては何も浮かばない。「自分の幸せ」=「自分勝手」に思えて仕方がないのだ、無性に誰かと話したくなった。

このところ忙しくて友人たちとも話していないこともあり、早速スマホの着信履歴を確認してみると、勝関連の電話がズラーっと並んでいる、スクロールすると大翔からもたった一回着信が入っていた。コールバックしようとしたが、他の人が数回程度入れているのに比べても一回だけというのが癪に障ったので止めた、そして、学生時代からの親友の結子(ゆうこ)に電話した、数回の呼び出し音の後「そろそろ掛かってくると思ったわ」と普段通りの声が聞こえた途端、仁実は不意に涙が零れて、それまでのいろんな感情が一気に込み上げてきて、まるで子供のように泣きじゃくった。

暫く電話を握りしめたまま泣きじゃくった仁実は、近くにあるティッシュを引き寄せながら「ごめんね」と言うと「なんだかんだ言っても長い間夫婦だったしね、無理もないよ、泣きたい時は泣かなきゃ」と言ってくれる、これまでも友人たちに何度も助けられてきて感謝していたが、こんな時に寄り添ってくれることが、これほど身に染みる夜だった。

それから、いつも通り他の友だちの近況や仁実の子供たちの話題で一頻り(ひとしきり)喋って、仁実の心が落ち着いた頃、電話の向こうの結子(ゆうこ)から「いろいろあったけど、これでやっと仁実は自由になったんだから自分のしたい様に生きたらいいのよ」と言われた。

「それ!電話する前に考えたけど、一向に分からなくて」と仁実が言うと「慌てなくてもいいのよ、時が経てば目の前に見えてくるって」と結子(ゆうこ)が返した。「それを早く知りたい!」と仁実が少し甘え声で訊くと「そのためには、美味しいものを食べて、ちゃんと寝ること、今日は早く寝てね」と結子(ゆうこ)がハッキリとした口調で言った。

この言葉に「これからは素直に心の命じるままに生きていいんだ」と妙に腑に落ちたので、心が軽くなった。それで結子(ゆうこ)におやすみの挨拶をして電話を切った。

それから、立ってリビングの窓を両手で開けると、少し酔った仁実の頬をなでるように夜のヒンヤリとした空気が流れ込んできて心地よい。思いっきり伸びをして夜空を見上げる仁実の顔はスッキリとしていた。


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