見出し画像

哲学試論 困難や支障をむしろ喜ぶ思考

哲学的に書いてみたオピニオンの第二段です。三障四魔という言葉を取り上げて見ます。人が目標に向けて歩みを進める時にそれを妨げる様を表しています。もともとは仏教用語で本来の意味を説明すると以下になります。

  • 三障(妨げる働き)
     ・煩悩障(貪り、瞋り、癡か等の煩悩が発生すること)
     ・業障(妻子や友人による妨害が発生すること)
     ・報障(父母、上司など目上の者による妨害が発生すること)
    四魔(苦悩させる働き)
     ・陰魔(身体や精神の変化によって発生する苦悩)
     ・煩悩魔(煩悩により発生する苦悩)
     ・死魔(命を絶ってしまおうとする苦悩)
     ・天子魔(目上の者の行いによって発生する苦悩)

「魔は天界に住む」ということわざがあり、立派になろうと努力しているさなかであったり、成功して幸せの絶頂期の時になぜか三障四魔のような苦悩が発生して人生の足元を掬おうとする出来事が起きることがあります。

人の気持ちをへし折ろうとするその様は『鬼滅の刃』無限列車編で炭治郎達の前に立ちはだかった魘夢(えんむ)のようなものでしょう。炭治郎は夢から強制的に目覚めて魘夢(えんむ)を倒しました。そのシーンを思い浮かべる人も多いと思います。

(考え方の整理)

この炭治郎のように逆風をはねのけていくにはどのような考え方をしたらよいか考察していきます。
冒頭の三障四魔に話を戻すと「三障四魔と申す障りいできたれば、賢者はよろこび、愚者は退く これなり」という言葉が出てきます。鎌倉時代の僧侶、日蓮の言葉です。発生する困難を避けて生きるのではなく、むしろ喜んで乗り越えていくことが大事ではないかと推察できます。

この推察を裏付けるため様々な格言や他の方の事例を取り上げて見ます。

(格言をいくつか)

逆境に立ち向かう格言としてはたくさんあります。「ストレスは人生のスパイス(ハンス・セリエ)」「困難の中にこそ機会がある。(アインシュタイン)」など著名人が残している言葉などがそれにあたるでしょう。

(自分自身の体験)

自分自身の経験として大学生の頃、就職試験の勉強のために「早稲田セミナー」に通って、法律や経済原論などの勉強をしていました。その時の講師であった成川豊彦校長(当時)が授業の中で「頂上に向かおうとするものは逆風をエールだと考える」と力説していました。この時にはなんかこの雰囲気ついていけない・・・とおもっていましたが、歳を重ね本業仕事や自転車旅、様々な活動で酸いも甘いも経験する中で、今振り返るとこの人は逆境に立ち向かう姿勢を教えてくれていたんだろうなあと回顧したりします。確かに信念を持つエネルギッシュな人でした。

(現状を考える)

とかく今を生きる中で右往左往して立ちすくんでしまう事例というのはたくさんあるでしょう。コロナ禍に一喜一憂したり、戦争や物価高、貧困などの暗い報道を見聞きしては置かれた状況を嘆いたり、他責で声高に他者を非難してみたりする光景は様々なSNSや現実社会でよく見られます。これは傍から見て自分自身を持たない困難な状況に負けてしまっている姿に見えます。

(総括まとめ)

総括になりますが、右往左往して嘆く生き方から抜け出し、平然とした生き方を手に入れるためには揺るがない信念という軸心をもち、困難なことが発生してもそれを糧として克服できる体質に自身を変えていく必要があります。人の生き方はそれぞれですからそれぞれの信念があると思います。(法律に違反したり、道徳や人の道から外れる信念は誉められませんが・・・)
大事なことは自分が決めた生き方に向かって困難があったとしてもしっかりと進んでいけることとでしょう。例え小さな歩みであっても困難や支障を喜ぶ生き方を日々積み重ねていくことで芯の強い人間になれるのではないかと考えます。自分もそういう人間になりたいですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?