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多事争論 大人の居場所を考える。

先月は人の命に関する報道事案が目立って発生し、考えさせられるものが多かったことから月が改まったのを機として、久しぶりに多事争論を題材にしたいと思いました。

先日、自分が加入しているメンバーシップのオフ会に参加しました。

その中で居場所ことが話題になり、大人でも居場所を持つことが大切であり、豊かな人間関係を構築していくにも交流の場が必要だという認識を参加者皆さんで共有しました。

noteの場は投稿をするだけでなく、交流の場にもなるものです。他の方の投稿にコメントを残して意見交換することをよく行っています。加入しているメンバーシップ各々では主宰の方の投稿に良くコメントしています。(ただし、他の方の投稿にコメントするときは投稿者の人柄を見極めながらやらないとひと騒動になってしまうこともあります・・・・)
居場所についての題材に振れたこともあり、この機会に居場所に対する自分の考え方を再認識してみます。

基本的に居場所となるのは家庭と職場でしょう。ただ、人間関係がそれだけでは心もとないものがあります。「家庭と職場の往復だけでは・・」という意見は様々な場面で散見されます。職場では人事異動になると以前の職場とは疎遠になってしまうことがあり、特に退職となると「去る者日々に疎し」になってしまうでしょう。定年退職まで15年強ありますが、将来を見据えた人間関係を現役のうちに築いておきたいと考えています。

具体的に行っていることとして、サッカーでは月に1回程度、草サッカーに興じています。この付き合いは20年くらいになります。サッカー自体は下手でしかありませんが、気軽に寄れる居場所になっています。

地域ではコミュニティの部会に所属し、花苗の植え付けやゴミゼロ運動、夏まつりのゴミ回収班などに携わっています。活動は5年目になり徐々に責任ある立場を任されるようになりました。

好物のチーズを活かして子ども食堂にデザートを提供するほか、資金調達の企画をしています。

以前、子どもがお世話になっていた学童保育ではまつりの際にバザーの手伝いをします。作った繋がりを活かしています。
活躍や交流の場をいくつか手元に確保しておくと、人間関係で強く依存したり、深く心配をしたりすることがなくなるように思います。

総括になりますが、人とのつながりを持たないということは気楽である反面、何か異状が事態が発生した場合に緩衝を持たないということでもあります。もともと抱えていたものが何かしらの悪縁に触発され、目をそむけたくなる事例が発生するのは他人事ではないように見受けします。地域活動を先導して行う立場として、関りを持つことの重要さを行動で表現できたらと考えます。


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